炎天下、水元公園で日傘をささずに写真を撮りまくっていたせいで、翌日、熱中症、と書きましたが、さらにその翌日から喉が猛烈に痛み出した。咳や鼻水の症状も少し出たので、明らかに風邪だったけれど、とにかく喉が痛い。飲食はかろうじてできたけれど、コロナで喉が痛くて水も飲めないという話を聞いていて、それよりはマシではあるが、喉の痛みは3日間続いた。
今朝になって、やっと、あ、少し軽くなったかな、という感じ。痛みはあるけれど、昨日までほどではない。咳や鼻水もかなり軽減。
昨日はかなりひどくて、毎晩必ず浴びるシャワーも省略、風邪薬を飲んで寝ていた。今朝は納豆たまごかけごはんを食べて、また横になり、今日あたりは食糧の買い出しをしなければならないので、横のもの(体)を縦にしないとなあ、などと考えていたら、横のものを縦にするという言い方を思い出した。
横のものを縦にする、というのは翻訳のことで、横の英文や外国語文を縦の日本文にすることだが、私も初期の翻訳は縦書きの原稿用紙に書いていたので、まさに横のものを縦にしていた。それからワープロ専用機になって、画面では横書き。でも、縦書きに印刷して提出していたので、この段階ではまだ横のものを縦にしていた。
その後、フロッピーディスクで出すようになり、パソコンになってからはメールで送るようになって、もう、横のもの(英文)は横のもの(日本文)にして提出。縦にするのは出版社と印刷会社の仕事。
とはいっても、小説の翻訳は縦に印刷してチェックしていた。ただ、小説の翻訳は書下ろしノベライズ含めても、もう20年近くやってない。「「地獄の黙示録」完全ガイド」と「クリント・イーストウッド:レトロスペクティヴ」は出来上がった本も横書き。出版以外の翻訳だとそもそも縦にするも何もないだろう。
そんなことを横になって考えていたら、今の人たちはスマホで写真を撮るから、縦長で画面を切り取るのに慣れているのではないか、と気づいた。
私はスマホはないし、カメラはデジカメだから、基本、横長で画面を切り取る。そもそも、小学校の図工の時間からして、絵画はまず横長の画用紙に描くところから入るから、横長が基本ではないかと思う。もちろん、縦長の絵も描くけど、縦長で画用紙を使うときは、ほかとは違う切り取り方をしてみよう、みたいなのが、子ども心にもあった。
でも、今の人は、というか、スマホで写真をよく撮る人は、縦長が基本で、横長で撮るときは特別な気持ちなのだろうか。
デジカメだと、縦長で撮るときはカメラの持ち方が変わるので、やはり特別な気持ちになる。
水元公園のメタセコイアの森。こういう高いものを間近で撮るには縦長にするしかない。
白山神社のアジサイ。お参りする人の長い列をアジサイの向こうに入れたかったので、縦長になった。
このブログに出している写真の中には、横長に撮ったものをトリミングして縦長になっているものが少なくない。最初から縦長で撮った写真は少ないのだ。でも、上の2枚は最初から縦長で撮った、トリミングしていないもの。
というようなことを考えているうちに、シャワーを浴びたくなったので、体を縦にしてシャワーを浴びて、今、パソコンに向かっています。