例のベローチェのレシートでもらえる猫クリアファイル。9月の木登り猫が5枚も出てしまい、その後はレシート集めに専念していました。
15枚もらったうち5枚が9月。それでも12枚目までは9月以外はかぶっていなかったのが13枚目からは新しいものがまったく出なくなり、これはコンプリートは無理ではないかと。
ツイッターで検索すると、最初のうちはファイルもらったという喜びの声や、8枚もらってまだかぶりなしという幸運な人の声があふれていましたが、最近は同じものばかりが出るといった愚痴が多くなってきています。やはり同じものが何度も出る人が少なくないらしい。例の5枚も出た9月は他の人もかぶっているようで、どうも出やすい月とそうでない月がある模様。
ただ、2枚もらうと5月と6月みたいに続いて出るようなので、12枚もらえる分のレシートをためれば一気にコンプリートできるのではないか、とか、持ってない月の直前のが出たら、そのあとももらえば持っていない月が手に入るのではないか、とか思い、しばらくレシートをためてまとめてもらおうとしていました。
が、昨日、ベローチェで、まだ手に入っていない1月の直前の月である12月を手に入れた人がすぐそばにいたので、これはチャンスだ、すぐ行けば1月から4月が手に入るかも、と思い、たまっていたレシートを持ってレジへ。
持っていないのは1月、3月、4月の3枚。12月が出た人のすぐあとに4枚もらえば、うまくすればコンプリート、そうでなくても1枚か2枚は持っていないものがあるだろう、と期待に胸をふくらませ、帰宅して中を見たら、なんと、5月から8月の4か月だった。
1月から4月を他の人に取られたとは考えにくいので、1月から4月はなかったとしか思えない。
これまでは9月ばかり出るのは運が悪いと思っていましたが、今回は12月をもらった人を見て、ある意味、賭けに出て、4枚もらったのですが、この賭けには完全に負けてしまいました。
でも、1月から4月が最初からないのだとしたら、運がないわけではないし、賭けに負けたわけでもない。(ない店でもらったのは運がないし、ない店に賭けたのだから賭けに負けたともいえるが。)
もしも12枚分のレシートをためて、それを持っていっても、1月から4月がない店だったら、5月から12月で12枚、うち4枚はだぶることになります。
実際、今回は5月から8月の4か月分続けて出ているわけなので、並んで出るのは間違いない。ただ、1月から4月が抜けていた、としか思えない。
その店は以前にももらったことがありましたが、5月から9月の間のものでした。
そして、他のもらった店もチェックしてみると、1店舗あたりの枚数が少ないのでなんともいえませんが、5月から12月以外の月が出たのは某所の2店舗のみ。この2店舗ではどちらも2月が出ました。
1月から4月で今まで出たのは2月のみ。そして出たのが某所の至近距離にある2店舗。
まあ、なんとなく傾向が見えてきたような見えないような。
店による、のだったら、もう、どうしようもないですね。
仲間同士でかぶったのを交換し合ってコンプリートした人もいるようです。その一方で、ヤフオクにコンプリートのセットがいくつも出品されていて、コーヒー飲むよりここで買った方が早いという意見も。また、なんでこんなにセットが出品されているのか、という疑いも出ているようで、景品というのはこういうものなんだろうなあとも思います。
私の場合、最初の4枚で欲しい絵柄ベスト3(2月、7月、12月)が出そろってしまい、そこでやめた方が精神衛生上よかったと思うのですが、5枚目にダブリの9月が出て、それが悔しくて、集め始めてしまった感じ。9月が出ると次は新しいのが出るという具合に、9種類までは集まりましたが、その後はダブリしか出ないし、今回、もともと店にないのではないかという疑問も浮かんだので、そろそろやめどきかもしれません。
映画や日常生活のブログ。記事内の写真はクリックすると大きくなります。別ブログ(ログインできなくなった場合用)http://sabre26.cocolog-nifty.com/blog/
2019年2月21日木曜日
2019年2月19日火曜日
ベローチェで停電&「ボヘミアン・ラプソディ」21回目
久々「ボヘミアン・ラプソディ」を見に行く。
一時はしょっちゅうリピートしていたけれど、さすがに最近はリピートしておらず、約3週間ぶり、21回目の「ボヘミアン」。場所は亀有。
亀有では長いこと「ボヘミアン」優遇で、最大箱のシアター10で上映していたが、さすがに年末からは新作に譲り、しだいに箱も小さくなっていたけれど、時々、思い出したように最大箱で上映してくれる。1月中旬にも最大箱になったときがあったが、そのときはさすがにこれが最後だろうと思って見に行った。
が、2月に入ってまたまた最大箱。月曜から木曜、1日1回午後の回とはいえ、ありがたや、とまた見に行ったのでした。
が、どうも、最近は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」や「女王陛下のお気に入り」やベローチェの猫クリアファイルが気になっていて、以前ほど身が入らない。せっかくの亀有最大のスクリーンで、音響もかなりよいというのに。
1月末に見たのがIMAXだったので、ちと見劣りするというのもある。
いつまでやってるのかな、「ボヘミアン」。
ということで、「ボヘミアン」の前にベローチェでコーヒーを飲んでいたら、いきなりの停電。昼間とはいえ、薄暗い店内。少し待っていたけど電気つかないし、そろそろ行かなければ、と思って外に出たら、その辺一帯が停電していた。
まさかシネコンも停電じゃないよね?
