2014年12月31日水曜日

大晦日、真の満員札止め

今日で閉館する新宿ミラノ座。閉館上映会は結局、一度も行けませんでした(年末、風邪ひいてしまったりして)。
で、最終上映の1時からの「E.T.」、ツイッターによると満員札止めで、入れない人が外に立っているとのこと。優勝が決まる試合で、入れない人が球場の外でその瞬間を待っている、ということがありましたが、ここもそうなのだろうか。入れた人にはクラッカーが手渡されたそうで、終映とともに1400発近いクラッカーが鳴るのか。うーん、煙すごそう。(ミラノ座の定員は、立ち見入れると1400人弱だそうです。)

ツイッターで、新宿ミラノ座で検索すると、このような風景や感想が出てきます。
https://twitter.com/search?q=%E6%96%B0%E5%AE%BF%E3%83%9F%E3%83%A9%E3%83%8E%E5%BA%A7&src=typd
行った人、行けなくて残念な人の思いが語られていますが、その中で、こういうツイートも。

「E.T.」満員札止めであぶれた人たち(僕含む)が多数いたんですが、おばはん二人組が「何か他の映画見ればいいんじゃないの?」とクールにすたすた歩き去ったのがカッコ良かった。正しい映画観客。(カセット館代表後藤さん)

本日の閉館を惜しむ人々でいっぱい。ただ、通常営業最終日の映画「インターステラー」の最終上映回がガラガラだったことは書いておこう。(ヒトリカンケイさん)

ミラノ座ラスト上映は朝から並ぶ客がいることを予想して、お客さんはすでに閉館したミラノ座のビルの他の映画館の中やロビーに並んだらしい。ミラノ座より一足先に閉館していた、新宿東急などのことで、早くから並んだ人はある意味、奇妙な体験だっただろう。上映1時間前には座席が埋まるくらいには並んでいたようだ。30分前だともう立ち見もいっぱいで入れなかったかもしれないなあ。その前の「荒野の七人」を見た人はすぐに並んでも立ち見だっただろうか?
うーん、私は実は、「荒野の七人」は上野東急、「アラビアのロレンス」は松竹セントラル、「タワーリング・インフェルノ」は丸の内ピカデリー(旧)、「E.T.」は新宿ピカデリー(旧)で、今回のラストショーのラインナップでミラノ座で見たのは「戦場のメリークリスマス」だけみたいなのだ。上映作品リストを見ても、松竹セントラル、丸の内ピカデリー(旧)、渋谷パンテオン、丸の内ルーブル、千葉の京成ローザや千葉劇場、そして大宮の映画館を思い出してしまったのだった。このすべてが、昔とは同じ形では残っていないと思う(名前は残っていても)。

というわけで、2014年もあとわずか。
このところ、映画の鑑賞報告をしていませんが、試写はいろいろ見ているので、いずれまとめて短評を書くつもりです。最後に見たのはチャン・イーモウの「妻への家路」(試写)。
では、よいお年をお迎えください。

2014年12月30日火曜日

謎の学生が訪ねてきた。

哲学的しろくまさんのツイッターから

謎の学生が訪ねてきた。
学生「出席が足りないので、冬休みのレポート課題を出してください」
おいら「なぜ」
学生{え?」
おいら「なぜ」
学生「え? それで評価してもらえればと」
おいら「なぜ、こちらの負担を増やすと評価してもらえると思うの?」
学生「え?」
おいら「え?」

