2013年10月23日水曜日

映画の耐えられない長さ?

有名人気ブロガーが、映画館で上映中にスマホや携帯を見る人がいるのは、映画が耐えられないくらい長いからだ、という記事を書いている。
んんん? ほんとかね?
このブロガー自身がどうも、映画が耐えられないくらい長いと感じているようだが、上映中にスマホや携帯をいじる人は映画が長くて耐えられないからとは思えない。むしろ、スマホや携帯を常に見てないと気がすまない人たちなのだと思う。
そういう人はどこにでもいて、昨日の夜、電車が駅に着いたので、乗ろうとしたが、前に立っている人がスマホをずっといじっていて、前に進まない。それで、脇をすり抜けて入ったが、電車が来るまでの時間に耐えられなかったからとはとても思えない。
だから、そういう人たちがいるのを、映画の耐えられない長さ、などとやられてはかなわない。
ところが、この有名ブロガーの記事を読んだ、有名なのかどうかわからない別のブロガーが、やはり賛同するような記事を書いている。
この人は映画が耐えられないほど長いとは思っていないようで、タルコフスキーの難解な映画とか好きらしい。でも、うちでDVD見るときは途中でスマホをいじってしまうので、賛同したようだ。
別に、うちで見るときは何したってかまわないんですけど。公の場と自分だけの場を区別すれば、何の問題もない。着いた電車の入口でスマホをずっといじっているから迷惑なので、自宅で永遠にスマホいじっていても誰も文句は言わない(家族がいれば言うだろうけど)。
要するに、公の場所と私的な場所を区別しろ、という話で、上映中にスマホや携帯をいじる人に対して、他の客が「それなら映画館に来るな」と言うのもうなずける。今はDVDで見られるんだから、映画館に来なくても見られる。しかも、自分のペースで。

本当に、映画が耐えられないほど長い、と言っていい人は、トイレが近い人である。
今の映画は2時間半くらいあるものが多く、トイレ我慢は2時間が限界、という人は映画館に行けないという悩みを抱えている。しかも、座っている方がトイレが近くなるのだそうだ(立ち見の方がマシらしい)。
こういう人には私は大いに同情する。
かつて、2時間半以上ある大作映画には必ず休憩が入った。4時間近い「風と共に去りぬ」や「アラビアのロレンス」はもちろんのこと、2時間半の「ウェスト・サイド物語」にさえ休憩があった。トイレの我慢は2時間が限度、というのはある意味、真実なのだろう。ところが、あの3時間以上ある「タイタニック」は休憩がなかったので驚いた。それ以後、長い映画でも休憩を入れないのが当たり前になっている。(インド映画は3時間くらいあるのが普通だが、こちらはちゃんと休憩がある。)

個人的には、映画は90分から120分が最適と思っているので、最近の2時間半が当たり前のハリウッド映画は私も長いと感じる。スマホや携帯をいじる人はたとえ60分でもいじるだろうから、映画館を圏外にしてしまうのが一番いいと思うが、それとは別に、人間のバイオリズムに合った上映時間というものを映画を作る人は考えるべきだと思う。