と思いつつ、亀有のシネコンへ向かう。
実はベローチェからシネコンまでは約2キロの道のり。ひと駅分の距離。しかも初めて歩く道。
いやこれが、なかなかたどり着かないのですね。
途中までは静かな住宅地を歩いていくのですが、途中から広い道路になり、ここをまっすぐ行けばシネコンのあるショッピングセンターに着くはず。
が、その広い道路に出てからが長く感じる。まっすぐなので余計そう感じる。いつになったらショッピングセンターが見えてくるの?と思いつつ、ひたすら前へ前へ。
そのうち亀有駅が左の少し遠方に見えてきて、駅前のヨーカドーも見えたので、道は間違ってないと思い、そのまましばらく歩くと環七通りとの交差点が見えてきた。その交差点の向こうがショッピングセンター。時計を見ると徒歩20分余りだったけれど、ずいぶん長く感じた。いやもう、二度と歩きたくないね、この道、と思いました。
前の晩、寝不足だったのと、ここで速足で歩いたので疲れたせいで、今回は少し集中力を欠いた鑑賞になってしまったのが残念。
停電はその後すぐ直ったようだし、シネコンの方には影響はなかったようです。ただ、シネコンに向かう前に銀行のATMを使おうと思ったら、停電の影響で今は使えませんと言われてしまった。
シネコンのあるショッピングセンターは冬のイルミネーションも終了し、アイススケートのリンクも片付けの最中でした。春は近いのだと実感しました。
一時はしょっちゅうリピートしていたけれど、さすがに最近はリピートしておらず、約3週間ぶり、21回目の「ボヘミアン」。場所は亀有。
亀有では長いこと「ボヘミアン」優遇で、最大箱のシアター10で上映していたが、さすがに年末からは新作に譲り、しだいに箱も小さくなっていたけれど、時々、思い出したように最大箱で上映してくれる。1月中旬にも最大箱になったときがあったが、そのときはさすがにこれが最後だろうと思って見に行った。
が、2月に入ってまたまた最大箱。月曜から木曜、1日1回午後の回とはいえ、ありがたや、とまた見に行ったのでした。
が、どうも、最近は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」や「女王陛下のお気に入り」やベローチェの猫クリアファイルが気になっていて、以前ほど身が入らない。せっかくの亀有最大のスクリーンで、音響もかなりよいというのに。
1月末に見たのがIMAXだったので、ちと見劣りするというのもある。
いつまでやってるのかな、「ボヘミアン」。
ということで、「ボヘミアン」の前にベローチェでコーヒーを飲んでいたら、いきなりの停電。昼間とはいえ、薄暗い店内。少し待っていたけど電気つかないし、そろそろ行かなければ、と思って外に出たら、その辺一帯が停電していた。
まさかシネコンも停電じゃないよね?
と思いつつ、亀有のシネコンへ向かう。
実はベローチェからシネコンまでは約2キロの道のり。ひと駅分の距離。しかも初めて歩く道。
いやこれが、なかなかたどり着かないのですね。
途中までは静かな住宅地を歩いていくのですが、途中から広い道路になり、ここをまっすぐ行けばシネコンのあるショッピングセンターに着くはず。
が、その広い道路に出てからが長く感じる。まっすぐなので余計そう感じる。いつになったらショッピングセンターが見えてくるの?と思いつつ、ひたすら前へ前へ。
そのうち亀有駅が左の少し遠方に見えてきて、駅前のヨーカドーも見えたので、道は間違ってないと思い、そのまましばらく歩くと環七通りとの交差点が見えてきた。その交差点の向こうがショッピングセンター。時計を見ると徒歩20分余りだったけれど、ずいぶん長く感じた。いやもう、二度と歩きたくないね、この道、と思いました。
前の晩、寝不足だったのと、ここで速足で歩いたので疲れたせいで、今回は少し集中力を欠いた鑑賞になってしまったのが残念。
停電はその後すぐ直ったようだし、シネコンの方には影響はなかったようです。ただ、シネコンに向かう前に銀行のATMを使おうと思ったら、停電の影響で今は使えませんと言われてしまった。
シネコンのあるショッピングセンターは冬のイルミネーションも終了し、アイススケートのリンクも片付けの最中でした。春は近いのだと実感しました。
2019年2月17日日曜日
「女王陛下のお気に入り」2回目:想像以上に「バリー・リンドン」だった
一昨日に続いて、別のシネコンで「女王陛下のお気に入り」2回目を鑑賞。
驚いた。スタンリー・キューブリックの「バリー・リンドン」と共通するところがいろいろとある。
1回目は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の余韻で頭がいっぱいな状態で見たのと、席が前すぎて下から見上げる形で非常に見づらく、そのせいもあって、内容があまり理解できなかった。なので、映像がとにかく奇妙だけど気になる、衣装や美術や音楽が「バリー・リンドン」級、そして3人の女優の名演技、くらいしか理解していなかった。
ただ、とにかく映像が奇抜で、魚眼レンズみたいに歪んでるとか、なぜか下からのアングルばかりとか、カメラがパンするときも魚眼レンズみたいとか、その辺がものすごく気になり、下から見上げる状態ではなく、きちんと正面から見たいと思って、2回目の鑑賞となった。
いや、ほんと、見に行ってよかったです。
1回目のときはランティモス監督の前作「聖なる鹿殺し」が好みでなかったせいもあって、自分の好きな映画とは思えなかったのだけど、2回目を見たら、これは私好みの映画、しかも私の守備範囲ドンピシャリ!とわかったのでした。
