2011年5月18日水曜日

一枚のハガキ

 以前、「佃島」という写真メインのエントリーをアップしたとき、試写室を間違えたために試写が見れず、近くの佃島へ写真を撮りにいった、と書きましたが、そのとき見逃した「一枚のハガキ」をようやく見ることができました。
 この映画は今年4月に99歳になった日本最年長の現役映画監督、新藤兼人の最新作にして、監督自ら最後の作品にすると言っているもの。第二次大戦中の監督の実体験にもとづく映画です。
 当時、監督は30代で徴兵され、同じ部隊の100人の仲間のうち、94人は戦死、監督を含む6人が生きて終戦を迎えたのですが、その94人が戦死した理由が、なんと、上官によるくじ引きだったのだと。くじで94人が戦地に送られたわけです。
 映画は、くじで戦地へ送られる男が妻から届いたハガキを、くじで戦地に行かずにすんだ男に託し、生き残れたら妻にこのハガキを届けて、自分の思いを伝えてほしい、と言うところから始まります。当時、軍隊にはきびしい検閲があり、妻を思う返事を書くことさえ許されなかったからです。
 戦地へ送られた男は死に、貧しい農家の嫁である妻は夫の老いた両親と取り残されます。年をとって働けない両親は嫁に、次男と結婚して自分たちの世話をしてほしいと頼み、帰る家もない嫁は承諾、義弟と結婚しますが、その義弟もまた徴兵され、戦死。両親も相次いで亡くなり、嫁は一人取り残され、やがて終戦。一方、運良く生き残った方の男は預かったハガキを見つける、というストーリー(ネタバレはこのくらいで)。
 大竹しのぶ扮する嫁の住む農家の前の庭で何度も繰り返される儀式が、まるで舞台劇のように撮影されています。赤紙が届けられ、長男が出征し、やがてからっぽの骨壷が帰ってくる。そして、今度は次男が出征し、やはりからっぽの骨壷が帰ってくる。どちらも左側から人々が来て、一列に並んで儀式をするという、ある種の様式を感じさせる映像です。
 そして、この農家の内部がなんともいえないリアリティで描かれています。畳がなく、板の上にむしろを敷いただけの家。その母屋も両親が寝泊りするので、嫁と夫は狭い納屋で寝ている。嫁がランプに火をつけるシーンがあるが、それは電気が来ていないのではなく、お金がなくて電気を止められているのだとわかる。最低限の生活さえ保証されていない貧しい人々が、働き手の息子を2人も戦争に奪われる。一方、コネで徴兵を免れた者もいたことがあとでわかります。
 本当に暗い話なのですが、暗くて落ち込んでしまう映画ではありません。ときおりユーモアをまじえることで暗くなりすぎるのを避けています。大竹しのぶの演技にもある種の明るさがあるし、最後は希望を持って終わります。最初の夫と嫁を演じる六平直政と大竹しのぶが殿山泰司と乙羽信子を連想させるのも面白い。
 それにしても、例の原発事故で、政府の情報隠しや世論操作がまるでチェルノブイリの旧ソ連みたいだと言われていますが、この映画に描かれた戦争中の日本の、お上が決めたことに黙って従うしかない不自由さ、真実の隠蔽、これでもかとばかりに弱者を襲う被害、といった場面を見ていると、これはかつての戦争の時代だけの話じゃないという気がしてきます。何かあると、本質的に日本はこうなるのだという感じがしてならないのです。

 話変わって。先日、ちょっとショックなことがありました。
 ある大学Aで、たまたま扱った英米文学の作品が、科学の探求はどこまでいいのか、というようなテーマを掲げていたので、それに関連して、クローンや原発などの科学の発達についてどう思うかというアンケートを書いてもらいました。
 実は、別の大学Bでも同じテーマを扱い、やはりアンケートを書いてもらっていたのですが、こちらの大学Bの学生は社会問題についてよく考えていて、有意義な回答が多かったのです。ところが、先日、大学Aで書いてもらったところ、大学Bではあり得ない回答がいくつもあったのに驚きました(もちろん、有意義な回答も多かったのですが)。
 いわく、「科学の探求で悪いことがあっても自業自得だから勝手にすればいい」「原発は必要だから別にいい」「何をやっても自由」
 はあ。こういうの、”投げ槍”っていうんでしょうか。
 「原発は必要だけど、安全にしなければいけない」というならわかりますが。
 このほか、「白紙」「科学のことはわかりません」というのも。
 もともとこの大学Aでの授業は、この授業を受けたくて受講している人は半分くらいで、残りの半分はほかに取るものがないから、という学生です。なので、私語が多く、受けたい学生から苦情が来るほどです。他の授業で抽選に落ち、2回目以降に登録してくる学生が3分の1くらいいて、聞く気のない学生の側にも抽選に落ちなければ、もっと違う授業があれば、こんな授業受けないのに、という思いがあるでしょう。大学にもいろいろ問題があって、学生だけを責められないことが多いです。
 それでも、もしも放射能汚染でガンになるとすれば、困るのは若い人のはずです。私みたいな年齢の者は、仮に放射能でガンになっても、寿命が来るのとどっちが先かという話です。人間は年をとれば体にガタが来て、ガンになりやすくなるし、年配者はガンになっても進行が遅い。
 しかし、若い人はガンになるとあっという間です。ガンとわかってから3ヶ月で死んでしまうこともあるとか。もともと、子供や若い人は年配者に比べ、ガンになる確率が低いのに、放射能のせいでガンになる子供や若い人が増え、その進行があっという間だとしたら…。
 政治家とか、学者とか、ジャーナリストとか、みんな、放射能より寿命が先みたいな年齢の人ばかりです。私もそういう年齢ですから、震災のあと、あまりあわてず、落ち着いていました。そして、放射能の影響が心配な若い人や子供のために、安心安全デマは許せない、と思っているのです。 
 話がずれましたが、”投げ槍”な回答をした学生は、単に興味がない授業だから”投げ槍”な回答でいいやと思って書いたのだと思いたいです。