2013年2月23日土曜日

ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮(ネタバレ大あり)

「魔女と呼ばれた少女」と同じく、現在、アカデミー賞外国語映画賞にノミネートされているデンマーク映画「ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮」を見てきました。
18世紀後半、ちょうどフランス革命の直前くらいの時代。当時、ヨーロッパはルソーなどの啓蒙思想の影響で、多くの国が改革をしていたとき、デンマークはまだ遅れていて、検閲、拷問などが行われていたそうな。
そんなデンマークの王室に王妃として嫁いできたイギリス国王の孫カロリーネ。実は彼女のおばもデンマークの前国王の王妃で、現国王の母親。カロリーネも幼い頃からデンマーク王室に嫁ぐことが決まっていた、という、当時としてはよくある政略結婚ですね。
一方、デンマーク王のクリスチャンはすでに両親を亡くし、父王の再婚相手である継母の皇太后とその息子(クリスチャンの腹違いの弟)と暮らしています。まだ若いクリスチャンは、文学や音楽や芸術を愛する青年、ということで、同じく文学や芸術を愛し、読書が好きで本をたくさん持参した(しかし、デンマークの検閲で英国に送り返された本も多かった)カロリーネはクリスチャンとの結婚に期待してやってくるのですが、クリスチャンは実は精神の病にかかっていて、子供のように振舞うかと思えば、突然怒り出してカロリーネを侮辱する。確かに文学や芸術が好きで、時々、頭のよさも見せるのですが、とにかく精神不安定なので、カロリーネはしだいにクリスチャンを憎むようになってしまいます。
当時、カロリーネはまだ15歳。のちにドイツに追放されたあと、子供たちのために過去を語る、という形式になっていますが、大人になったカロリーネは、クリスチャンが病に苦しんでいたことを理解し、クリスチャンに対してある種の情を感じるようになっています。
しかし、結婚したばかりの頃のカロリーネはわがまま放題の夫に憎しみしか感じず、王妃のつとめとして息子を産んだあと、夫とは完全に断絶。クリスチャンも妻を置いてドイツへ外遊、そこで病が悪化したとき、ドイツ人の医者ストルーエンセに救われます。
このストルーエンセがクリスチャンに会うシーンがすばらしいのですが、クリスチャンがシェイクスピアのせりふを言うと、ストルーエンセがそれに答えてせりふを言い、クリスチャンがストルーエンセを気に入ってしまう、というシーンです。クリスチャンもストルーエンセも、シェイクスピアのせりふを暗唱できるほど文学に造詣が深いということを示している場面ですが、「エレファント・マン」でジョン・ハートとアン・バンクロフトが「ロミオとジュリエット」のせりふを言い合うシーンを思い出しました。
クリスチャンに気に入られたストルーエンセは王の侍医としてデンマークにやってきます。ストルーエンセはルソーをはじめとする啓蒙思想家の著書を読み、自身も匿名で啓蒙思想の本を書いているという人物。なぜか検閲をかいくぐって、デンマークでは禁じられているこうした哲学書を持っているストルーエンセに興味を持ったのが、持参した本の一部を検閲でデンマークに持ち込めなかった王妃カロリーネ。クリスチャンとストルーエンセはシェイクスピアで、カロリーネとストルーエンセはルソーで、互いに惹かれあうことになります(このあたりの脚本がいいね)。
そんなわけで、カロリーネもクリスチャンもストルーエンセも、文学や哲学書や演劇が好きな人、という共通点を持っていることになります。この3人は似た者同士なのです。
やがてストルーエンセは王を利用して、デンマークを改革しようとします。検閲や拷問をやめさせ、孤児院を作り、天然痘の予防接種をし、という具合に、デンマークの近代化を性急に進めていきます。また、貴族の権利を制限したりしたため、貴族たちが反発。それに対抗して、王とストルーエンセは貴族院を廃止し、2人だけで社会改革を進めていきます。
一方、ストルーエンセの愛人となったカロリーネも、クリスチャンとストルーエンセの改革に参加。クリスチャンは妻のカロリーネのことを「ママ」と呼び、母親扱いなので、妻と侍医が仲がよくても気にしません。実際、クリスチャンにとって、ストルーエンセは父親、カロリーネは母親なのだろう、と感じさせます。幼い皇太子に天然痘の予防接種をするとき、クリスチャンが外の部屋のソファでカロリーネと手を握り合い、そこへ接種を終えたストルーエンセが現れてクリスチャンの隣に座り、クリスチャンと手を握り合うシーンは、クリスチャンがこの2人の子供であるかのようです。
クリスチャンは2歳のときに母を失い、そして父も失って王位についたわけですが、継母の皇太后は自分の息子を王にしたいと思っていて、クリスチャンとは対立する立場。クリスチャンが妻であるカロリーネに母を求めるのもわからなくもないわけです。
そんな具合に、王と侍医と王妃の3人が独裁的に改革を進めていくのですが、社会改革というものはやはり民主的な手続きを踏まないといけないのか、彼らの改革は庶民の支持を得られません。皇太后や貴族たちの画策で、王妃と侍医の不倫が次々と新聞記事になり、人形劇にまでなって、それを庶民が楽しむ始末。そしてついに、皇太后と貴族たちが巻き返しをはかり、ストルーエンセは処刑され、カロリーネはドイツに追放される、という結末になります。
ストルーエンセは庶民のために改革をしたつもりだったのですが、死刑台に連れていかれるとき、彼を見つめる庶民たちの表情は冷ややかです。「私も民衆の1人だ」と彼は叫びますが、彼の改革は独裁的だったために、民衆の支持を得られなかった、ということがわかります。民主的な手続きを踏むと、時間ばかりかかって、なかなか実現しないのですが、それでも、改革には民主的な手続きが必要だと、映画は示しているようです。また、ストルーエンセの改革は、財源を考えずに行ったため、兵士たちに給料が払えないなどの問題が生じ、それが貴族たちの反乱を助けることになったという描写もあり、彼の改革が財源を考えないばらまき行政だったのか、という思いも。
王のクリスチャンはストルーエンセに対する愛情を失っていないため、彼を助けたいと思っているのですが、クリスチャンは最後まで操り人形で、貴族たちに操られるままになっています。
ラスト、病に倒れ、亡くなったカロリーネの手記がクリスチャンとの間に生まれた息子と、ストルーエンセとの間に生まれた娘に手渡され、それを読んだ兄妹が、皇太后たちに権力を奪われ、暗い部屋で失意の人生を送っている父王クリスチャンを訪れ、カーテンを開け放って光を入れます。カロリーネは、改革を試みた王と侍医の子供たちにデンマークの未来を託すために手記を書いたのですが、最後に、クリスチャンの息子フレデリクが16歳で宮廷クーデターに成功し、王として社会改革を行い、ようやくデンマークに近代化が訪れた、という字幕が出ます。

