2022年10月15日土曜日

新しいものと古いもの

 上野動物園の来年のカレンダー、シャンシャンが出ていたら買おう、と思って見たら、出ていたので買った。その下にあるのは、マランツのCDプレーヤーのカタログ。


長年使っていたアンプとCDプレーヤー一体型のマシンがCDを認識しなくなってしまい、まあ、もう四半世紀使ってるしな、と思ったけれど、レンズクリーナー使えばまだ大丈夫?などと思いつつ、しばらく何もしていなかった。

昨日、映画で柏へ出かけ、駅前のビックカメラに行ったら、クリーナーが安売りされていた。が、説明書きを読んでわかったことが!

CDを認識しないということは、このクリーナーも認識しないので使えないのだ。

修理とかもう無理だろうし、やっぱ、買い替えかな?と思い、オーディオ機器売り場を見ていたら、このカタログのマシンが目についた。

ヘッドフォンだけで聞くならアンプがいらないみたい。

外見も気に入った。値段も10万円くらい。

残念ながら試聴ができないので、あとでヨドバシアキバへ行って試聴して、よかった買おう、などと考えていた昨日。

でも、今、収入減っていて赤字なので、もう少し値段が下がってから、それまでに少しなんとか収入増やすことを考えて、などという方向に行っているところ。

冷蔵庫もそろそろ買い替えどきなのだけど、この年になると、もう次が最後の冷蔵庫になるのだよね、などと思う。あのCDプレーヤーも買ったとして、あと何年聞くことになるのだろう。

柏のキネマ旬報シアターは映画書の図書コーナーがあって、キネ旬のバックナンバーがそろっているので、時間があれば読んだりしている。「叫びとささやき」を見たあと、初公開時のバックナンバーで評論や分析再録を読めたのがとてもよかった。

今回、ちょっと前から気になっていた記事があったので、それを探して読んだ。

「羊たちの沈黙」初公開時の特集に載ったI氏の作品評に対するA氏の長文の反論が別の号に出ていて、タイトルだけたまたまネットで見て、気になっていたのだ。

それでA氏の評論だけでなく、特集の方も作品評2つに目を通してみたが、どれも的外れだと感じた。

特にA氏の評論には事実誤認が多い。全体に、相当に的外れ。

A氏が反論した相手、I氏の文章も、そして、批判評のS氏の文章も、作品の本質を見誤っているとしか思えなかった。

「羊たちの沈黙」はその後大ヒットし、大変人気のある映画なので、ネットには多くの映画評が出ているが、それらに比べてもこの3人の批評は相当に的外れだと思う。

なぜそうなったのか。理由はいろいろ思いつくのだが、1つは時評の限界ということだと思う。

初公開時、それも試写で見ただけだとまだ作品に対する情報が不足しているので、的外れになることがままあるのだ。

しかし、公開後にいろいろと情報が出てきて、あとから書く人はその情報を得た上で書くので、的外れになりにくい。

自分が過去に書いた映画評の中にも、今読むと的外れだったものがある。

A氏、I氏、S氏は80年代に「リュミエール」で活躍していた人たちで、「リュミエール」が廃刊になり、一方、キネ旬は90年春に編集部員が大幅に替わり、そこに彼ら「リュミエール」の人たちがやってきた、という印象がある。私の方は原稿を依頼してくれていた編集者が全員やめてしまったので、キネ旬からは離れてしまい、当時のキネ旬はあまり読むこともなく、今回、当時のバックナンバーを手に取って、ああ、当時はこんな感じだったのか、と思った。「羊たちの沈黙」はフェミニズムを無視しては語れない作品なのに、フェミニズムどころか男性原理が強い映画評(特にA氏)ばかりなのも、時代なんだろうな、と思った。I氏ですらフェミニズムを出さないのには驚いたのである。

追記

31年も前の論考なので、非難がましいことは書かないようにしようと思っていたのだが、あのA氏の文章はかなり胸糞悪い。あの胸糞悪さというのは、のちに映画学者として有名になる某氏が80年代の若い頃に雑誌に書いた、映画を論じることは映画を凌辱すること、みたいな文章に通じる。

A氏の文章は、監督が凌辱していると書いているのだけど、実際はそんなことはまったくなくて、書き手のスケベ根性の発露じゃねえの、と思ってしまう。監督と作品に失礼な文章だ。

もしかして、あの頃、一部の若い男性論客の中に、映画を凌辱するオレ、かっけえ、みたいな風潮があったのではないのか。

I氏に名指しで反論している文章なのだが、I氏の作品評もあまり感心はしないが、あんなやり方で暴力的に、名指しで反論されて、I氏はどう思ったのだろう。

思えば「リュミエール」にI氏が登場したとき、主催のH氏が「I氏のような繊細な女性の登場を望む」みたいなコメントを編集後記に書いていて、ああ、この雑誌はそういうところなのね(I氏が登場するまでは男ばっか)と思ったのをよく覚えている。今では完全に性差別発言だけど、当時はそういう認識だったのだろうね。

当時、私はH氏の派閥とは無縁で、私とつきあいがあった映画関係者もH派は好きじゃないというか、だから私に書かせてくれていたんだけど。まあ、30年以上前の話です。