2015年3月16日月曜日

私の乗ったブルートレイン

このところ過去ばかり振り返っていますが、北斗星運行終了でついにブルートレインと呼ばれる寝台列車がすべてなくなったというので、私の乗ったブルートレインの思い出を。

初めて乗ったブルートレイン。
あさかぜ3号(1971年だと思う)
 当時、あさかぜは1号、2号、3号とあり、東京・博多間の運行(一部は東京・下関間)。
 乗車区間は広島→東京。修学旅行で瀬戸内をまわったあと、最後の訪問地、広島からあさかぜ3号に乗って東京へ帰った。当時は新幹線が岡山までしか開通していなかったので、行きは新幹線、帰りは寝台特急だった。3号はたしか夜10時すぎの発車だったので、発車までの間、広島で自由時間があった。

最後に乗ったブルートレイン。
まりも(1990年代初頭)
 まりもは北海道の札幌と釧路を結ぶ夜行列車。寝台車と座席車がある。私が乗ったときは急行だったが、その後、特急になったらしい。
 乗車区間は釧路→札幌。釧路の友人宅を訪れたあと、札幌の同人誌即売会に参加するため、まりもで札幌に向かったのだ。その後、2000年代になって、クレインズ応援のために釧路によく行くようになり、駅に停車中のまりもを何度も見たが、乗ったのは1990年代初頭の一度だけだった。

その間に乗ったブルートレイン。
さくら(1970年代なかば)
 さくらは東京・長崎間を走る寝台特急。みどりの窓口で切符を買った初めてのブルートレイン(あさかぜは修学旅行なので、自分で切符を買っていない)。
 乗車区間は東京→長崎、長崎→東京。あこがれの長崎への初めての旅行。雲仙普賢岳もまだ危険でなく、かなり近くまで行けた。

はやぶさ(1970年代なかば)
 はやぶさは東京・西鹿児島間を走る寝台特急。この頃は中国地方や九州によく旅行に行っていた。乗車区間は東京→西鹿児島。22時間かかった。帰りはまた長崎に寄って、さくらで東京に帰った。

銀河(70年代から80年代に数回乗車)
 東京・大阪間を結ぶ寝台急行。急行だから料金が特急より安く、また、夏休みなどでも切符が取りやすかったので、何度か利用した。当時は新幹線に乗るより寝台車に乗った方が安かったので、夏休みなどは寝台特急はすぐに売り切れていた。

さくら、はやぶさ(1980年代初頭)いずれも前出。
 福岡の学会へ行ったとき、行きはさくらで福岡まで、帰りは熊本に寄ってはやぶさで帰京したと思う(記憶があやふや)。この頃はブルートレインはまったく人気がなくなり、半分も人が乗っていない状態だった。70年代にはシーズンでなくてもほぼ満席だったのに、4人分の寝台のあるボックスに1人を入れるような格好になっていた。

尻、大雪(1980年代末)
 利尻は札幌・稚内間、大雪は札幌・網走間を走る急行(寝台車と座席車)。まりもと同じく、のちに特急になったが、このときはまだ急行で、料金が安かった。
 乗車区間は、利尻が札幌→稚内、大雪が札幌→網走。初めての北海道周遊一人旅。夏のシーズン中だったので、なるべくホテルに泊まらずに列車で夜に移動と思い、最初は利尻は安い座席で行こうと思ったのだけど、それまでの観光で疲れ果て、急遽、寝台に変更してもらった。目が覚めると、窓の外には青い空をバックに美しい利尻富士が見えたのが忘れられない。稚内の周辺を観光し(とても美しかった)、ホテルに一泊したあと、列車で札幌に帰り(半日くらいかかったような記憶)、今度は大雪で網走へ。これは最初から寝台を買ってあった。北海道内のブルートレインはどれも夜11時くらいに出発し、目が覚めるともう終点、という感じ。そのあと、バスで知床へ行った。

こんな程度なので、あまりたくさん乗っていないのだけど、ブルートレインの旅というのは特別な思い出がある。70年代に九州へ行ったときは、同じボックスのお客さんと長い時間をすごすので、そこでいろいろと話がはずむのが楽しかった。長崎からさくらで帰るとき、雪のせいで何時間も遅れ、途中で新幹線に乗り換えた人が多かったのだけど、最後まで乗っていたお客さんたちと雑談などしたこと、2時間以上遅れると特急料金の払い戻しがあるので、東京駅で払い戻してもらったことなど、なつかしい思い出。北斗星は乗りたかったが、北海道は飛行機の方が早いし、料金的にも差がなかったので(私は釧路に行くことが多かったので、北斗星だとむしろ高くなる)、ついに乗ることはなかったのが残念。