2015年2月19日木曜日

紛争を描く映画2本(ネタバレあり)

ロシアとウクライナの間で戦争勃発の危機とか、アメリカでイスラム教徒の学生3人が殺害されたのにアメリカのメディアが伝えようとしなかったりとか、日本では首相のお友達の老作家がアパルトヘイト容認発言とか、いろいろときな臭いことの多い昨今、世界の紛争地域をテーマにした2本の映画を見た。

まずはカナダのケベック州出身の監督で、「ぼくたちのムッシュ・ラザール」のフィリップ・ファラルドーの新作「グッド・ライ~いちばん優しい嘘~」。アフリカのスーダンの内戦で両親を失った幼い兄弟姉妹がケニアの難民キャンプめざして歩き続け、途中で兄弟や仲間を失いながらもついにキャンプに到着。2001年、アメリカがスーダンの難民の若者数千人を受け入れることになり、2組のきょうだいである3人の男性と1人の女性がアメリカのカンザスシティに移住する。しかし、女性は受け入れ家族のもとでホームステイしないといけないという規則から、女性だけボストンに送られ、3人が職業紹介所の女性の助けで仕事を得て働き始める。
アフリカの大自然の中で育ち、スーダン北部の軍隊による虐殺を経験し、難民キャンプをめざす途中でリーダー格の兄を失い、そしてアメリカに来てからは姉妹である女性と引き離された3人は、カルチャーギャップにとまどいながらも懸命に生きる。その姿がユーモアをまじえてコミカルに描かれ、アフリカ人から見たアメリカのおかしなところなども描かれているので、スーダン内戦の悲惨な背景があるにもかかわらず、明るく楽しい映画になっている。なぜかアメリカ人は白人以外の人がほとんど出てこないとか、アメリカでの人種差別がまったく描かれないとか、ケチをつければきりがないが、ボストンに行かされた女性が戻ってきたり、子供の頃にスーダン北部の兵士に連行され、殺されたと思われていた兄が生きていたりと、感動的な展開もある。そして、この最後の死んだと思われていた兄がケニアの難民キャンプにたどりついたことを知った弟が兄のもとへ行き、そこでタイトルの「グッド・ライ」よい嘘をつくことになる結末が非常にいい。
このよい嘘の伏線として、大学で勉強する弟が「ハックルベリー・フィンの冒険」のよい嘘について学ぶシーンが出てくる。
で、以下、ネタバレになります(色を変えます)。
弟はなんとか兄をアメリカに連れていくためのビザを手に入れようとするが、どうしてもできない。そこで、弟は自分と兄がよく似ているのを利用して、自分のパスポートを兄に渡してアメリカに行かせる。かつて兄が兵士に連行されたのは、弟の命を救うためだったので、弟は今度は自分が兄のために何かすべきだと思ったからだ。ここで兄がわりと簡単に弟の言うとおりにするのがちょっと疑問というか、最初の方のシーンに出ていた兄はとても責任感が強かったので、そんなに簡単に弟のパスポートでアメリカへ行くとは思えないのだが、それはともかく、弟が難民キャンプに残るという決意は単なる自己犠牲ではないのがいい。難民キャンプにはアメリカ行きを希望したがかなわなかった親友もいる。そして、弟は医者になるのが夢だったのだが、彼は難民キャンプの病院で働く決意をする。一部の人だけがアメリカへ行ってハッピーなのではなく、アフリカで新たな人生を歩もうとする主人公を描いているのがよかった。難民役はすべて本物のスーダン難民が演じているのもリアルでいい。彼らは何代もアメリカにいる黒人とは違うアフリカ人の顔をしている。

もう1本は「アーティスト」でアカデミー賞作品賞や監督賞を受賞したフランスのミシェル・アザナヴィシウス監督の「あの日の声を探して」。「アーティスト」とはまったく違うシリアスな作品で、1999年の第二次チェチェン紛争が舞台(ロシア各地で起きたテロの犯人をチェチェン人と決めつけ、ロシアがチェチェンを空爆し、地上部隊を送り込んだ)。
ロシア兵に両親を殺され、姉も殺されたと思った幼い少年が赤ん坊の弟を連れて逃げる。しかし、途中で赤ん坊を連れていけなくなり、民家の玄関に置き去りにしてしまう。このショックと罪の意識から、少年は声を出せなくなってしまう。
少年はEU職員の女性に助けられ、彼女と生活をともにする。一方、生きていた姉は弟たちを探している。
このチェチェン人たちの物語と並行して、ロシア人の若者が軍隊に入れられ、そこで虐待されるうちに人間性を失い、そしてチェチェンに送り込まれて人を殺すようになる、という物語が描かれる。こちらは実際のロシア軍の話をもとに、「フルメタル・ジャケット」なども参考にして描かれていて、かなり凄惨。途中で気分が悪くなったのか、試写室から出ていってしまった人がいたくらい。
それでも、冒頭のロシア兵による虐殺のシーンの中で、若いロシア兵が泣いている赤ん坊を見つけ、おしゃぶりをしゃぶらせて、やさしく頭をなでて、そのまま出ていく、というシーンがあった。このロシア兵こそ、あの(以下、自粛。こちらはネタバレなしで)。
映画はいくぶんパターン化されているというか、軍隊で人間性を失うロシア人、女性と子供の交流に希望を見出すこと、など、ちょっと画一的な描写だな、と感じるが、この題材を映画化したかった監督の強い思いは感じることができる。
チェチェン人はイスラム教徒が多いのか、アラーに祈りを捧げたり、女性は外ではスカーフをかぶったりしている。「誰よりも狙われた男」に描かれたように、チェチェン人のテロリストもいるのだが、映画ではチェチェン人はおもに女性と子供なので、軍隊で人間性を失うロシア人と、愛や希望を失わないチェチェン人の女性と子供、みたいなパターン化はある。ただ、アザナヴィシウスはユダヤ系のフランス人なので、迫害されたかつてのユダヤ人をチェチェン人に重ねているのだろう。
原案はフレッド・ジンネマンの旧作「山河遥かなり」で、こちらは第二次大戦終戦後を舞台に、収容所の生き残りのユダヤ人の少年と米兵の交流を描いているそうだ。