以下、ネタバレ大有りなので、注意してください。
時代は「バリー・リンドン」よりも少し前で、イギリスがフランスと戦争をしていた18世紀。アン女王(オリヴィア・コールマン)を操る親友のモールバラ公爵夫人サラ(レイチェル・ワイズ)は夫が司令官であることもあり、増税してでも戦争を続けるよう女王を説得しようとする。一方、政治家のハーレー(ニコラス・ホルト)はそれには反対で、イギリスが勝利したのだから和平を結ぶべきであり、増税したり戦争を続けたりすれば国民の怒りを買う、と主張。そんなときにアン女王の前に現れたのが貴族から身を落としたアビゲイル(エマ・ストーン)。親戚であるサラを頼って宮廷に下女として入り、やがて女王に気に入られて侍女となる。アビゲイルはさまざまな手を使って女王の寵愛を受け、サラを窮地に陥れて追い出す。
アビゲイルは「バリー・リンドン」の原作者サッカレーが好んで描いたピカロ(男性)またはピカラ(女性)に相当するタイプの人物で、「バリー・リンドン」の主人公や「虚栄の市」のベッキー・シャープに当たる。彼らは没落した中産階級で、才覚でのしあがっていく魅力的なワルである。アビゲイルはまさにピカラなのだ。
しかし、「女王陛下のお気に入り」はもうひとひねりした「バリー・リンドン」とでも言えるところがある。それは映画の最後の部分、アビゲイルの策謀で追い出されたサラを女王が心の底では思っていて、サラの手紙を心待ちにしているあたりだ。「バリー・リンドン」ではレディ・リンドンを思いのまま操っていたバリーがやがて落ちぶれ、レディ・リンドンの連れ子のブリンドン子爵に追い出され、その後、ブリンドンが母を支配するが、母レディ・リンドンは心のどこかで夫のバリーのことを思っているように描かれる。このラストの部分が、「女王陛下~」ではアン女王がレディ・リンドン、女王を操るアビゲイルがブリンドン、追い出されたサラがバリーに見える。流れるクラシックの曲も「バリー・リンドン」のラストに流れるシューベルトのピアノ三重奏を想起させるような音楽。
だが、「女王陛下~」はここでまたひとひねりする。
サラの手紙を女王に渡さずに燃やしたアビゲイルはうさぎを足で押さえつけるが、その後、女王から脚をもむように言われ、もんでいるとき、女王はアビゲイルの頭を押さえつける。結局、アビゲイルは女王に押さえつけられる存在だということを暗示して映画は終わる。
もうだいぶ昔のことになるが、「バリー・リンドン」についての英語の評論を読んだとき、主人公が左から右に移動するときは上昇だが、右から左に移動するときは没落になっている、と書いてあって、たいそう感心したことがある。
「女王陛下~」では落ちることが没落のシンボルになっている。
アビゲイルは宮廷に馬車で着いたとき、押されて馬車から落ちて泥だらけになる。その後も前半は落とされたり倒されたりするシーンがある。
ところが後半になると、アビゲイルに毒を盛られたサラが気絶して落馬し、そのまま馬にひきずられて泥だらけになる。
前半の落ちたり倒れたりするアビゲイルは、貴族から身を落とした状態を表しているが、後半では今度はサラがアビゲイルの策略で没落するのを落馬で表している。
そして、ラスト、今度は女王がベッドから落ちる音がして、アビゲイルが女王のもとへ行き、そこから脚をもむシーンになるのだが、ここでは女王が落ちるということで、一見、女王が没落したかに見えるが、そのあと、アビゲイルが女王に頭を押さえつけられるという逆転になる。
落ちることが要所要所でポイントになり、女性たちの上昇や没落を表現している。
「女王陛下~」はクラシックを使った音楽も「バリー・リンドン」を連想させるもので、想像以上に「バリー・リンドン」だったが、映画全体のモチーフはかなり違っている。
この映画は最初の映画会社のロゴが出てくるときに鳥の声のような自然の音が響いているのだが、1回目に見たときは鳥の声だと思った。が、2回目に見たら、確かに鳥の声もあるけれど、中心になっている音はうさぎの声じゃないかという気がした。映画が始まると、女王の部屋の17羽のうさぎが登場し、確かにあれはうさぎの声だったとわかった。
そしてラストは、女王の脚をもむアビゲイルと、それを見下ろす女王の顔がだぶり、そこに無数のうさぎの映像がだぶって、しだいにうさぎの映像が2人の顔を消していく。
脚をもむというのは、アビゲイルが結婚したあと、初夜に夫に手淫するシーンと対応していて、脚は男根の象徴でもあるのだが、夫に手淫するシーンはアビゲイルが夫を支配しているのに対し、女王の脚をもむシーンではアビゲイルは頭を押さえつけられていて、完全に女王に支配されている。その前に、アビゲイルがうさぎの頭を足で押さえつけるシーンがあり、うさぎを支配しているつもりの彼女もまたうさぎと同じという意味だとわかる。
そして、うさぎが画面を覆い尽くすラストのあと、暗転してエンドロールが始まるのだが、バックに流れるのがエルトン・ジョンの「スカイライン・ピジョン」。
その歌が終わると、今度は鳥の鳴き声や羽ばたきが響いてくる。
うさぎの声で始まり、鳥の声と羽ばたきで終わる映画なのだ。
鳥の声と羽ばたきは、「空へ羽ばたかせてほしい」と歌う「スカイライン・ピジョン」とみごとに呼応する。
羽ばたかせてほしいのはアビゲイルだが、脚が悪い女王も、夫ともども追放される運命のサラも、自由に羽ばたかせてほしいのかもしれない。
うさぎであるということは不自由なのだ。
そして、人間は結局、みな、うさぎなのか?
