2014年8月24日日曜日

ニンフォマニアックVol.1/Vol.2

いずれ書くといってなかなか書かないと忘れてしまうので、書いておこう。
「最近見た映画から」記事で少し触れたラース・フォン・トリアーの「ニンフォマニアック」。第一部と第二部の二部構成で、合計4時間。トリアーの映画4時間か、こりゃつらいなあ、パスしちゃおうかしら、と思って、RottenTomatoesを見たら、第一部の評判がものすごくいい。第二部はイマイチ。じゃあ、とりあえず第一部見て、さらに見たかったら第二部を見ようと出かけた。
見終わったみると、これは一気に両方見るのが正解の映画だと思った。第一部終わった時点で帰るなんてできない。映画館では時期を分けて公開するようだけど、同時公開の方がよい気がする。
映画は、中年の女性ジョー(シャルロット・ゲンズブール)が殴られて倒れているのを初老の男性セリグマン(ステラン・スカルスガルド)が助けるところから始まる。警察も救急車も呼ばないでくれ、というジョーをセリグマンは自宅に入れてやり、ジョーから色情狂の過去を聞くことになる。
子供の頃から性に対する欲求が強かったジョー(若い頃はステイシー・マーティン)は、やがて、初恋の男性ジェローム(シャイア・ラブーフ)と初体験。が、これは痛いだけだった。これにもめげず、ジョーは色情狂の道を突っ走る。友達と列車の中で何人ナンパできるか競争したりと、愛なんかどうでもいい、性がすべて、の少女時代。話を聞きながら、書物をたくさん読んできたインテリのセリグマンは、それはアイザック・ウォルトンの「釣り魚大全」みたいだね、という感じで、ジョーの話にインテリの薀蓄を傾ける。
こんな具合に第一部は進むのだが、若い頃のジョーを演じるステイシー・マーティンが溌剌として魅力的で、彼女のあっけらかんとした性遍歴が面白く、それに対して薀蓄を傾けたりするセリグマンが面白い。傾けられている相手はゲンズブールの演じる中年のジョーなのだけど、若いジョーのエピソードと、話をする中年のジョーと聞くセリグマンのシーンの絶妙なコンビネーションもあって、第一部はとにかく楽しい。
学校を出たジョーは印刷会社の秘書になるが、そこで初体験の相手ジェロームと再会。しかし、ジェロームとはすれ違いに終わり、ジョーが愛を感じたときにはジェロームはすでに結婚して、どこかへ行ってしまっていた。
その後は多数の男と同時に関係を持つが、中には妻子と別れてジョーと一緒になろうとする中年男もいる。このエピソードが一番面白い。妻子と別れたといってジョーのもとに男が来ると、妻子がそのあとからやってきて文句を言う。ジョーは次の男が来るので、早く彼らを追い返したいのだが、妻は夫を責め、ジョーを責め、という具合に修羅場が続き、やがて次の男が来てしまう、という展開。ここは役者たちの演技のぶつかりあいもあって、なかなか見応えがある。妻が直接的には夫を責めながら、実はジョーも責めているというあたりも面白い。ジョー自体は夫はどうでもいいので、修羅場だけど笑ってしまう。
その後、ジョーはまたジェロームと再会する。ジェロームは妻とけんか別れしていたので、ジョーとつきあうことになるが、なんと、ジョーは性不感症になってしまう、というところで第一部は終わり。
唯一愛を抱いた男ジェロームと関係したら不感症になってしまったジョー。2人の間には子供も生まれるが、ジョーは不感症を直すため、サディストの男(ジェイミー・ベル)のもとに通う。この第二部からは中年のジョー(ゲンズブール)になっているのだが、若いマーティンから急に疲れた顔のゲンズブールに変わるのがかなりギャップがあるが、ジョー役がかわったことで映画も急展開。前半のコミカルで楽しい雰囲気はなくなり、いかにもトリアー的な重い話になっていく。
サドマゾのエピソードは例によってセリグマンの薀蓄が傾けられるが、それに対してジョーのつけたサブタイトルがユーモアといえばユーモアか。
そんなわけで、後半は重いのだけど、このサドマゾのエピソードが実はトリアーの旧作「奇跡の海」を連想させるのである。
「奇跡の海」は事故で下半身不随になり、妻と関係を結べなくなった夫(セリグマン役のスカルスガルドが演じた)が妻に、ほかの男と関係を持って、そのことを自分に報告してほしい、と頼む。妻は夫を愛しているので、他の男と関係を持つのはつらくてたまらないのだが、夫のために実行する。世間は彼女をふしだらな女と責める。そして最後には、妻は殺されてしまう。それからしばらくののち、夫が回復して歩けるようになったというシーンで映画は終わる。
これは「ダンサー・イン・ザ・ダーク」でも描かれた、愛する者のために苦行をして命を落とすと愛する者の障害が治る、というパターンだ。
「奇跡の海」はそれが本当に奇跡のような、ある種の宗教的な神々しさをもって描かれていた。
「ニンフォマニアック」のサドマゾ・エピソードで、セリグマンは、キリスト教は西のカトリックでは磔にされたキリストの画像が圧倒的に多く、東の正教会では聖母子像が多い、つまり、西は受苦、東は愛だ、と言う。このエピソードのタイトルが東方教会と西方教会となっているのはそのことだ。
ジョーは最愛のジェロームとようやく結ばれたが、性不感症になってしまう。本来なら子供も生まれ、聖母子像のような愛ある家庭を築いているはずが、性不感症のためにしだいに夫も子供もどうでもよくなってしまう。彼女はサディストのもとを訪れ、鞭打たれることで性的な満足を得る。
つまり、これは「奇跡の海」のパロディみたいなものだ。ただ、今度は夫の側には問題がなく、妻が問題を抱えて受苦に走るというわけ。もちろん、ジョーの受苦は誰も救うことなく(自分は救えたが)、結果的に夫とも子供とも別れてしまう。
このあと、ジョーは借金取り立ての闇ビジネスの組織に加わり、そこで才能を発揮する。そして、仲間とある男の取り立てに向かったところ、なんと、その男はジェロームだった。ただ、役者はラブーフが老けメイクではなく、別人(マイケル・パス)が演じている。ジェロームと会いたくないジョーは、この仕事は自分の後継者と見込んだ若い女性P(ミア・ゴス)と他の部下たちに任せ、自分は何もしないことにする。ところがジェロームとPが恋に落ちてしまい、という具合に、映画は結末に近づく。
ジョーはジェロームと4度遭遇する。最初は初体験のとき。次は秘書になったとき。次は結婚。そして最後に後継者と見込んだ若い女性に彼を奪われたとき。
面白いのは、4度とも、ジョーはジェロームとは性的快楽を得られないということだ。
最初は痛いだけだった。次はすれ違い。3度目は性不感症になる。そして最後は、最初とはまったく別の意味で痛い。
すべてを語り終わったジョーは、性に無関心な人間になりたいと願う。書物だけで生きてきたセリグマンは性に関心がないようで、ジョーの話を冷静に聞いていた。
で、このあと、オチがあるのだが、これはそれほどびっくりするようなオチでもないので、ちょっと残念だった。
前半の若いジョーのエピソードがとにかく楽しく、全体を通じてジョーとセリグマンのやりとりも面白い。後半はよくも悪くもトリアーだ。