2011年5月14日土曜日

4年ぶりの交流

 しばらくログインできなかった上、最新記事が消えてしまったブロガー、やっと復旧しました。
 最新記事がデレクのチームUMDブルドッグス優勝の記事だったんで、あわてましたが、ブロガー、復旧してもこの記事は復旧してない(汗)。投稿を編集のところを見たら、下書きとして残っていましたが、これが最初にアップしたときの記事で、その後の訂正や追記がいっさいなし。幸い、キャッシュが残っていたので、それで復旧させることができました。
 しっかりしてよ、ブロガー…。

 さて、その間、私はデレクにお祝いのカードを送ろう、と思っていたのですが、時間もたってしまったし、カード送るより、大学のメアドあてにメール送ろう、と考え、早速実行。最後に会ってから4年もたっているし、きっと私のことなんか忘れてるだろうからと、自己紹介から始め、何度かグリーティングカードを送ったこと、東日本大震災でホッケーどころではなくなり、ブルドッグスの優勝は最近知ったこと、そして、私も釧路の人たちも無事です、と書いたところ、なんと、数時間後に返事が!!!
 短いメールでしたが、「カードは届いているよ、釧路の人たちが無事でよかった」と書いてありました。
 4年前の釧路での優勝祝賀会で、デレクに近寄れず、最後の最後にほんの少し、話ができただけで、それが最後になってしまったのですが、4年たって、やっと、ささやかな交流ができたような気がしました。
 デレクがアシスタントコーチをつとめるブルドッグスを優勝に導いたヘッドコーチには、ペンシルヴェニア州立大からHC就任のオファーが来たそうです。ペンシルヴェニア州はセイバーズの新オーナーのお膝元なので、元セイバーズのデレクとセットでセイバーズのHCに、なんていう期待があちらのファンのブログに出たりしてましたが、デレクもヘッドコーチもブルドッグスを離れていないようです。
 デレクについては、セイバーズが先だってのプレーオフ、ファーストラウンドで第7戦に臨んだとき、セイバーズが第7戦を勝ったのは97年のデレクのOTゴールのときだけ、ということでデレクが話題になりました(そして、セイバーズはまたも第7戦に勝てず敗退)。
 また、ルーキー、タイラー・エニスの活躍がデレクと比較されたりしていました。実は、セイバーズでは、デレクのあと、ルーキーとしてデレクを越える記録を出した選手はいないのです。あのヴァネクでさえも、ルーキーイヤーはデレクに及ばなかったのです(要するに、傑出したルーキーがいかにいないかだが)。
 ディフェンディング・チャンピオンとなったブルドッグスですが、これはデレクが現役だった頃の写真。Cマークをつけています。