(うさぎは裕福な上流階級に支配される庶民という見方もできる。)
下からのアングルは、やはり、地面をぴょんぴょん跳ねるうさぎの視点なのだと思う。
魚眼レンズのゆがんだ画面も、うさぎの目で見た世界ではないだろうか。
増税してまで戦争を続けるかどうか、という政治的な部分は映画の中ではあまり重要ではなさそうだ。国民の怒りを買うとして反対したハーレーも、別に立派な人物には描かれていない。そこにあるのはただ、ちまちまとした権力争いだけなのだ。
錦糸町のシネコンではエンドロールが始まるとお客さんがどんどん帰ってしまったが、今回のシネコンも多少帰る人はいたけれど、錦糸町ほどではなかった。最後の鳥の声と羽ばたきまでしっかりと聞いてから席を立ってほしい。
それにしても、1回見ただけではわかりにくい映画だけど、2回見るととても面白い。映像も細部まで凝っていて、一度では全部見切れないから、2回見た方がじっくりあちこち注意して見られる。
もしも最初から今回のシネコンで見ていたら、こんなものかくらいの感想を抱いて、2回は見なかっただろう。錦糸町で見づらい思いをして、たまたま次が無料のポイント鑑賞だし、好きなスクリーンでやってるから、ということで2回目を見に行ったのだが、行って本当によかった。特に今回は音響がかなりよくて、非常に満足。
驚いた。スタンリー・キューブリックの「バリー・リンドン」と共通するところがいろいろとある。
1回目は「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」の余韻で頭がいっぱいな状態で見たのと、席が前すぎて下から見上げる形で非常に見づらく、そのせいもあって、内容があまり理解できなかった。なので、映像がとにかく奇妙だけど気になる、衣装や美術や音楽が「バリー・リンドン」級、そして3人の女優の名演技、くらいしか理解していなかった。
ただ、とにかく映像が奇抜で、魚眼レンズみたいに歪んでるとか、なぜか下からのアングルばかりとか、カメラがパンするときも魚眼レンズみたいとか、その辺がものすごく気になり、下から見上げる状態ではなく、きちんと正面から見たいと思って、2回目の鑑賞となった。
いや、ほんと、見に行ってよかったです。
1回目のときはランティモス監督の前作「聖なる鹿殺し」が好みでなかったせいもあって、自分の好きな映画とは思えなかったのだけど、2回目を見たら、これは私好みの映画、しかも私の守備範囲ドンピシャリ!とわかったのでした。
以下、ネタバレ大有りなので、注意してください。
時代は「バリー・リンドン」よりも少し前で、イギリスがフランスと戦争をしていた18世紀。アン女王(オリヴィア・コールマン)を操る親友のモールバラ公爵夫人サラ(レイチェル・ワイズ)は夫が司令官であることもあり、増税してでも戦争を続けるよう女王を説得しようとする。一方、政治家のハーレー(ニコラス・ホルト)はそれには反対で、イギリスが勝利したのだから和平を結ぶべきであり、増税したり戦争を続けたりすれば国民の怒りを買う、と主張。そんなときにアン女王の前に現れたのが貴族から身を落としたアビゲイル(エマ・ストーン)。親戚であるサラを頼って宮廷に下女として入り、やがて女王に気に入られて侍女となる。アビゲイルはさまざまな手を使って女王の寵愛を受け、サラを窮地に陥れて追い出す。
アビゲイルは「バリー・リンドン」の原作者サッカレーが好んで描いたピカロ(男性)またはピカラ(女性)に相当するタイプの人物で、「バリー・リンドン」の主人公や「虚栄の市」のベッキー・シャープに当たる。彼らは没落した中産階級で、才覚でのしあがっていく魅力的なワルである。アビゲイルはまさにピカラなのだ。
しかし、「女王陛下のお気に入り」はもうひとひねりした「バリー・リンドン」とでも言えるところがある。それは映画の最後の部分、アビゲイルの策謀で追い出されたサラを女王が心の底では思っていて、サラの手紙を心待ちにしているあたりだ。「バリー・リンドン」ではレディ・リンドンを思いのまま操っていたバリーがやがて落ちぶれ、レディ・リンドンの連れ子のブリンドン子爵に追い出され、その後、ブリンドンが母を支配するが、母レディ・リンドンは心のどこかで夫のバリーのことを思っているように描かれる。このラストの部分が、「女王陛下~」ではアン女王がレディ・リンドン、女王を操るアビゲイルがブリンドン、追い出されたサラがバリーに見える。流れるクラシックの曲も「バリー・リンドン」のラストに流れるシューベルトのピアノ三重奏を想起させるような音楽。
だが、「女王陛下~」はここでまたひとひねりする。
サラの手紙を女王に渡さずに燃やしたアビゲイルはうさぎを足で押さえつけるが、その後、女王から脚をもむように言われ、もんでいるとき、女王はアビゲイルの頭を押さえつける。結局、アビゲイルは女王に押さえつけられる存在だということを暗示して映画は終わる。
もうだいぶ昔のことになるが、「バリー・リンドン」についての英語の評論を読んだとき、主人公が左から右に移動するときは上昇だが、右から左に移動するときは没落になっている、と書いてあって、たいそう感心したことがある。
「女王陛下~」では落ちることが没落のシンボルになっている。
アビゲイルは宮廷に馬車で着いたとき、押されて馬車から落ちて泥だらけになる。その後も前半は落とされたり倒されたりするシーンがある。
ところが後半になると、アビゲイルに毒を盛られたサラが気絶して落馬し、そのまま馬にひきずられて泥だらけになる。
前半の落ちたり倒れたりするアビゲイルは、貴族から身を落とした状態を表しているが、後半では今度はサラがアビゲイルの策略で没落するのを落馬で表している。
そして、ラスト、今度は女王がベッドから落ちる音がして、アビゲイルが女王のもとへ行き、そこから脚をもむシーンになるのだが、ここでは女王が落ちるということで、一見、女王が没落したかに見えるが、そのあと、アビゲイルが女王に頭を押さえつけられるという逆転になる。
落ちることが要所要所でポイントになり、女性たちの上昇や没落を表現している。
「女王陛下~」はクラシックを使った音楽も「バリー・リンドン」を連想させるもので、想像以上に「バリー・リンドン」だったが、映画全体のモチーフはかなり違っている。
この映画は最初の映画会社のロゴが出てくるときに鳥の声のような自然の音が響いているのだが、1回目に見たときは鳥の声だと思った。が、2回目に見たら、確かに鳥の声もあるけれど、中心になっている音はうさぎの声じゃないかという気がした。映画が始まると、女王の部屋の17羽のうさぎが登場し、確かにあれはうさぎの声だったとわかった。
そしてラストは、女王の脚をもむアビゲイルと、それを見下ろす女王の顔がだぶり、そこに無数のうさぎの映像がだぶって、しだいにうさぎの映像が2人の顔を消していく。
脚をもむというのは、アビゲイルが結婚したあと、初夜に夫に手淫するシーンと対応していて、脚は男根の象徴でもあるのだが、夫に手淫するシーンはアビゲイルが夫を支配しているのに対し、女王の脚をもむシーンではアビゲイルは頭を押さえつけられていて、完全に女王に支配されている。その前に、アビゲイルがうさぎの頭を足で押さえつけるシーンがあり、うさぎを支配しているつもりの彼女もまたうさぎと同じという意味だとわかる。
そして、うさぎが画面を覆い尽くすラストのあと、暗転してエンドロールが始まるのだが、バックに流れるのがエルトン・ジョンの「スカイライン・ピジョン」。
その歌が終わると、今度は鳥の鳴き声や羽ばたきが響いてくる。
うさぎの声で始まり、鳥の声と羽ばたきで終わる映画なのだ。
鳥の声と羽ばたきは、「空へ羽ばたかせてほしい」と歌う「スカイライン・ピジョン」とみごとに呼応する。
羽ばたかせてほしいのはアビゲイルだが、脚が悪い女王も、夫ともども追放される運命のサラも、自由に羽ばたかせてほしいのかもしれない。
うさぎであるということは不自由なのだ。
そして、人間は結局、みな、うさぎなのか?
