2016年11月7日月曜日

無知は罪

神宮外苑の火災事故の件で、「無知は罪」という言葉が出ている。
子供がやっと入れるくらいの木造のジャングルジムにおがくずを入れ、そこに電球(LEDだと製作した学生は言っているらしい)を入れることの危険性に、製作した大学生たちも、学生を指導する立場の大学と教員たちも、展示を許可した主催者たち(東京デザインウイーク)も気づいていなかったこと。(追記 白熱電球の投光器を設置していたことがわかった。また、LED電球でも火災は起こるとのこと。)
その日本工業大学が偏差値38の、いわゆるFランク大学であること。
その製作物の説明の英文がひどすぎること。

最初からおかしいのだが、一番ひどいのが、
「私は素に戻りたい」を「I wont to return to nature」と書いている。
wontではなく、もちろんwantが正しい。
こういう間違い(中二の英語)に誰も気づかない、注意しない。
そこからすべてが始まっているように思える。
学生だけでなく、大学も主催者も無知なのだろう。

昨日は、「無知は無知のままにしておけ」という記事を書こうかと思っていた。
その前に「マンスプレイニング」という、男が女を無知と思い込んでいろいろ教えてやるという迷惑行為について書かれていて、私も人に教えてやるという上から目線をいやがられることが多いので、無知は無知のままほって置けばいいんだ、その方が平和なんだ、と心底思ったのだ。
私の場合、相手が本当に知らないので教えてあげようとするのだが、それでいつも迷惑がられる。
さすがに私も相手が迷惑なことにだんだん気づいてきたので、最近は余計なことを言わない、コメントしないよう気をつけている。

でも、あの展示を見た人の中には、これ、もしかして危険じゃない?と思った人もいたのではないか。実際、そばにいた学生に安全性について尋ねた女性がいたようだが、学生にせせら笑われたのでそれ以上何も言わなかった、とネットに書いてあった。
何か言ってトラブルになるより、無知は無知のままにしておけ。
たぶん、そういうふうな風潮があって、世の中がますます劣化しているのだろう。

相手を勝手に無知と決めつけて、という、教えてやる本人の方が無知をさらしているおせっかいは私はそれほどしていなかったと思うのだけど、でも、相手が本当に無知でも教えてやる必要はない、という考えになったのは比較的最近のことで、相手が迷惑がるから、というだけでなく、こっちが面倒になってきたからだ。
大学の学生に社会問題を扱った映画を見せる授業をしていると、学生の無知をたくさん知ることになるが、それをいちいち訂正している時間がないのだ。社会に対する学生の無知は本当に多くて、それを解決するにはそれ自体を目的とした授業をしなければならないだろう。
などと考えて、面倒だから無知は無知のままにしておけ、になってしまっている。

悲惨な事故やひどい事件はいろいろあるけれど、今回は大学とか大きなイベントとかが関係していて、無知じゃすまされない人たちが関わっていたのに、無知は罪を地で行く事故が起こってしまったことに愕然としている。