2023年4月23日日曜日

りさ~ちまっぷ、その後

 ツツジとアゲハチョウ。


今年は花が咲くのが早く、ツツジも花がかなり枯れてきています。

さて、先月登録したリサーチマップ。ぼちぼち更新してるのですが、先は長い。

しかし、国立国会図書館のデジタル化が進んでいて、私が書いていた雑誌がけっこうデジタル化され、ネットでコピーを買えるらしいことがわかり、驚いています。

それも利用してぼちぼち更新していますが、私が業績として書き込んでいる映画評とか、商業誌に書いたものは、私が若い頃だったら業績とは認められないものだったんですよね。

業績と認められるのは学術誌に書いたものだけだったのです。

でも、今の研究者の業績リスト見ると、商業誌に書いたものが普通に研究論文リストに入っていたりします。まあ、私も「フランケンシュタイン」解説やシルヴァーバーグ解説、それに「幻想文学」に書いたものは研究論文に匹敵すると思っているので、入れてますが。

あと、驚いちゃうのは、同じ媒体に載った同じ文章を二重に業績にしている人が複数いたこと。

いや、私もキネ旬に書いた映画評がその後、ムック本に再録されれば、雑誌の映画評と共著の本として二重に書きますが(この場合も再録であることを断るのが本来の在り方)、上で言ってるのはそういうのじゃなくて、共著の本に書いた文章を、論文リストと著書リストの両方に二重に載せるとか、同じ論文を日本語と英語の両方で紀要に載せているのを、両方論文リストに入れるとかいうものです。

同じ文章が2つの媒体に載ったので二重に出すのではなく、まったく同じ媒体の同じ文章を二重に出すってことです。これで研究論文の数が実際の2倍になっている人がいて驚きあきれた。

私の若い頃は研究の世界はこういうことはだめったんですが、今は違うんですかね。あるいは、リサーチマップならいいけど、ほかではだめなのかな?

私が若い頃というのは1980年代で、この頃は商業誌にさかんに書いている人は研究者としてはキワモノ扱いでしたが、1990年代からマスコミで活躍する人が大学教授になるようになり、その辺の垣根が低くなったのかもしれません。私がリサーチマップに登録して書き込む気になったのも、その辺の変化に遅ればせながら気づいたからというのがあります。

でも、過去に書いた文章ばかり見ているというのは、未来に向かっていないということなんだよなあ。なんだか身辺整理をしているみたいで、複雑な心境。