(うさぎは裕福な上流階級に支配される庶民という見方もできる。)
下からのアングルは、やはり、地面をぴょんぴょん跳ねるうさぎの視点なのだと思う。
魚眼レンズのゆがんだ画面も、うさぎの目で見た世界ではないだろうか。
増税してまで戦争を続けるかどうか、という政治的な部分は映画の中ではあまり重要ではなさそうだ。国民の怒りを買うとして反対したハーレーも、別に立派な人物には描かれていない。そこにあるのはただ、ちまちまとした権力争いだけなのだ。
錦糸町のシネコンではエンドロールが始まるとお客さんがどんどん帰ってしまったが、今回のシネコンも多少帰る人はいたけれど、錦糸町ほどではなかった。最後の鳥の声と羽ばたきまでしっかりと聞いてから席を立ってほしい。
それにしても、1回見ただけではわかりにくい映画だけど、2回見るととても面白い。映像も細部まで凝っていて、一度では全部見切れないから、2回見た方がじっくりあちこち注意して見られる。
もしも最初から今回のシネコンで見ていたら、こんなものかくらいの感想を抱いて、2回は見なかっただろう。錦糸町で見づらい思いをして、たまたま次が無料のポイント鑑賞だし、好きなスクリーンでやってるから、ということで2回目を見に行ったのだが、行って本当によかった。特に今回は音響がかなりよくて、非常に満足。
2019年2月16日土曜日
5枚目の木登り猫
ベローチェのドリンク2杯分のレシートでもらえる猫クリアファイル。ついに9月の木登り猫が5枚になってしまった。
15枚もらって3分の1がこれ。以前はこれ以外はダブリがなかったのだけど、最近は他にもダブリが2種類出て、15枚で9種類。残り6枚がダブリ。
まだ16日なのにもう15枚ももらってるのがすごいんですけど。
しかし、もらえばもらうほどダブリが出るのはしかたないとして、なぜ9月ばかりが出るのか、それも3回に1回の割合で。しかも、最初からこれが3回に1回の割合で出てました。つか、1回おきにこれが出て、たまにそうじゃないのが出て、平均すると3回に1回。
ツイッターなどで他の人の様子を見ると、7、8枚もらってまだダブリなしとかいう人もいて、私は異常にダブってる感じ。それも1種類だけが異常にダブってる。
キャンペーンが終わった頃にダブったものを知人友人にプレゼントする予定なので、別にいいのだけれど、袋を開けて9月だと本当にがっかりして、落ち込みが激しいです。精神衛生上よくないからもう集めるのやめた方がいいのかな。残りは1月、3月、4月で、すごく欲しかったのはもう手に入れているので。
以下がベローチェに置いてあるチラシにもある12か月の季節の猫一覧。
2段目の9月が5枚も出ちゃったんですね。絵柄は好きだし、猫はかわいいんだけど。
4月と5月が欲しいという人が多いみたいですが、私はこういうおすまし猫よりはひっくり返ったりしてる猫の方が好きです。ただ、4月は裏のふちねこシルエットがふちねこ第2弾のときの猫パンチで、第2弾は出遅れて5種類のうち3種類しか手に入らず、猫パンチはもらえなかったので、4月は欲しいなあと思ってるのですが、3月4月あたりは絶望的に出そうにない。5月6月は最近出ましたが、奇跡的な感じでした。
ちなみに、5枚目の9月が出た店は最初に9月が出た店でした。なんとなく、今日はもらわずにレシートだけ持って帰ろうかな、と思いつつ、もらってしまったので余計悔しい。
さて、明日はもう一度、「女王陛下のお気に入り」を見る予定。お気に入りのスクリーンのいつもの席を無料のポイント鑑賞で予約。昨日は下から見上げる感じで、魚眼レンズの湾曲が見上げてるせいなのかもともとなのか最初はわからなかったくらいなので、今度は正面からしっかりと映像のゆがみを鑑賞してきます。
最初からこっちのシネコンにすればよかったんですよね。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」はもう一度行きたいけれど、今度は終わったあと、落ち着ける喫茶店で2時間くらい余韻にひたってぼーっとしていたいです。
15枚もらって3分の1がこれ。以前はこれ以外はダブリがなかったのだけど、最近は他にもダブリが2種類出て、15枚で9種類。残り6枚がダブリ。
まだ16日なのにもう15枚ももらってるのがすごいんですけど。
しかし、もらえばもらうほどダブリが出るのはしかたないとして、なぜ9月ばかりが出るのか、それも3回に1回の割合で。しかも、最初からこれが3回に1回の割合で出てました。つか、1回おきにこれが出て、たまにそうじゃないのが出て、平均すると3回に1回。
ツイッターなどで他の人の様子を見ると、7、8枚もらってまだダブリなしとかいう人もいて、私は異常にダブってる感じ。それも1種類だけが異常にダブってる。
キャンペーンが終わった頃にダブったものを知人友人にプレゼントする予定なので、別にいいのだけれど、袋を開けて9月だと本当にがっかりして、落ち込みが激しいです。精神衛生上よくないからもう集めるのやめた方がいいのかな。残りは1月、3月、4月で、すごく欲しかったのはもう手に入れているので。
以下がベローチェに置いてあるチラシにもある12か月の季節の猫一覧。
2段目の9月が5枚も出ちゃったんですね。絵柄は好きだし、猫はかわいいんだけど。