試写状を受け取ったときは、よくある宮廷不倫もの、と思ったのですが、デンマークの歴史を踏まえた人間ドラマとして、非常に見ごたえがありました。
ストルーエンセを演じるのは、わがごひいきのマッツ・ミケルセン。「偽りなき者」に続き、堅実な演技を見せてくれますが、この映画で注目したいのは、カロリーネとクリスチャンを演じた2人の若い俳優です。カロリーネ役は最新の「アンナ・カレーニナ」で、アンナとは正反対の、ロシアの大地に生きるポジティヴな女性を演じたアリシア・ヴィカンダー。この映画では逆に、アンナと同じ結婚と地位に縛られた女性なのが面白い。「アンナ・カレーニナ」のときの役の方がよかったですが。
そして、ベルリン映画祭で男優賞を受賞した、クリスチャン役のミケル・ボー・フォルスガード。この人の演技がすばらしい。精神の病を持ち、わがままで、子供のように無邪気で、操り人形にされても気がつかず、しかし、王の気品はきちんと備えている。最初はいやなやつだけれど、見ているうちにある種の親しみを感じさせてしまう演技です。
監督はスウェーデン版「ミレニアム」第1部の脚本を書いたニコライ・アーセルという人。奇をてらったところのない手堅い演出ですが、最後のカーテンを開けて光を入れるシーンなどに才覚を感じます。

追記 クリスチャンが好きなシェイクスピアは「ハムレット」と「リチャード三世」のようですが、「ハムレット」は父が死んだあと、母がおじと結婚、おじが王になります。クリスチャンは母が死んだあと、父が再婚、そして、皇太后となった継母が支配、という点が似ています。また、「リチャード三世」は身体障害者の王ですが、クリスチャンは精神の病に苦しむという点が似ています(クリスチャンはリチャード三世のような邪悪な王ではないが)。