これはよくありますね。学生のくずに等しいレポートを読むのがどれだけ苦痛か、彼らはわかっていない。書けば評価されると思っている。
しかし、上のように思う先生は少ないのか、教授が学生に「レポート課題を出してもらって単位をもらえ」と指示した、と言ってくる学生もいるのだ。一度、その教授の経歴をネットで調べたことがあるが、NHK教育くらいには出たことのある先生だった。
それでも、上の「謎の学生」はまだよい方なのです。
試験が終わった後、「出席も悪いし試験もできなかったのでレポート課題を出してくれ」という学生が時々いる。しかし、非常勤講師は期末試験が終わったらもう次の学期まで大学に来ない、いや、雇い止めなり辞職で二度と来ない可能性も高いのだ。
つまり、レポートを受け取れない(自宅の住所は個人情報なので教えるつもりはない)。
もちろん、出来の悪いレポートなどただで読みたくもない。
第一、ほかの学生は、たとえば出席が悪ければその分試験でがんばろうと努力しているのに、なんで、このずるい学生だけえこひいきしなければならないのか。
あ、これよりすごいのは、4年生は再試験を受ける権利があり、年度末にそれを受ければ合格可能性あるのに、「合格できるわけないから、今、不可の成績を可にしてほしい」としつこくねばる学生がいたことだ。この学生は中堅私大の法学部の学生である。恐ろしい。
スポーツ推薦で入学し、大学ではスポーツしかやっておらず、スポーツの実業団のある一流企業に内定し、という学生が多い大学は上のようなことが多いような気がする。
はるか昔、私の大学の教授が別の大学にいたとき、その近くの大学で非常勤講師をしていたのだが、その大学がスポーツで有名なところだった。そして、受け持ちの学生で1度も出席せず、試験も受けていない学生について、大学から「この学生はスポーツの実業団のある某企業に内定したので、レポートを出して合格にしてほしい」との依頼があった。そこで、その先生はレポート課題を出したが、学生はレポートも出さなかった。しかし、その学生はなぜか卒業し、サッカーで有名な実業団(当時はJリーグがなかった)でプレーしていたとのことである(私は知らなかったが、かなり有名な選手だったらしい)。
私が今、非常勤をしているある大学で、別の非常勤講師が「学生が頼んでも合格にしないが、親が頼んできたら合格にする」と言っていた。親が相手だと面倒なことになるからで、中には卒業させないなら訴える、という親もいるらしい。
小保方事件は、上のようなことの延長上にあるのだとしか思えない。
なんにしても、非常勤講師は大学生の新卒給料より低い収入で生活しているので、「こいつ、ずるいことして就職して、自分よりいい給料もらうのだな」と思われるのだ、ということは、上のような学生は気づいた方がいい。

追記 リンク貼り忘れていました。
https://twitter.com/eis_baerchen/status/547595108967645184
反応のツイッターを見ると、学生が悪くないと思う人が圧倒的多数ですね。でも、現実には、まじめな学生が損をする結果になるケースばかりです。同情の余地のあるケースだったら、先生の対応も違うはず。つか、こういうことがあるとは知らなかった、という人もいるようだけど、他の学生がまじめにがんばっている陰で、こういう人がずるく立ち回っているのだけれど。それを優秀と勘違いした結果が小保方事件。

2014年12月24日水曜日

フランケンシュタインの映画

いろいろな形でよく映画になる「フランケンシュタイン」ですが、ジェームズ・マカヴォイとダニエル・ラドクリフ主演の「ヴィクター・フランケンシュタイン」(原題)というのが2015年10月にアメリカで公開になるらしい。監督は「シャーロック」の人で、イギリス映画だそうだ。
で、内容は、というと、マカヴォイがヴィクター・フランケンシュタイン、ラドクリフが助手のイゴールって、メアリ・シェリーの原作と関係ないじゃんか! つか、これ、ボリス・カーロフの映画のパスティーシュだろう。
ただし、カーロフの映画では、フランケンシュタインはヴィクターでなくヘンリーになっていた。そして、フランケンシュタインの親友ヘンリー・クラーヴァルがヴィクター・クラーヴァルになっているという、脚本家、何考えてんの?な映画なのだった(でも傑作)。
でも、イゴールは原作には出てこないけど、イゴールという助手が最初に登場する「フランケンシュタイン」はカーロフの映画以前にあったのかもしれない。なにしろ、「フランケンシュタイン」は小説出版後わりとすぐに舞台化されたらしいし、映画もカーロフ以前にもあったのだ。
で、「シャーロック」の監督でマカヴォイとラドクリフなら、日本公開あるでしょう。そのためだったか、新潮文庫。
ケネス・ブラナーの映画のときは、角川が映画のノベライズの翻訳(単行本)を出した関係で、映画との原作タイアップは角川文庫のみ。しかし、創元は映画の写真を出せなかったが、帯に「原作」とでかでかと書いて売ったのだった。タイアップなくてもそこそこ売れたのは、角川の翻訳が非常に古いもので、全訳ではなかったからだった。
さて、そのマカヴォイの映画のときは新潮だけがタイアップするのか、はたまた新潮、角川、創元、光文社の4文庫そろい踏みに、さらに20世紀末に出た講談社の単行本と、21世紀初めに出たマイナーな出版社の単行本が加わるのか? いっそ、国書刊行会から出ていた単行本も出してしまえば?
以前と違い、今は本はネットで買うのが主流で、書店に映画の写真のついた本を平積みにして映画の宣伝にするのはすでに過去の話。タイアップは出版社には得になっても配給会社には何の得にもならないのが現実。なので、古典の映画化の場合、原作とのタイアップなしもある。

一方、演劇では「シャーロック」のベネディクト・カンバーバッチが主演する「フランケンシュタイン」が好評で、日本でも舞台中継録画の上映が映画館であったようです(知らなかった)。

