2016年4月5日火曜日

「トランボ ハリウッドに最も嫌われた男」

ダルトン・トランボの伝記映画「トランボ」を見てきた。
トランボといえば優れた脚本家で、アメリカが共産主義にかかわった人々を弾圧したマッカーシズムの時代に非米活動委員会のブラックリストに載せられた最初のハリウッド映画人、ハリウッド・テンの1人。ハリウッドで仕事ができなくなったあとも偽名で脚本を書き続け、「ローマの休日」と「黒い牡牛」がアカデミー賞を受賞、本人は名乗り出ることができなかったが、やがて「スパルタカス」と「栄光への脱出」で完全復活、のちに2つのオスカーも正式に彼のものになる。また、小説「ジョニーは戦場へ行った」の作者であり、自ら監督して映画化した。
マッカーシズムを題材にした映画はこれまでもいくつか作られているが、題材が題材なのでどうしても悲壮感漂うものが多い(というか、全部そうかも)。が、この「トランボ」は悲壮感がまるでなく、悲運に見舞われてもしたたかに生きる主人公の強さと明るさと人間臭さがなんとも魅力的。演じるブライアン・クランストンはこれでアカデミー賞主演男優賞にノミネートされたが、ディカプリオの年じゃなかったら彼が受賞したかも、と思わせる。
映画はマッカーシズムがハリウッドにも影響を及ぼしてきた1947年から始まる。ハリウッドにはマッカーシズムに同調する者と、そうでない者がいたが、トランボたちがブラックリストに載せられ、公聴会での証言を拒否して投獄されるあたりからしだいにハリウッド全体がマッカーシズムに傾いていく。トランボたちに味方していたエドワード・G・ロビンソンも仕事欲しさに彼らを裏切る。一方、ジョン・ウェインやコラムニストのヘッダ・ホッパーらは積極的にマッカーシズムを支持し、意に沿わない者たちを追い詰める。
という具合に、悲壮感たっぷりな話なのだが、なぜか暗い感じがしない。
優れた脚本家であるトランボが投獄されるシーンには多少の悲壮感があるが、1年後にシャバへ出てきてからはとにかく精力的に仕事をする。ブラックリスト入りしているので本名では仕事はできないが、B級映画の製作会社で偽名で、格安のギャラで次から次へと脚本を書く。同じように干されている仲間の脚本家にも仕事をまわす。いくつもの偽名を使い、不眠不休で書き続け、妻や子供たちにも電話の応対や脚本を届けるなどの仕事をさせる。
とにかくエネルギッシュなのである。バスタブにつかり、薬と酒をあおりながら書き続ける。妻や子の都合も考えないので、ついに妻や子がキレたりするが、それでも家族の絆は固い。家族でモメてても全然悲壮感がないのだ。
悲壮感がないと言えば、トランボは投獄される前に「ローマの休日」の脚本を友人のイアン・マクラレン・ハンターに託し、アカデミー賞をハンターが受賞することになるが、そのときも素直に喜んでいて、あまり悲壮感がない。「黒い牡牛」はまったくの偽名で脚本を書き、それがオスカー受賞したときも素直に喜んでいて、オスカーを手にできないことの悲壮感があまりない。
「ローマの休日」のオスカーはトランボの死後に正式にトランボのものとされたが、そのとき、ハンターの息子がオスカーを返さないとか、確かそういうトラブルがあったと聞いているが、この映画ではハンター自身がトランボにオスカー像を渡そうとするが、トランボは断るというシーンがある。ハンターもその後ブラックリスト入りさせられてしまったそうだが、ハンターはトランボの栄誉を盗んだのではなく、親友であり同志だったのだなとわかった。
トランボは共産党員なのだが、共産主義者のイメージとは程遠い人物だ。ガチな共産主義者の友人も登場するが、トランボは脚本家として成功してブルジョワの生活をしているし、資本主義を否定していないが、ただ、弱者救済とかそういうところでは共産主義的な主張をする人なのだろう、ということが娘との会話でわかる。
刑務所から出たあと、トランボ一家は周囲から嫌がらせを受けたり、子供が苦労したりしたようだが、そういった暗い面や深刻な面はさりげなく知らせるだけになっている。このあたりも悲壮感がない。
トランボを悲劇のヒーローとして描かず、転んでもただでは起きないタフガイとして、家族を愛しているが困った親父でもある人間臭い男として描いているのがいい。マッカーシズムの被害者たちの中には自殺したり家族離散したりと悲しい運命をたどった人が少なくないと聞いている(最後のクレジットにもそう書かれている)。そんな中でトランボは才能とバイタリティで生き抜いたサバイバーであり、成功者だった。それは少ない例の1つなのかもしれないが、悲惨な時代にも生き残れる、悲惨な時代を終わらせることはできる、という希望を与えてくれる。
脇役ではジョン・グッドマン演じるB級映画会社の社長がとてもいい。金と女にしか興味がない、ヤクザっぽい男だが、こういう人物がトランボのような人を救うというのが面白いのだ。
ヘッダ・ホッパー役のヘレン・ミレンも、本来なら感じ悪い女だろうホッパーを三枚目的な魅力で演じていてすばらしい。
トランボを復活させたカーク・ダグラスやオットー・プレミンジャーも登場するが、この2人も面白い。
悲壮感がないのはたぶん、トランボも含め、人物がどこかコミカルに描かれているからだろう。マッカーシズムをコミカルに描くことができる時代になったということなのだと思う(これまではコミカルに描けなかったから悲壮だったのだ)。
前にちょっと書いた「ヘイル・シーザー」と合わせて見ると面白いかもしれない。というか、「トランボ」を見て、「ヘイル・シーザー」を見ると、「ヘイル・シーザー」がわかるんじゃないかな。映画としては「トランボ」の方が断然いいと思うけど。