2011年5月6日金曜日

マーティ

 若い頃に見逃した名作って、意外に見逃し続けてしまうものですが、50年以上前のアカデミー賞受賞作「マーティ」も、私にとってはそんな1本。
 お金のかからない地味な小品ながら、作品賞や主演男優賞(アーネスト・ボーグナイン)を受賞したこの映画、存在はもちろん、中学生の頃から知ってました。日曜洋画劇場でテレビ放送されたときはまだ小学生だったので、見ていなくて、その後映画ファンになって存在を知るようになったものの、なぜか見るチャンスがなく、長い時間が経過。そういう映画はDVDがあるのを見ても、かえって手が出ないもので、長らく見ないままでしたが、ゴールデン・ウィークについに見ました。
 90分という短い映画なので、あっという間に見終えてしまいましたが、これがなんと、全然古くない。むしろ、今の日本の婚活状況にも意外とぴったりな映画なのでは、と思ってしまいました。
 主人公は34歳になってもまだ彼女いない歴続行中の34歳の太った男。弟や妹はみんな結婚したのに、と周囲から言われ続け、自分もあせってはいるのだけど、婚活してもふられて悲しい思いをするばかり。彼自身は高校時代は優秀だったのに、貧しさと戦争(第二次大戦)のために大学進学をあきらめ、今は肉屋の店員をしている。しかし、頭のよい彼には店主から店を買わないかという話が来ていて、この店が繁盛していることを知っているし、近所に次々できるスーパーに対抗する策も考えている。つまり、経営の才があるわけです。
 彼には独身の友人たちがいて、合コンならぬ男女が知り合うためのダンスパーティに彼を誘う。そこで、ふられて泣いている29歳のもてない女性と出会い、意気投合、交際を始めようとするが、そこに親戚の嫁姑問題が発生、主人公の心理にも影響が、という、まるで日本のような展開。日本での公開当時も、アメリカも日本と変わらないんだ、と、観客の共感を呼んだようです。
 日本と変わらない1つの理由は、主人公の家族がイタリア系で、しかも貧乏なので、親の家に子供夫婦が同居しているからなのですが、母親の家に住んでるくせに、嫁姑問題が発生すると、母親の方が家を出るというのはねえ(出ていくべきは息子夫婦の方でしょう)。
 主人公の男女の会話の中に、親が自分を頼っているからこれができない、とお互いに思っているが、本当は自分たちの方が親離れできないのだ、という台詞があるのですが、嫁姑問題では嫁の言い分にけっこう説得力があって、母親側の方が古いと感じるのも、現代でもリアルです。この辺の親離れ、子離れできない人たちの描写もけっこう今日的だったりして。
 主人公が連れてきた女性が大卒の高校教師だとわかって、大卒の女は、とかいって母親たちがケチつけるのは当時の女性の状況がよく出ている感じですが、早く結婚しろという親が、いざ恋人連れてくるとケチつけるっていうのはよくあるパターンかもしれません。
 それでも主人公は彼女に電話して、交際を本格化させようと思うのですが、そこにたちはだかるのは独身男たち。一番悪いのは実はこいつらで、合コンダンスパーティに来る独身男たちの大部分は(そして女たちも)まじめに婚活しているわけではないやつらだということがよくわかります(合コンも同じでしょ?)。主人公の2人のような、まじめに結婚相手を探している人は、こういうところではまず理想の人に会えない、というのもよくわかります。主人公2人はラッキーだったけど、まじめで善良な男女はこういう方面の情報に疎くて、まわりに振り回されてしまう、ということもわかります。まじめに婚活したい人は、この映画を見た方がいいのではないかな?