2025年6月12日木曜日

「アメリカッチ」&「ラブ・イン・ザ・ビッグシティ」(ネタバレあり)

 13日公開の「アメリカッチ コウノトリと幸せな食卓」と「ラブ・イン・ザ・ビッグシティ」を試写で。


アルメニア映画「アメリカッチ」は「コウノトリと幸せな食卓」という副題やポスターのビジュアルだとほのぼの映画みたいだけれど、全然違う。

オスマントルコ帝国によるアルメニアへの迫害はこれまでも映画になっているが、この映画はその迫害を逃れてアメリカに渡ったチャーリーが、第二次世界大戦後、スターリンのソビエト連邦が移住したアルメニア人の帰還を奨励したのを機にアルメニアに帰る。しかし、当時はスターリンの粛清の時代。チャーリーはアメリカのスパイとされ、刑務所に入れられてしまう。シベリア送りになるところ、大地震が起こり、復興のための労働をすることでシベリア送りは延期になる。きびしい刑務所生活の中、チャーリーが希望を見出したのは、独房の窓から見えるアパートの一室。刑務所の監視員を務める男と妻の生活、ときおり開かれるパーティの様子を見て心をなごませる。そして、夫婦げんかの末、妻が家を出てしまうと、なんとか遠くから男の力になろうとする。

監視員の男は優秀な画家だったのに、教会の絵を描いたために絵を描くのを禁止され、シベリア送りになるところを監視員として働くことになったのだが、チャーリーも絵を描くので、2人の間で絵を通じてのつながりができていく。2人は間近で会うこともなく、遠くからお互いを見ているだけだが、心が通じ合っているとわかるシーンが何度もある。

スターリン時代の悪夢というのも何度も映画に描かれていて、ほんの些細なことでシベリア送りになるとか、人々が抑圧されていた時代。アルメニア人は体制側でもチャーリーを気遣うけれど、ロシア人の上官は悪役、しかし、ロシア人の女性たちはそうではない、というふうに描かれていて、紋切り型といえばそうだが、ある種の寓話なので気にならない。コウノトリやアララト山も効果的に使われている。

チャーリーと監視員の交流はほのぼのしたもので、描写もユーモラスで深刻な描写ではないのだが、最後の方になって、このほのぼのした雰囲気の背後には恐ろしい現実があることを思い知らされる。

スターリン時代が終わり、チャーリーが自由になったあとのエピローグもなかなかに意味深。

「ラブ・イン・ザ・ビッグシティ」は韓国映画。ゲイの男性と自由奔放に生きるヘテロの女性の10年以上にわたる共同生活を描く。2人の間には男女の恋愛感情はまったくなく、完全な親友で、恋人はそれぞれ別にいるのだけれど、周囲はいろいろ誤解する。特にゲイの青年がカミングアウトしていないので、その辺をいろいろごまかしながら生きている。

最初のうちはゲイとヘテロの友情を基本にした軽い青春ものかと思ったのだが、見ているうちに韓国の深刻なゲイ差別や女性差別が見えてきて、日本よりもこういうところはきびしいのかな、と思った。あるいは、日本では隠しているだけなのか?

母親が、息子がゲイなのは病気だと思っていて、女性と同居しているので治ったと喜んだり、あからさまにゲイを差別する人物が出てきたりするのだけれど、後半、会社で女子社員には重要なことがまったく伝えられていないのに男性上司に叱られるシーンがあり、それは男性たちは喫煙所で会議をして重要なことを伝えるが、喫煙所に来ない女子社員は蚊帳の外だからで、そこで女子社員たちが喫煙所に押し掛けるシーンが小気味いい。また、ヘテロの女性とゲイの男性が友情で結ばれていることについて、見知らぬ酔っ払いの男性たちが応援してくれたり、息子がゲイだと知った母親が「君の名前で僕を呼んで」を見に行って息子を理解したりと、ゲイ差別と男尊女卑のひどい世界だな、と思っていたのがいろいろと救われる。

ヒロインは「アノーラ」のような、逆境にあっても自己主張の強い女性だけど、こちらは最後に幸せになる。こういう男と女の友情って、むずかしいけれど、それを自然に描いているのがいい。ただ、登場人物たちが韓国のかなり裕福そうな人たちばかりで、フランスに留学していたり、英語でしゃべったり、いい部屋に住んでいたりと、「パラサイト」の金持ち家族の方の人たちばかりなのが気になった。