4月と5月が欲しいという人が多いみたいですが、私はこういうおすまし猫よりはひっくり返ったりしてる猫の方が好きです。ただ、4月は裏のふちねこシルエットがふちねこ第2弾のときの猫パンチで、第2弾は出遅れて5種類のうち3種類しか手に入らず、猫パンチはもらえなかったので、4月は欲しいなあと思ってるのですが、3月4月あたりは絶望的に出そうにない。5月6月は最近出ましたが、奇跡的な感じでした。
ちなみに、5枚目の9月が出た店は最初に9月が出た店でした。なんとなく、今日はもらわずにレシートだけ持って帰ろうかな、と思いつつ、もらってしまったので余計悔しい。
さて、明日はもう一度、「女王陛下のお気に入り」を見る予定。お気に入りのスクリーンのいつもの席を無料のポイント鑑賞で予約。昨日は下から見上げる感じで、魚眼レンズの湾曲が見上げてるせいなのかもともとなのか最初はわからなかったくらいなので、今度は正面からしっかりと映像のゆがみを鑑賞してきます。
最初からこっちのシネコンにすればよかったんですよね。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」はもう一度行きたいけれど、今度は終わったあと、落ち着ける喫茶店で2時間くらい余韻にひたってぼーっとしていたいです。
2019年2月15日金曜日
至福の251分「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」(&「女王陛下のお気に入り」「魂のゆくえ」)
午前十時の映画祭の「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」。TOHO錦糸町に行こうかと思っていたけれど結局行かず、今日からのTOHO市川へ行ってきました。
実はそのあとTOHO錦糸町へも行ったのです。今日から始まる「女王陛下のお気に入り」を見るために。市川でもやっているのですが、開始が午後2時半。「ワンス~」終了が2時半で、予告の時間に移動はできるものの、「ワンス~」の余韻も冷めぬうちに「聖なる鹿殺し」の監督の変な映画を見たくない、と思い、探した結果、錦糸町だと約1時間半後に開始とわかり、移動を決意。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」ディレクターズカットは本当に至福の時間でした。完全版を試写で2回見たのが1984年、カットされた日本公開版は日劇には見に行かず、レーザーディスクを買って見ていましたが、その後、昔の文芸坐で上映があり、2回見に行きました。いつごろだったのだろう。たぶんその文芸坐での上映が日本で最後の上映だったのではないかと思いますが、まさにそれ以来の、しかも完全版より長いディレクターズカット。堪能しました。
いやもう、最初の方の、店の中のファットモーの姿を外から撮っていて、それからカメラが移動して電話ボックスのヌードルスを映し出す、あそこでまず泣きそうになります。
それから、一番年下の幼い少年が殺されてしまうところ。仲間たちが稼いだお金をカバンに入れて、その上に手を重ねたあと、「もう一回見ていい?」と言う。いやもう、かわいい。その幼い少年が、ギャングに殺されてしまう。ヌードルスの怒りも当然なわけですが、ヌードルスはギャングを殺しただけでなく、警官も刺してしまったので、刑期が長くなったのですね。おそらく10年以上刑務所にいて、出てきたときはまわりがすっかり変わっていた。そして禁酒法時代の終わりに起こった事件のせいで、35年間の逃亡と隠遁生活。ヌードルスの失った時間の長さにがくぜんとします。娑婆で自分自身として暮らせていた時間はわずかだったのだと。
だから、この映画がヌードルスの見た夢だという解釈は、彼が夢を見るしかなかった時間の長さのことなのかもしれない。
復元されたヌードルスがイヴと出会うシーンから休憩前の駅のシーンも泣けます。復元シーンで、イヴをデボラと呼んで抱こうとしたヌードルスが抱かずに寝てしまい、イヴがそんな彼に好意を感じるシーン。そのあと、デボラに完全に嫌われたと思ったヌードルスがデボラをあきらめ、イヴと恋人になるのも、復元シーンがあると非常に説得力がある。
この休憩が開始から2時間55分後なので、その前の謎のフリスビーの少し前あたりでトイレに立つ人が少しいますね。休憩もみんなぞろぞろとトイレへ。私は5時間くらいは平気なのですが、おなかがすいてしまい、バッグの中にあった小さいお菓子を食べていました。
後半ではヌードルスがデボラの楽屋を訪れるシーン。ここでデボラのテーマであるアマポーラとヌードルスのテーマである主題曲が交互に流れ、絶妙な音楽効果。そのあとの復元されたマックスとジミーのシーンもすばらしく、ジェームズ・ウッズとトリート・ウィリアムズの演技がみごと。ウッズはデ・ニーロとの次のシーンだとあまりいい演技に見えないけれど、この復元されたシーンでの演技はすばらしい。
そして、老いたヌードルスとマックスが再会するシーンで、少年時代の回想シーンが出るあたりからまた泣けてしまうのです。
あともう1回は見たい。朝起きられさえすれば何度でも見られるのに。
(追記 クリームケーキの少年について勘違いしていたので、そこを削除しました。)
TOHO市川は駅からかなり歩くのがちょっと大変なのだけど、余韻をかみしめながら駅に向かい、総武線で錦糸町へ。が、錦糸町に着いたとたん、余韻がぶち壊しになることが次々と(たいしたことではないけど)。
