2017年4月18日火曜日

昨日

昨日は仕事に出る前からものすごく疲れていて、これ、ちょっとやばいかも、と思うくらいでしたが、それでも出かければなんとかなるもので、帰ったらすぐ寝ちゃおうと思っていたんですが、夜になると元気になるドラキュラ体質なもんで。

若い頃はまわりがどんどん大学に就職していくのを見て、そのたびに嫉妬に苦しんでいました。
私が若い頃は一流国立大学院の英文科だと英語の先生の口がたくさんあるので、コネのある人は修士論文だけで就職していきました。特に男子は修士修了か博士課程1、2年で就職。
女子の就職差別がその頃は激しくて、女子は博士課程をさらにオーバードクターしてやっと就職できる人が大半。ただ、コネのある人はやはり修士論文だけで就職。私は博士課程のときに論文を一生懸命書いて、研究者の人たちに送り、けっこう有名な先生たちからおほめの言葉をもらったけれど、コネにはまったくならず、むしろ、論文書かずに就職する人から「あなたの論文なんて就職には何の役にも立たない」と言われる始末でした。
あの人は優秀だから就職できた、と思えれば少しは楽なのだけど、そう思えない人がよい就職先を得ていくのを見ているのはつらかった。
当時は文系は一流大学ほど博士号を出さなかったし、留学もお金がかかってむずかしい時代だったので、今のように留学と博士号がないと就職できない(あってもできない人多数)という時代から見たら、私の時代の方が恵まれていたかもしれません。
私自身、オーバードクターが終わる頃に岡山大学から「誰でもいいから来てくれ」て話があったのですが、その頃、評論家としての活動を始めたばかりだったので首都圏離れたくなかったし、周囲は首都圏の大学に就職できていたし、指導教官から「就職したらよそに移るのは無理」みたいなことを言われて、結局評論家をとったのでした(私は指導教官から嫌われていたのも大きかったですね。研究の世界ではこれ重要なんです)。
今は地方の大学に就職して映画評論を商業誌に書いたりできるようですが、私の頃は首都圏にいないとそういう仕事はできませんでした。そもそもその頃は大学の先生が映画評論家というケースは少なかった。映画界でいろいろな仕事をしながら評論を書く人が多かったと思います。
岡山大学に就職していたら、奨学金の返還は免除になり、まともな給料をもらえ、もちろん仕事は大変だと思いますが、今も安定していただろうし、映画評論家をそのときあきらめても、安定した仕事をしながら文筆活動をすることはできただろうと思います。むしろ今は大学教授の肩書がある映画評論家の方が多いくらいだから。
私自身は岡山大に行かなかったことをまったく後悔してないのですが、ありえた人生の1つとして、時々考えてしまいます。
以前は少なくとも非常勤講師を定年まで続けられると思っていたのですが、最近は非常勤講師を解雇したり、教えるコマ数を減らしたりして経費削減をしなければならない大学が増えてきていて、この年になって失業の危機が。
大学の専任教員と非常勤講師の間には高い高い壁があって、その壁の向こう(専任側)に行けるか行けないかで大きな差があります(まあ、大学によっては潰れる恐れとかありますが)。
壁の向こう(専任側)に行くということは、現在では、大学の経営のために壁のこちら側の非常勤講師を解雇したりする立場になるということです。
壁の向こう側に行っていたら、こういうことに目をつぶらなければならない。
それを思うと、壁の向こう側に行かなくてよかったと思います。
「わたしは、ダニエル・ブレイク」のような映画を見ると、特に。
壁の向こう側にいて、こちら側の人を安い給料で使い捨てしながら、ケン・ローチの映画について語るなんてことは私にはできないからです。