2011年12月6日火曜日

ニーチェの馬(ネタバレ大あり)

試写状をいただいたものの、果たして見に行けるかどうかビミョーだった、ハンガリーの巨匠、タル・ベーラ監督の「ニーチェの馬」。ベルリン映画祭銀熊賞受賞作。この監督の映画は「倫敦から来た男」しか見ていなかったが、せりふが少なく、モノクロのすごい映像で見せる監督という印象で、たぶん、「ニーチェの馬」もそういう映画だろうと思った。
 もともと、試写状はあまり来ない方なのにもかかわらず、週に3日、平日に大学の非常勤に行くようになったから、試写に行けるのは週2日。しかも最近は試写の回数が極端に少なく、同じような曜日ばかりだったりするものだから、せっかくいただいた数少ない試写状をむだにしてしまうことが多く(すみません)、この「ニーチェの馬」もやっぱり無理かな、と思っていたが、なんとか見ることができた。(以下、ストーリーのネタバレ大あり
 哲学者ニーチェがトリノで激しく鞭打たれる馬を見て、ショックを受け、その後、精神を病んでしまったという実話から発想された物語で、疲れ果てて動けない馬を鞭打つ農夫のシーンから映画は始まる。農夫は娘と荒地の小屋に住んでいて、すり鉢の底のような小屋からは1本の木と上り道しか見えない。毎朝、娘は井戸へ水を汲みに行き、食事はゆでたじゃがいもだけ。それを農夫と娘が手で皮をむき、手でくだいて、手づかみで食べる。鍋と皿はあるのだし、いくら貧しくても木のスプーンくらい作れそうなものだから、手づかみなのは別の意味があるのだろう、きっと。湯気のあがるじゃがいもを、農夫は全部食べ、娘は残して捨てる。
 1日目、2日目、というふうに映画は進む。なんとなく、天地創造と同じ7日間の話ではないかと、私は思う。事前にプレスをあまり読まなかったのだが、上映時間と、1日分の描写の時間から見て(時計を見なくても、なんとなくわかる)、7日ではないかと思った。だからずっと、天地創造の7日間のことが頭にあった。
 馬が動かないので、農夫はよそへ行くことができない。かわりに、外から人がやってくる。彼は、町は滅びた、神も神々も死んだ、と言う。ならず者たちがやってきて、井戸の水を奪い、かわりに本を娘に与える。ならず者たちはどこかへ逃げていくようだ。本にはなにやら聖書を思わせるようなことが書いてある。
 小屋のまわりには終始、激しい風が吹いている。水汲み、薪割り、じゃがいもだけの食事、儀式のように父親に服を着せる娘。毎日が同じことの繰り返しのように進む。しかし、何かが変わっている。
 馬がエサを食べなくなる。そして、井戸の水が涸れる。農夫と娘は荷造りして、小屋を去ろうとするが、また戻ってくる。なぜ戻ってくるのか。たぶん、ここ以外の場所は滅びてしまったのだ、と私は思う。すり鉢の底のようなこの場所、激しい風が吹き、1本の木だけが生えているこの場所だけが、この世で人が生きている場所なのだ、と。
 井戸の水が涸れたあと、今度は風がやむ。そして、ランプの火が消える。油があるのに、ランプに火がつかない。やがて薪の火も消える。
 もはや、じゃがいもをゆでることもできなくなり、2人は食べられないじゃがいもを前にして向かい合う。この日は6日目。そして映画は終わる。

 以下、テーマに関するネタバレです。

 天地創造と同じく、7日間の物語だろう、と思ったのは正しかったと確信します。
 映画は6日目で終わりますが、7日目に何が起こるかははっきりしています。
 まず、井戸の水がなくなり、次に風がなくなり、そして火がなくなる。水、風、火とくれば、次は大地です。7日目になくなるのは大地なのです。
 水、風、火、大地は、欧米では4大元素(フォー・エレメンツ)といって、世界を形作る4つの要素とされています。これらが次々と消滅していくのは、天地創造の逆まわしなのです。世界が生み出されていくのとは逆に、世界が消滅していくのです。
 農夫と娘のきびしく単調な生活は、人間の営みそのものかもしれません。食べ物がじゃがいもしかない、それも1人に1個、というのは、貧しさではなく、別の意味のような気がします。貧しさというのは、貧しくない人と比べて初めて意識されるのですが、この映画の世界では、この2人の世界以外は滅びているのではないかと思うので、貧しいと言えるような比較がないわけです。彼らを訪ねてくる男やならず者たちも、彼らに比べ、裕福とは思えません。
 じゃがいもは、フランス語では大地のリンゴと言います(ポム・ド・テール)。彼らの食べるじゃがいもは、エデンの園の果実なのかもしれない、あるいは、それに関連した別の意味のものかもしれない、と、直感的にそう思います。小屋から見える1本の木も、エデンの園の果実の木を連想させます。いや、あれは、「ツリー・オブ・ライフ」、生命の木でしょう。
 モノクロの映像は淡々としていて、「倫敦から来た男」のときのような、すごいぞ、すごいぞ、という感じではないのですが、それがかえって、寓話的な深みを感じさせます。「倫敦~」はあまり好きではなかったけれど、この映画は好きです。
 なお、映画の原題は「トリノの馬」ですが、「ニーチェの馬」よりもこちらの方が正確でしょう。ニーチェが見た馬はニーチェのものではないわけで。ニーチェの哲学はよく知らないので、こちらはちょっとわかりません。