2023年9月7日木曜日

「こんにちは、母さん」と「君の名は。」(ネタバレ大有り)

 「こんにちは、母さん」について、これまではたまたま「福田村事件」と同じ日に見て、歴史的地理的つながりが潜んでいることに気づき、2本を関連させて書いてきたけれど、ここでは完全に「こんにちは、母さん」だけの作品評とします。

結末までネタバレするので注意!


山田洋次は「たそがれ清兵衛」から第二の、そして最大の黄金時代を迎えたと私は思っているが、その黄金時代も「家族はつらいよ」までで、その続編からはかなりレベルが下がった、特に最近の「お帰り寅さん」と「キネマの神様」は凡作の部類、山田洋次はもう終わりなのか、と思っていたが、この「こんにちは、母さん」は黄金時代が戻ったかのような出来栄えだった。

ストーリー的には新しいところはなく、特に結末には疑問を感じるのだが、なにより目を惹きつけられたのはその映像。

山田洋次は長らくフィルムにこだわっていて、日本の映画界がデジタル撮影になったあともフィルムで撮影していたと聞くが、時代の変化には逆らえないのか、最近はデジタル撮影になったらしい。

それでも映像の質感などは以前と変わらない感じだったのだが、この「こんにちは、母さん」では明らかに映像が変わった。

冒頭の高層ビルの描写はこれまでの山田洋次の映画では見たことのないものだし、墨田区向島の吉永小百合演じる女性の住む家の内部の映像も、これまでの下町の家の映像と明らかに違うと感じた。

すぐに連想したのは、新海誠の大ヒットアニメ「君の名は。」だ。

大泉洋演じる息子は高層ビルの中にある会社の人事部長をしていて、窓から見下ろすと、都心のターミナル駅が見える。新幹線が出入りしているので、東京駅だろうか?

これ、「君の名は。」の新宿駅を空から見下ろす映像によく似ている。しかも、新海のアニメと同じく、このシーンが何度も繰り返し出てくる。

「君の名は。」と違って、空からの映像ではなく、高層ビルの窓からなので、閉塞感があるのが大きな違いだが。

そして、向島の母親の家。畳の日本家屋なのだが、ソファやテーブルが置かれている。奥の方に縁側があり、その向こうに植物がたくさん植えてある。

映像はこれまでの山田洋次の映画のようなくすんだ感じではなく、なにかキラキラした感じなのだ。なんだろう、このキラキラ感は? デジタル感?

「君の名は。」では飛騨の町に住む少女の家が出てくる。手前に縁側があり、その前に植物が植わっている。畳の部屋で、ソファやテーブルはないが、何か構図が似ている。特に縁側と植物。

「君の名は。」では同じ部屋が同じ構図で何度も出てくるということはないが、「こんにちは、母さん」では畳にソファの部屋が同じ構図で何度も出てくる。結末近く、あることを知った母親が哀しみのあまり、暗い部屋でじっとしているシーン、そこに至るまでに何度も出てくるその部屋の映像が効果的だ。

この日本家屋の部屋の描写は、2本の映画は似ていると思わない人が多いだろうし、実際、比べたら似ていないかもしれない。だが、「こんにちは、母さん」の日本家屋の部屋の描写が、これまでの山田洋次の部屋の描写とかなり違うこと、そのくっきりとしたデジタル感が、新海誠のアニメの映像にどうも似ているように感じてしまう。もちろん、こんなこと感じるのは私だけだろうけど。

畳の部屋にソファが置いてあるのは、高齢になるとソファやベッドの方が使いやすいからだろう。息子はマンションに住んでいるが、片付け上手の妻がいないので部屋がごちゃごちゃしていて、お掃除ロボットがスムーズに掃除できないとか、相変わらずこういうあたりの細かい表現がうまい。

「こんにちは、母さん」が新海誠の「君の名は。」を意識しているのではないかと思ったもう1つの理由は、シニアの恋愛を描いていることだ。

「君の名は。」の大ヒットは若者だけでなく中高年も虜にしたところから来ているが、特にシニア世代が映画を見て若い頃の恋愛を思い出した、ということがあった。

「こんにちは、母さん」のシニア男女の恋愛は、「君の名は。」とそれ以前の新海誠の描く恋愛にどこか似ている。2人の間には物理的な距離や年齢の差があり、容易に結ばれない。「こんにちは、母さん」の母親と牧師の恋愛もそうした距離が間にある。

