2023年4月14日金曜日

「幻滅」(ネタバレ大有り)

 先週、「ザ・ホエール」と「AIR/エア」を見に行ったら、どちらの映画でもバルザック原作の映画「幻滅」の予告編を2種類やっていて、このシネコンのイチオシなのかな、と思った。もともとコスチューム文芸ものは大好きなので、早速、初日に鑑賞。


その前に図書館から原作を借りてきた。が、かなり長いので、これは読めるかな、もともとバルザックは大学時代に中編をフランス語で読んだだけで、それ以外何も読んでいない。


写真のうち、文庫は「ゴリオ爺さん」と、この小説に登場する人物が出てくる「幻滅」と「浮かれ女盛衰記」の抄訳。抄訳といってもほんとにさわりの部分だけみたいで、これでは読んだことになりそうにない。で、映画を見たら、原作すごく読みたくなったので、がんばって読みます。

そして、珍しくもパンフレットを買ってしまった。入場料無料の回だったので、よいでしょう。800円もして、公式サイトとだぶる文章もあるけど、読みごたえはありそう。


予告編2種類もやってイチオシ、なのかどうかは知らないけれど、この手の映画はお客さん呼べない、ましてやそのシネコンは人気作でもあまり混まないので、まあ、お客さん5人くらいかな、と思ったら、まさに5人であった。

映画は原作のストーリーや人物をかなり変えているようで、特にグザヴィエ・ドランの演じるナタンという小説家が映画独自の人物で、原作の3人の人物をもとにしているらしい。

物語はナポレオン時代のあとの王政復古期のフランス。田舎の詩人リュシアンがパリに出て、詩人として成功しようとするが、現実はきびしく、当時のイエロー・ジャーナリズムの記者となって、金のためなら嘘でも何でも書く人間へと堕落していく。

当時のこの手のジャーナリズムは、書評も劇評もまっとうな批評ではなく、金をくれればほめる、くれなければけなす、みたいなものだったようだ。

リュシアンはここで2人の男と出会う。1人は彼をイエロー・ジャーナリズムの記者にするエチエンヌ。もう1人はそうした現実に流されない優れた小説家ナタン。この2人はリュシアンにとって、悪魔と天使のようなもの。

一方、リュシアンは2人の女性と恋に落ちるが、普通、このパターンだと2人は善女と悪女になるところ、映画ではどちらも善人。

のっけからナレーションが多く、映像よりも言葉が先立っている印象で、映画としてはどうかと思ったが、最後になってこの手法の謎が解けた。

ナレーターは作家のナタンだったのだ。(声でわかった人もいるだろうけど。私はわからなかった。)

つまり、ナタンが原作者バルザックの分身だったのだ。

ナタンを映画監督として有名なグザヴィエ・ドランが演じたわけもこれでわかった。作家の役を本物の作家が演じたわけである。

前半はナレーションに頼りすぎなのではないかと思ったが、後半、ナタンの小説を読んだリュシアンがそのすばらしさに、いつものやり方でけなすことはできないと思うあたりからは純粋に映画として面白くなる。

そのリュシアンに対し、エチエンヌが、長所をけなすさまざまなやり方を言うシーンは、実際にそういうやり方で作品をけなすのが今でもよくあることを思って、苦笑してしまう。

リュシアンはナタンの小説を出版する出版社から詩集の出版を断られた恨みもあり、ナタンの小説をくそみそにけなす文章を書くが、それをまえもって出版社の社長に見せる。すると社長は、金を出すとか、詩集を出すとか言い出し、してやったりと思ったリュシアンは、最初に書こうと思っていた絶賛評を書く。リュシアンが文学魂を取り戻した瞬間であり、前からリュシアンにそれを望んでいたナタンも彼の文章に感動するが、しかし、リュシアンはその後も堕落の一途をたどる。

シューベルトをはじめとするクラシックの音楽が全編を流れ、リュシアンが爵位を求めて借金まみれになるあたりは「バリー・リンドン」に似てくるのだが、やはりここはバルザックの世界なので、登場人物も社会も単純ではない。王党派と自由派といった社会背景はよく知らないのだけど、その辺もからんでいて、また、ジャーナリズムの世界の変化も起こってくる。

いろいろと盛りだくさんな文芸娯楽映画であり、役者もみな、いいので、楽しめる。