錦糸町で映画を見たのは過去にはただ1度だけで、高校時代に古い映画館で2本立てを見ただけでした。そんなわけで、本当に久々の錦糸町。スカイツリーが大きく見える。以前から気になっていた墨田区の体育館はここだったのか、と思いながら映画館へ。
「女王陛下のお気に入り」はスクリーンが小さいみたいだったので、前の方にしたら、ものすごく見上げる格好になり、かなり後悔。この映画、下からのアングルの映像が多くて、しかも魚眼レンズ使ってるらしく、上方にゆがんでいたり、左右にゆがんでいたりする映像。それを下から見上げるから、その変わった映像がさらに増幅されてちょっと気分が悪くなるほど。それに、朝早く起きたせいか、ちょっと眠くなるシーンも。
やっぱりハシゴするんじゃなかった、日をかえて近場のシネコンで見ればよかった、とまたまた後悔。TOHOは次が無料の回だから、もう一度見に行ってもいいんだけど、鳥を撃ち殺すシーンとか、あまり気分のよくないシーンが多い。「聖なる鹿殺し」ほどではないけれど。
ただ、映像や美術や衣装、それにクラシックを使った音楽は「バリー・リンドン」級にすばらしいので、もう一度見ても悪くはない感じ。3人の女優の演技も見ごたえ十分でした。
下からのアングルが多いのは、痛風で座っていることの多いアン女王の視線と考えられますが、最後にうさぎがうようよ出てくるので、実はうさぎの視線かも。
脚が動かない、というのは「聖なる鹿殺し」にもあったし、誰かを排除しなければならないというのも同じパターンかなと思うし、いかにもランティモスの映画で、好きな人にはたまらないようです。
ラストのうさぎうようよがとにかくすごい。
さて、昨日はポール・シュレイダー脚本・監督の「魂のゆくえ」の試写を見てきました。
以下、ネタバレあり。
息子を従軍牧師にしてイラクで死なせてしまった牧師が、妊娠した妻が子供を産むことに反対する環境活動家の男を説得しようとして失敗、テロを計画していた男は自殺してしまい、しかも自分の所属する教会が環境破壊企業から多額の寄付を得ていると知って、しだいに狂気にとりつかれていく様子が描かれます。「タクシー・ドライバー」で狂気に陥っていく主人公に似ていますが、最後に彼を救うのは夫に自殺された妻メアリー。メアリーという名前が示すとおり、彼女は聖母マリアなのです。死んだ夫は環境破壊された地球に子供を送り出したくないと思って産むことに反対していたのだけれど、環境破壊された地球というのはエデンの園の外の世界。愛し合うようになる牧師とメアリーはエデンの園の外で生きなければならないアダムとイヴでもあり、牧師は最後にはキリストのように自分の体を傷つける。
牧師が環境破壊企業からの寄付のことを言うと、教会の人物から「君は庭の中にしかいない、外の世界を知らない」というようなことを言われる。庭の中というのはエデンの園、楽園の中ということであり、また、庭にしかいない人は世間知らずというのは、「ナイロビの蜂」の原題にある庭師という言葉にも表れています。
また、牧師が、万物に神は宿るといったアニミズム、汎神論もキリスト教と矛盾しないと言ったりするあたりは、一神教のキリスト教とは異なる考え方ではないかと思うので、その辺も気になりました。牧師が環境問題に関心を持ったためにこのような考え方が出てきたのかもしれません。
牧師に扮したイーサン・ホークは多数の賞を受賞していますが、狂気にとりつかれる人間を非常に渋い演技で見せているところが評価されたのでしょう。いかにもな狂気ではなく、だからこそ、最後にメアリーに救われるのが説得力があります。
実はそのあとTOHO錦糸町へも行ったのです。今日から始まる「女王陛下のお気に入り」を見るために。市川でもやっているのですが、開始が午後2時半。「ワンス~」終了が2時半で、予告の時間に移動はできるものの、「ワンス~」の余韻も冷めぬうちに「聖なる鹿殺し」の監督の変な映画を見たくない、と思い、探した結果、錦糸町だと約1時間半後に開始とわかり、移動を決意。
「ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ」ディレクターズカットは本当に至福の時間でした。完全版を試写で2回見たのが1984年、カットされた日本公開版は日劇には見に行かず、レーザーディスクを買って見ていましたが、その後、昔の文芸坐で上映があり、2回見に行きました。いつごろだったのだろう。たぶんその文芸坐での上映が日本で最後の上映だったのではないかと思いますが、まさにそれ以来の、しかも完全版より長いディレクターズカット。堪能しました。
いやもう、最初の方の、店の中のファットモーの姿を外から撮っていて、それからカメラが移動して電話ボックスのヌードルスを映し出す、あそこでまず泣きそうになります。
それから、一番年下の幼い少年が殺されてしまうところ。仲間たちが稼いだお金をカバンに入れて、その上に手を重ねたあと、「もう一回見ていい?」と言う。いやもう、かわいい。その幼い少年が、ギャングに殺されてしまう。ヌードルスの怒りも当然なわけですが、ヌードルスはギャングを殺しただけでなく、警官も刺してしまったので、刑期が長くなったのですね。おそらく10年以上刑務所にいて、出てきたときはまわりがすっかり変わっていた。そして禁酒法時代の終わりに起こった事件のせいで、35年間の逃亡と隠遁生活。ヌードルスの失った時間の長さにがくぜんとします。娑婆で自分自身として暮らせていた時間はわずかだったのだと。
