2013年10月17日木曜日

クラリスのトラウマ

「羊たちの沈黙」は大好きな映画で、原作も面白かったが、本やネット上にあるさまざまな文章に引っかかることが時々ある。
その中でも特に気になるのは、女性主人公のFBI訓練生クラリス・スターリングが幼い頃に父を失って孤児となり、母のいとこ夫婦の牧場に預けられたとき、クラリスは養父から性的虐待を受けたと断言している文章がかなりあることだ。著名人の著書にさえ、こう書かれているものがある。
これはクラリスがレクター博士と何度目かの対面をしたときに、子供時代のことを話せと言われ、牧場に預けられたことを言う。そこで何かトラウマになるようなことがあったと見抜いたレクターは、養父から性的虐待を受けたのだろうと言うが、クラリスはきっぱりと否定する。「養父はまともな男でした」と彼女は言う。「まともな男」とは英語では「a decent man」で、性的虐待など決してしないまっとうな人間だということだ。このせりふを言うときのクラリスに迷いはない。ここは原作でもまったく同じである。
そして、その後、クラリスは、養父が牧場で子羊を殺していたのを見てしまい、それがトラウマになっていることを話す。「羊たちの沈黙」のタイトルはここから来ている。
養父は家畜を殺して肉にする職業だったのだ。つまり、養父は仕事として子羊を殺していたので、人間が肉を食べる以上、そうした仕事をする人がいるのは当然なのである。クラリスも、大人になった今では、そのことがわかっている。だから養父をまともな男だったと言うのだ。
にもかかわらず、なぜ、一部の人々は、クラリスが養父から性的虐待を受けたと思い込んでしまうのだろうか。性的虐待がトラウマの原因なら、子羊の叫び声がトラウマになったところから来た「羊たちの沈黙」というタイトルの意味がなくなってしまう。
もう1つ気になるのは連続殺人事件を追う中で、クラリスと上司クロフォードが死体発見現場の警察署へ行くシーンの解釈である。警察署にいるのは男性の保安官ばかりで、女性はクラリス1人。そんな中、クラリスの味方と思われたクロフォードが署長に、「女性の前では話しづらい」などと言って、2人で別室へ行ってしまう。男性保安官の中に残されたクラリスは男たちの好奇の目にさらされる。信頼していたクロフォードの言葉と、そして男たちの目に動揺したクラリスだが、殉職した元警察署長の父の葬儀を思い出して気を取り直す。次のシーンは、クラリスが保安官たちを前にして、「これからはFBIが担当しますのでお引取りください」と言う場面だ。保安官たちは不満げだが、彼女に従う。その後、FBIが検視を始める(この連続殺人事件は広域犯罪なので、地元の警察ではなく、FBIの管轄である)。
このシーンを女性差別のシーンと取り、重要なことを見逃す人がけっこう多い。
このエピソードの最後に、クロフォードは、署長と別室に行ったのは保安官を追い払うためだった、とクラリスに言う。つまり、彼は、「ここからはFBIが担当するので、お引取り願いたい」ということをクラリスに言わせたい、という相談を署長としたのだろう。クラリスはFBI訓練生だが、本物の捜査官になったら、そういうことをする場面も出てくる。その練習をさせたいのだ、と。
そして、クラリスには、わざと「女性の前では」と言って女性であることを意識させ、男性保安官の中に置いて、彼女が女性であることに負けないかどうか試したのではないか。クラリスは父を思い出すことによって動揺を収め、クロフォードが託した仕事を見事にやり遂げた。クロフォードの真意を理解したクラリスは、帰りの車で、彼をさらに尊敬したと語る。
男性保安官の好奇の目(ここはクラリスの視点で描かれているので、クラリスが意識しすぎている可能性もある)を女性差別と思い、そこに気持ちが集中すると、上に書いたようなことが読み取れなくなるのではないかと思う。
こうしてクラリスは成長していくのだが、一方、彼女が養父に性的虐待を受けたと誤解する観客がいるわけが最近、わかってきた。
クラリスはセクシーな美人である。だから、男たちから性的対象としていつも見られていた。たとえば、レクターのいる刑務所に行くと、ドクター・チルトンから誘いを受ける。刑務所の中では、独房の男から卑猥な言葉と精液を投げつけられる。証拠品の蛾のマユを調べるため、スミソニアン博物館へ行くと、研究員の1人が彼女をナンパする(この研究員はまともな男で、ナンパを断られればしつこくしない)。こんな具合なので、彼女は男の目を意識しやすいし、また、観客も彼女の受ける性的ストレスを感じる。そこから、性的虐待があったのでは、という誤解が生まれたのかもしれない。
思えば、クラリスを演じたジョディ・フォスターは、「タクシー・ドライバー」では少女娼婦、アカデミー賞受賞の「告発の行方」ではレイプ被害者と、ある種のセックス・シンボルのようなところがあった(「ホテル・ニューハンプシャー」でもレイプ被害者を演じている)。「羊たちの沈黙」のクラリスには彼女は向かないと多くの人が考えていたのは、彼女が知的な女性とは程遠い役を演じてきたからだ。しかし、一流大学卒のフォスターはクラリスの人物像を正確に分析して役をゲットし、みごとに女優としてのイメージチェンジに成功し、2度目のアカデミー賞を受賞した。
その後のフォスター、知的な役が多くなったフォスターをずっと見ていたので、彼女がかつてはセックス・シンボルであり、性の被害者の役が多かったということを忘れがちになるが、今、改めて「羊たちの沈黙」を見てみると、この映画には性の被害者を演じてきたフォスターが知的な女優になる過程そのものがあることに気づく。彼女のクラリスは、それまで彼女が演じてきた女性たちと同じく、男たちから性的な対象として見られやすい女性なのだ。クラリス自身、そのことに負けそうになるが、クロフォードとレクターの導きによって、そして亡き父の思い出によって、知的で強い女性に変化していく。それはまさに、蛾や蝶のようなメタモルフォーゼであり、この映画のモチーフの1つとも合致する。