2015年5月6日水曜日

GW最後の日

ゴールデン・ウィークもいよいよ最終日。
このところ話題もなく、写真ブログの更新ばかりしてましたが、最近目に入ったトピックから。

伊藤計劃原作の「虐殺器官」、「ハーモニー」、円城塔が引き継いだ「屍者の帝国」の3作がアニメ化予定、という話は聞いていたけれど、いったいいつ?と思っていたら、公開日の発表があったようです。
「虐殺器官」10月、「ハーモニー」11月、「屍者の帝国」12月とか。
このうち、「虐殺器官」と「ハーモニー」のポスターが出ていましたが、なんだか文庫の表紙の絵の方がよいかなあ。
「虐殺器官」は読んだんですよ。
面白いことは面白いんですが、元ネタに使った映画の数々がいちいち頭に浮かぶんで、気が散ってしょうがなかったです。
元ネタの映画の方が小説よりインパクトがあるから。
元ネタ映画の連想に頼るのはもう少し控えた方がよかったかと。
物語は、途上国が内戦などしていてくれた方が先進国に対してテロを起こさないから先進国の人たちは安心、という、先進国のエゴ丸出しの考え方に対する痛烈な批判になっていて、そこは非常によいと思いました。そこからのどんでん返しのラストもよかったです。
あと、描写が映画的というよりはアニメ的、特にゲームのアニメを連想します。
その辺の生でない感じというか、そこが物足りないと言うと、年だと言われそう。
アニメ化はどうなんでしょうね?
あまりお金をかけられそうにない感じですが。劇場公開も、一応公開して、あとはDVD&ブルーレイでの展開が中心という感じ。
「ハーモニー」はまだ読んでいませんが、「屍者の帝国」はアニメ的でないので、どうなのかな。
昔の文学や歴史の有名人総出演がアニメか。レット・バトラーをクラーク・ゲーブルに似せると肖像権の問題が出そうな気がしますが、全然別の顔にするとイメージくるっちゃうだろうしな。

鴻巣友季子氏がツイッターで、古典名訳文庫を作れと前から言ってるのにどこもやらない、というようなことをつぶやいたそうです。
古典名訳文庫。
定義がむずかしい。
森鴎外の「即興詩人」とか、坪内逍遥の「ハムレット」とか、二葉亭四迷のツルゲーネフとか、そういうのじゃないですよね?
かくいう私は高校時代に森鴎外の「即興詩人」を読んでいたく感動した覚えがあります。普通の翻訳ですでに読んでいたので、ストーリーはわかっていたのですが、鴎外が訳すとものすごい格調の高さでした(オリジナルは文学史的にはさほど高い評価は受けていなくて、メロドラマみたいな感じですが、私は好きでした。あ、作者の名前、書いた方がいいかな、アンデルセンです)。
たぶん、新訳が次々と出るので絶版になりつつある、大久保康雄や中野好夫といった過去の名訳者の翻訳のことを言っているのだろう、と誰もが思うと思いますが、このあたりの人の翻訳って、確かに新訳が出たために絶版になっているのもあるけど、現役のものもまだまだ多くて、たとえば「大久保康雄全集」は当分できそうにないのが現状だと思います。
それでも「大久保康雄全集」はいずれできるかもしれないな、と思いますが、このあたりの人の翻訳を出す古典名訳文庫は現状からしてまず無理でしょう。
講談社が自社の文学全集に入っていた名作の翻訳を学芸文庫みたいなところで出していますが、売れてないのか、定価は高いし、「鳩の翼」とかもう絶版じゃないかな?
もっとも、新潮文庫の「風と共に去りぬ」新訳は5冊全部買うと3500円超えそうだし、岩波文庫の「風と共に去りぬ」新訳は6冊全部買うと5000円超えそうです。
だったら、定価も高くしても、と思っても、やっぱり売れないだろうな、と。
出版社は在庫を抱えると税金がかかるから、電子書籍にしたり、オンデマンドで印刷するみたいなやり方でないとだめじゃないかな?
しかし、若い頃に愛読した岩波文庫のフィールディングの「トム・ジョウンズ」(朱牟田夏雄の名訳)が絶版状態らしいのを思うと、なんとかしてよ、とは思うんですけど。
それと、なんで今、古典新訳ブームかというと、光文社の「カラマーゾフ」がものすごく売れたのがきっかけらしいんですが、この「カラマーゾフ」の翻訳がいろいろ問題があるようで、ほかにも光文社の新訳には問題があるものがいろいろあるようで、その上、新潮文庫の新訳にも問題のあるものが少なくないみたいなのに、それでも新訳と銘打てば売れるから次々新訳が出てきてるわけなんだけど、ではなんで新訳と銘打てば売れるかというと、それは、日本人は新しいものが好きだから、としか思えん。
実際、旧訳をのぞいてみると、それほど古くないんです。え、これでもいいじゃん、と思うものが多い。たぶん、1950年以降の名訳は実はあまり古くなっていないような気がします。
だから、新訳ブームは新しいもの好きな日本人の嗜好が大いに関係してるんじゃないかと。
賃貸住宅だって新築がやたら人気だし、ナントカと畳は新しい方がいいということわざ(?)もあるし。
西洋は石造りの長持ちする家を作るが、日本は木造の家を作り、短いサイクルでどんどん新しく作り変えていくから、日本人はなんでも新しいものが好きなのだ、ということをもうだいぶ前にどこかで読んだのですが、新訳ブームも結局そこなんじゃないか、そして、この古典新訳ブーム自体が新しくなくなり、新訳だからといって売れるわけではなくなるのではないか、と思うのです。
光文社の古典新訳文庫の定価の高さを見ると、新訳という言葉はしだいに売りにならなくなっているのではないかと思います。
で、そのとき、新訳が出て絶版にされた過去の名訳はどうするよ、って、困りましたねえ。でも、もともと、需要がなかったんでしょうね。