だから、この映画がヌードルスの見た夢だという解釈は、彼が夢を見るしかなかった時間の長さのことなのかもしれない。
復元されたヌードルスがイヴと出会うシーンから休憩前の駅のシーンも泣けます。復元シーンで、イヴをデボラと呼んで抱こうとしたヌードルスが抱かずに寝てしまい、イヴがそんな彼に好意を感じるシーン。そのあと、デボラに完全に嫌われたと思ったヌードルスがデボラをあきらめ、イヴと恋人になるのも、復元シーンがあると非常に説得力がある。
この休憩が開始から2時間55分後なので、その前の謎のフリスビーの少し前あたりでトイレに立つ人が少しいますね。休憩もみんなぞろぞろとトイレへ。私は5時間くらいは平気なのですが、おなかがすいてしまい、バッグの中にあった小さいお菓子を食べていました。
後半ではヌードルスがデボラの楽屋を訪れるシーン。ここでデボラのテーマであるアマポーラとヌードルスのテーマである主題曲が交互に流れ、絶妙な音楽効果。そのあとの復元されたマックスとジミーのシーンもすばらしく、ジェームズ・ウッズとトリート・ウィリアムズの演技がみごと。ウッズはデ・ニーロとの次のシーンだとあまりいい演技に見えないけれど、この復元されたシーンでの演技はすばらしい。
そして、老いたヌードルスとマックスが再会するシーンで、少年時代の回想シーンが出るあたりからまた泣けてしまうのです。
あともう1回は見たい。朝起きられさえすれば何度でも見られるのに。
(追記 クリームケーキの少年について勘違いしていたので、そこを削除しました。)
TOHO市川は駅からかなり歩くのがちょっと大変なのだけど、余韻をかみしめながら駅に向かい、総武線で錦糸町へ。が、錦糸町に着いたとたん、余韻がぶち壊しになることが次々と(たいしたことではないけど)。
錦糸町で映画を見たのは過去にはただ1度だけで、高校時代に古い映画館で2本立てを見ただけでした。そんなわけで、本当に久々の錦糸町。スカイツリーが大きく見える。以前から気になっていた墨田区の体育館はここだったのか、と思いながら映画館へ。
「女王陛下のお気に入り」はスクリーンが小さいみたいだったので、前の方にしたら、ものすごく見上げる格好になり、かなり後悔。この映画、下からのアングルの映像が多くて、しかも魚眼レンズ使ってるらしく、上方にゆがんでいたり、左右にゆがんでいたりする映像。それを下から見上げるから、その変わった映像がさらに増幅されてちょっと気分が悪くなるほど。それに、朝早く起きたせいか、ちょっと眠くなるシーンも。
やっぱりハシゴするんじゃなかった、日をかえて近場のシネコンで見ればよかった、とまたまた後悔。TOHOは次が無料の回だから、もう一度見に行ってもいいんだけど、鳥を撃ち殺すシーンとか、あまり気分のよくないシーンが多い。「聖なる鹿殺し」ほどではないけれど。
ただ、映像や美術や衣装、それにクラシックを使った音楽は「バリー・リンドン」級にすばらしいので、もう一度見ても悪くはない感じ。3人の女優の演技も見ごたえ十分でした。
下からのアングルが多いのは、痛風で座っていることの多いアン女王の視線と考えられますが、最後にうさぎがうようよ出てくるので、実はうさぎの視線かも。
脚が動かない、というのは「聖なる鹿殺し」にもあったし、誰かを排除しなければならないというのも同じパターンかなと思うし、いかにもランティモスの映画で、好きな人にはたまらないようです。
ラストのうさぎうようよがとにかくすごい。
さて、昨日はポール・シュレイダー脚本・監督の「魂のゆくえ」の試写を見てきました。
以下、ネタバレあり。
息子を従軍牧師にしてイラクで死なせてしまった牧師が、妊娠した妻が子供を産むことに反対する環境活動家の男を説得しようとして失敗、テロを計画していた男は自殺してしまい、しかも自分の所属する教会が環境破壊企業から多額の寄付を得ていると知って、しだいに狂気にとりつかれていく様子が描かれます。「タクシー・ドライバー」で狂気に陥っていく主人公に似ていますが、最後に彼を救うのは夫に自殺された妻メアリー。メアリーという名前が示すとおり、彼女は聖母マリアなのです。死んだ夫は環境破壊された地球に子供を送り出したくないと思って産むことに反対していたのだけれど、環境破壊された地球というのはエデンの園の外の世界。愛し合うようになる牧師とメアリーはエデンの園の外で生きなければならないアダムとイヴでもあり、牧師は最後にはキリストのように自分の体を傷つける。
牧師が環境破壊企業からの寄付のことを言うと、教会の人物から「君は庭の中にしかいない、外の世界を知らない」というようなことを言われる。庭の中というのはエデンの園、楽園の中ということであり、また、庭にしかいない人は世間知らずというのは、「ナイロビの蜂」の原題にある庭師という言葉にも表れています。
また、牧師が、万物に神は宿るといったアニミズム、汎神論もキリスト教と矛盾しないと言ったりするあたりは、一神教のキリスト教とは異なる考え方ではないかと思うので、その辺も気になりました。牧師が環境問題に関心を持ったためにこのような考え方が出てきたのかもしれません。
牧師に扮したイーサン・ホークは多数の賞を受賞していますが、狂気にとりつかれる人間を非常に渋い演技で見せているところが評価されたのでしょう。いかにもな狂気ではなく、だからこそ、最後にメアリーに救われるのが説得力があります。
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