2025年7月24日木曜日

「秋が来るとき」@柏(ネタバレ大有り)

 昨日は柏のキネマ旬報シアターにフランソワ・オゾンの新作「秋が来るとき」を見に行った。


柏まで行くのだからドンキとか見ておこう、と思い、開映2時間前に柏に到着。チケットはネットで予約してあったが、映画館のポスターなどの写真を先に撮る。水曜はレディースデーからキネ旬デーに変わっていた。メンズデーは廃止。


このあと、かつやで遅いお昼を食べてからドンキへ行く。柏のドンキは1階から3階で、フロアごとにジャンル分けされてるので目的のものが見つけやすい。うちの近所みたいにワンフロアにぎゅっと詰まってるとほんと、熱帯雨林状態。

4階がDaisoとブックオフになってたが、これは閉店したヨーカドーから引っ越してきたのだろうか。


入口に水槽があって、熱帯魚が泳いでいる。



ドンキや他の店をのぞいたりしているうちに映画の時刻が近づき、映画館に戻る。かつやの手前にベローチェがあるんだけど、コーヒー330円になっていた!


ほとんど予備知識なしで見た「秋が来るとき」。フランスの田舎に住む老婦人ミシェルの家に、パリに住む娘のヴァレリーと孫のルカがやってくる。ミシェルとヴァレリーの間には確執があり、最初はよくある母娘の確執に見える。娘は母親の財産をもらうことしか考えていないように見える。おまけにミシェルが森でとってきたキノコに毒キノコがまじっていたことから、ヴァレリーは母親が自分を殺そうとしたと言い、孫のルカに会わせなくなる。

この段階では母娘の確執、娘が母親を嫌っていたり、母親が娘は自分を金づると思っていると感じたり、というのは世間によくあることのように見えるのだが、その後、しだいに、彼女たちの問題が普通ではないことがわかってくる。このあたりの作劇のみごとさはいかにもオゾンらしい。

映画の冒頭、教会の神父がマグダラのマリアについて語るシーンがあるが、実はこれが伏線だった。

ミシェルには同世代の親友マリー・クロードがいて、彼女の息子ヴァンサンは刑務所に入っていたが、途中で出所してくる。ミシェルはヴァンサンの社会復帰のために家の雑用の仕事を頼み、その過程でヴァンサンは孫に会えないミシェルに同情するようになる。

以下、ネタバレ。


ミシェルに同情したヴァンサンはパリへ出かけ、ヴァレリーを説得しようとするのだが、それがきっかけでヴァレリーはベランダから転落死してしまう。

周囲はヴァンサンがいたことを知らず、事故か自殺かと考える。離婚したヴァレリーの元夫がドバイから駆け付けるが、息子のルカは祖母と暮らしたがったので、ルカはミシェルの田舎の家で暮らす。

実はミシェルとマリー・クロードはかつて、パリで娼婦をしていたことがあり、田舎町でもそれは知られていて、ルカはいじめにあう。ヴァレリーが母親を嫌っていたのはそのためだった。ヴァンサンが麻薬の売人になって服役したのも、それが影響していたのかもしれない。

ヴァレリーや、町の一部の人たちは、いまだにマグダラのマリアを許せなかったのだ。

ミシェルはその後、ヴァンサンが店を開業するための資金を提供する。彼女はけっこうお金持ちみたいなのだが、どうやって儲けたのかはちょっとわからない。娼婦の仕事で儲かったとも思えない。親の遺産かな?

ヴァンサンが娘ヴァレリーの死の原因になったことを知らず、資金を提供するのだが、ヴァンサンは母親には正直に話し、彼女は息子がよかれと思ってしたことのためにヴァレリーが死んでしまったことをミシェルに話す。しかし、ミシェルはヴァンサンの善意を肯定し、それ以上追及しない。

孫のルカを手に入れたのだから、ヴァンサンを許したのだろうか?

ヴァレリーの幽霊が時々、ミシェルの前に現れるのだが、彼女は母親を責めているようには見えない。

ヴァンサンがからんでいるという密告があり、パリから女性警部がやってくる。ヴァンサンのことを訪ねられたミシェル。窓の外には娘の幽霊がいる。彼女の顔を見て、ミシェルは「彼はパリへ行っていない」と言う。その後、防犯カメラにルカとヴァンサンらしき男がすれ違うのが映っていたということで、ルカも質問されるが、ヴァンサンではない、と彼は言う。

ミシェルにとってヴァンサンは息子のような存在になっており、また、ルカにとっては父親のような存在になっている。マリー・クロードも含めたこの「聖家族」を守るためにミシェルとルカは嘘をついたのだろうか?

しかし、ミシェルは娘の幽霊の顔を見て、ヴァンサンは無関係だと言ったのだ。娘のヴァレリーが彼らを守りたかったのではないか。

生前のヴァレリーは娼婦だった母親を許せず、つらく当たっていたが、ヴァンサンが訪ねてきたときには飛び降りて死にたいみたいなことも言っていて、母を許せない自分自身のこともつらかったのではないか。

ヴァンサンもまた、母の死に際して、何かつらいものを抱えていたように見える。

歳月が流れ、ルカが大人になった頃、ミシェルはこの世を去るが、その前に、娘のヴァレリーと和解したように見えるシーンがある。

最初にマグダラのマリアの話が出てくるように、この映画は「赦す(許す)こと」がテーマなのだ。幽霊となったヴァレリーは母を許し、ミシェルはヴァンサンを許し、ルカも祖母とヴァンサンを許す。マリー・クロードの葬式に昔の娼婦仲間が退去して押し掛けるのも、彼女たちが許された証だろう。ヴァンサンも、母を許したに違いない。

祖母が孫を手に入れるためならなんでもする、みたいに解釈している人もいるようだが、それは違う。この「赦し」のテーマはキリスト教徒の人々の方が刺さるだろう。ロッテントマトでの高評価もうなずける。