2022年2月12日土曜日

40年ぶりの「ウェスト・サイド物語」

 昨日、「ウェスト・サイド・ストーリー」を見て、前記事を書き、そして日付が変わった深夜、どうしても旧作「ウェスト・サイド物語」で口直しがしたくて、DVDを見てしまった。


だいぶ前に買ったものだが、通して見たのは今回が初めて。大学の授業で何度か取り上げたときに一部のシーンを見せるのに使っただけだったのだ。

実は私はこれまで「ウェスト・サイド物語」は映画館でしか見たことがなかった。

始めて見たのは1969年。初公開時に1年以上のロングランをした丸の内ピカデリー(旧)でのリバイバル上映。初公開後の最初のリバイバルだった。

その後、日比谷スカラ座(旧)、テアトル東京などで何回か見た。映画鑑賞記録を見ると、最後に見たのは1981年11月、今はない渋谷東急。

数えてみたら全部で6回で、意外と少ないと思ったが、テアトル東京のみシネラマ、あとは全部70ミリで見ているはず。(当時は入れ替え制でなく、1日に2回見たりしていたので、7回以上の可能性が高い。)

その後、午前十時の映画祭などで上映されたが、見に行かなかった最大の理由は70ミリじゃないから。

映画館ですら70ミリじゃないので行かないのだから、ビデオやDVDなどで見るはずがない。映画館で見た映画をとことん劣化した状態で見るのは耐えられない。

最後に映画館で見てから40年あまり。劣化した状態のものを見るくらいならもう一生見なくてもいいと思っていたが、スピルバーグのリメイクにいろいろ疑問を感じたので、ついに見てしまった。

それにしても、三つ子の魂百まで、とはよく言ったもので、ずっと昔に見ただけなのにものすごくよく覚えている。英語の歌詞もばっちり覚えていて、リメイクで歌詞が変わっているところがことごとくわかってしまう。

そんなわけで、深夜にDVDを見ていたのですが、リメイクとほぼ同じ上映時間なのに旧作の方が全然テンポがいいので、短く感じる。もう、最初から完璧な出来栄えなんだが、その完璧が後半になるとさらに完璧な展開になり、こりゃどこをとっても新作は負けるわ、比べちゃあかん、とも思った。

いや、新作もいいところはいろいろあって、特に前半はこれはなかなかいいぞと思えたのだが、途中からだんだん疑問が多くなってきてしまった。特に「アイ・フィール・プリティ」と「サムウェア」の出し方は大いに疑問。決闘前のクインテットも今一つ。ただ、「あんな男に、私は愛している」だけは抜群にいい。

ラストも、旧作はジェット団、シャーク団の全員、それに刑事と警官も登場して、みんながマリアの姿に心を打たれる、という描写になっているが、新作はジェット団とシャーク団の一部だけしかその場にいない。つまり、新作では、これほどの犠牲を払っても一部の人の心にしか響かない、という現実を示しているのだろうが、でも、それが納得のいくような描写とも思えない。旧作の方が「ロミオとジュリエット」のラストに従っている。

「ウェスト・サイド物語」(舞台と映画の両方)には絵空事だとか甘いとかいう批判があるのだが、今回旧作を見たら、公民権運動の時代らしく、人種差別が強調されていた。新作は人種差別の要素は旧作より薄い。

絵空事といえば、「ロミオとジュリエット」とか、古いものはだいたい絵空事なんで、「ウェスト・サイド物語」もすでに古典だから、絵空事でどこが悪い、と私は思うのだが。スピルバーグの方は絵空事ではないとでもいうのかな。スピルバーグこそ、絵空事でも素晴らしい映画を作ってきた監督なのでは?

40年ぶり、DVDで見た「ウェスト・サイド物語」。映画館の記憶と比べるとやはりものすごく、ものすごーく、ものすごおおおおおおおおおおく劣化してました。

ポータブル・ブルーレイ・プレーヤーだから画面小さいし。

特に最初のマンハッタンを縦線で表した序曲の映像、70ミリで見たのに比べ、あまりに小さく、あまりに色が悪く、その劣化に打ちのめされたけれど、本編が始まったら、映像が劣化していても引き込まれてしまいました。経年劣化はしょうがないよね。記憶の中の最高の映像を忘れないようにしよう。