2017年4月18日火曜日

出来レース公募のこととか

私はコネがなかったので、博士課程在学中から30代前半まで大学の専任教員の公募によく応募していました。
当時は公募はほとんどすべて出来レースと言われ、実際に表向き公募の人も実は出来レースだったという話をしょっちゅう耳にし、本人が自分は出来レースじゃなかったと言ってる人ほどキャリアがない人だったり。
また公募自体非常に少なく、35歳までという年齢制限があるものが多く、結局、時間切れで応募できなくなりました。
当時は応募書類が必ず返ってきたが、履歴書も論文もまったく手つかずの状態で返ってきたので、出来レースなのは明らかでした。

昔は公募情報は母校の事務室で見るしかなかったが、やがてネットで見られるようになりました。10年ほど前にそのことに気づき、また応募しだした。かつては年齢制限がありましたが、現在は年齢制限はほとんどないです。ないとはいっても実際はあるのですが、昔のように35歳までということはないだろうと思いました。
このときは地方の大学でもいいと思ったので、手当りしだい書類を送ったけれど、公募1つに論文のコピー代やら送料やらで1500円くらいかかります。100回送ったら15万円。さすがに100回は送ってないが、40回くらいは出したと思う。
おかげで出来レースではなかった非常勤講師を2大学でゲット。
ただ、今も公募は出来レースが多いらしい。昔よりは出来レースでないのが増えているとは思うけど、ある大学の専任の先生がブログに、「公募を出来レースでなく、まともにやろうと思うととてつもない時間と手間がかかる。だから公募は出来レースにならざるを得ない」と書いていて、まったくそのとおりだと思った。
だってそうでしょう。1つの公募に何百も応募があって、送られてくる履歴書と論文を全部読んで選んだら、そりゃ大変な手間がかかる。小説の新人賞みたいに下読みを雇うわけにもいかないし。
さすがに修士論文しかない人を出来レースってわけには今はいかないだろうけど、採用されて当然と周囲が思うくらいのキャリアの人がいたら、その人を採用することにして、表向き公募にして出来レース、というのがまあ、普通だろうな、と思う。
理研の小保方晴子が出来レースだったのは有名な話。
今は応募書類が返送されてくることは非常にめずらしく、紙ぺら1枚の落選通知が来るか、それさえ出さない大学が多い。たまに返送されてくる論文を見ると、やっぱり読んだ形跡なし。きれいな状態で返ってくるから使い回しできるので、別に文句はありませんが。
現在は大学教員の定年の年齢に近づいているので公募には応募しませんが、非常勤講師や特任などなら可能性があるかなと思って応募することはありますが、やっぱり出来レースだろうなと思います。
専任の場合、出来レースになるのは、手間がかかるだけではなく、研究が優れていても人間としてどうだかわからない、というのがあるらしい。
確かに、研究は優れていても人間として困る人はいるし、組織の中でうまく調和できない人もいる。
今の私はそういうこと、ほんとによくわかるので、出来レースやむなしと自分でも思います。公募しないで適任者を採用すればいいのだけど、ある時期から原則公募とされるようになったので、今の状況があるのだな、と。出来レースじゃないのもあるから宝くじよりは確率の高いチャンスがあるのかもしれないし、チャンスが全然ないよりはいいのかな、と。