以下、ストーリーに関するネタバレがあります。


原作では寺尾聡の牧師は別の職業らしい。これを牧師にしたのがさすがだ。

母親と牧師が結婚するにはいろいろと障害がある。

プロテスタントの牧師は妻と一緒に信徒の面倒を見るのが普通なので、結婚自体は問題がない。むしろ結婚した方がいい。

しかし、母親が牧師と結婚するにはまずキリスト教に改宗しなければならない。

財産の問題などがある場合、事実婚を選択するカップルも多いが、牧師では事実婚は無理だろう。

牧師が北海道の故郷の町の教会へ移ると聞いて、母親は落ち込む。

出発の日、タクシーに乗り込んだ牧師に、母親は「私も連れて行って」と言うが、そのあとすぐに「冗談よ」と言ってしまう。

スカイツリーをバックに出発するタクシー。2人の間には新海誠の「秒速5センチメートル」並みの距離が生まれてしまうことになる。

新海誠は「君の名は。」の前までは2人が結ばれない結末ばかり描いていた。「こんにちは、母さん」の「冗談よ」と言ってしまうシーンは、なによりも新海誠のアニメを連想する。

「遥かなる山の呼び声」では、倍賞千恵子は高倉健の乗る列車に乗り込んだ。

「こんにちは、母さん」の母親もタクシーに乗り込み、そのまま飛行機に乗って北海道へ行ってしまうこともできた。

しかし、母親は家に帰り、離婚してマンションを売り払う息子と、母親とうまくいっていない孫娘と3人であの家で暮らすことになる。

失業した息子は再就職し、孫娘は大学を卒業して就職し、近いうちに2人とも家を出ていく可能性が高いが、とりあえず今は親子3代で暮らすようだ。

なんだかがっかりな結末である。

ストーリー的に新しいところはないとはいえ、登場人物がていねいに描かれ、リストラ問題、ホームレス支援といった現代の問題も盛り込まれ、山田洋次お得意のコミカルなシーンもあり、久々、よい出来の映画だったのだが、あの結末だけはがっかりなのだ。

でも、これまでとは違う映像があったり、たぶん「君の名は。」を参考にしたと思われる点などを考えると、山田洋次、まだまだやれる、と思う。

おまけ

墨田区向島を舞台にしたのは、スカイツリーが入った絵を撮りたかったのと、ホームレスのいる隅田川を描きたかったのがあると思う。スカイツリーの足元にホームレスがいるという構図。

このあたりは隅田川と荒川に挟まれた地域で、隅田川の上流へ行くと、「万引き家族」の舞台の南千住がある。荒川の方では関東大震災で朝鮮人虐殺があったという話は前に書いた。そういう、いろいろと負の面もある危うい地域だともいえる。

個人的な思い出話になるが、台東区の谷中霊園はかつてはホームレスが住んでいた。猫ボランティアだけでなくホームレスも地域猫の世話をしていた。私が15年間つきあった猫と一緒に捨てられ、模様から兄ではないかと思われていた猫が、谷中のホームレスに飼われていた。

しかし、やがてホームレスが谷中霊園から追い出されるときがきた。上野公園からホームレスが追い出された頃だ。台東区を追われたホームレスは隅田川の方へ行ったという。

猫は連れていけないので、谷中に残し、猫ボランティアが世話していたが、いつしか姿を見なくなった。オスでけっこう遠出をしていたので、どこかへ行ったのか、あるいは誰かが引き取ったのかもしれない。飼われていたので、人なれしていて膝に載りたがる猫だった。私がかわいがっていた方の猫は完全ノラで、膝に載ろうとしなかったが。

吉永小百合の母親が、牧師が遠くへ行ってしまうと知って、あと5年、いや3年でも一緒にいられたらと思っていた、みたいなことを言う。ここで胸がつまった。

私もあの猫と、あと5年、いや3年でも一緒にいられたら、と思っていたのだ。

だから余計、牧師と一緒に旅立ってほしかった。