2014年12月22日月曜日

さびしいのう

さびしい、といっても、今日は新宿ミラノ座閉館のことではなく…
あ、今夜は「アラビアのロレンス」か。夜、仕事で行けんわ。

さびしいのは、「フランケンシュタイン」の新訳が新潮文庫で今日発売だからです。
解説書いた創元の翻訳が出て早30年。来年2月は31周年。
しかし、数年前に光文社古典文庫から新訳が出てからは増刷もほとんどなくなり、やっぱり文字が小さいし、定価上げちゃったし、30年前の日本語だし、てわけで、さびしくなっていたのですが、それでも光文社のよりは定価が安いし、キンドルは激安設定なので、まあ、少しは売れてたかな、というところでした。
しかし、全国区の新潮文庫から出てしまっては(しかも定価が創元より少し安い)、創元も光文社もかなりわりを食うでしょう。書店へ行けばわかりますが、創元や光文社は地方区です。
キンドルがあるので、なくなることはないのですが、やっぱりさびしい。
その一方で、私自身は今はもう「フランケンシュタイン」なんてほとんどやってないわけで、某大学の英語圏文学入門でちょっと紹介するくらいなものです(学生はけっこう興味あるようだ)。
というわけで、自分にとっても過去、さびしい…
などといってないで、新しいことせねば。

「フランケンシュタイン」は今は絶版ですが角川文庫にも入っていて、こちらは多少省略された箇所もある翻訳ですが、挿絵がよかった。また、著作権が失効した古い翻訳がキンドルで無料配布されているようです。
「なんで今頃新潮社から?」という声もありますが、時期的に「アイ・フランケンシュタイン」のブルーレイ発売に合わせたような印象。まあ、それがなくても創元と光文社に流れていた分をとれるとか、フランケンシュタインなら時々映画になるからとか、そういう目論見があることでしょう。

2014年12月19日金曜日

セパミのミ

明日12月20日発売のキネマ旬報1月下旬号の新宿ミラノ座閉館特集に執筆しています。
この号のメインの特集は市川雷蔵。特集の中心的執筆者は元キネ旬編集者・橋本光恵さん。橋本さんには当時、いろいろとお世話になりましたが、雷蔵の話もよく伺った気がします(そのわりには私は雷蔵の映画、あまり見てないのですが・汗)。
そして、明日20日から大晦日までは新宿ミラノ座ラストショーとして、いろいろな映画が上映されます。明日は早速、「E.T.」と「戦メリ」かあ。キネ旬の新宿ミラノ座特集にはなつかしい写真がたくさん掲載されています。
その特集の中の記事でも書いたのですが、新宿ミラノ座は松竹セントラル、渋谷パンテオンとトリオを組んで、同じ作品を上映していたのです。記事には書きませんでしたが、ファンにはセパミと呼ばれていたらしい。セがセントラル、パがパンテオン、ミがミラノ座。
「セパミがルパミになり、ルとパが消えて、ミもなくなるのだという」というような意味のツイートを見かけましたが、ルはセントラルが閉館したあと、マリオンにできた丸の内ルーブル。が、セントラルに続いてパンテオンが閉館、そしてルーブルも閉館、最後に残ったミラノ座が大晦日に閉館。
このセパミのような上映館グループをなんというのかなあ、と考えていたのですが、系列とかチェーンとかいうのは、東宝系とか松竹東急系、あるいはTYチェーン(東宝)、STチェーン(松竹東急)という場合に使うので、作品ごとの上映館グループは、たとえば、日劇系とかいう言い方であったと思います。
で、セパミですが、以前は松竹セントラル系と言われていたように思います。そして、セがルになったあとは丸の内ルーブル系でした。つまり、銀座日比谷有楽町界隈の映画館の名前に系がついていたと思うのです。日劇系とか、丸の内ピカデリー系とかですね。こういう言い方もまた、すでに古くなっているわけですが。

2014年12月16日火曜日

有楽座というよりはニュー東宝シネマが閉館

来年2月末に閉館ということは8月にすでに発表されていたのですが、地味な映画館なのであまり話題にもならず、気がつきませんでした。
現在の館名はTOHOシネマズ有楽座だそうです。
長い間、ニュー東宝シネマと呼ばれていたのですが、2005年に、かつて日比谷にあった大劇場・有楽座の名前を引き継ぎ、館内も大幅にリニューアルして新・有楽座として開館。
うわ、こんなゴージャスな映画館になってたのか!
http://www.cinema-st.com/road/r047.html
私が知っていたニュー東宝シネマはこれですね。映画館最後尾の眺めというサイトの中に、最後尾から見たニュー東宝シネマがあります。
http://www.holysnow.com/coffee/k-tai/
ウィキペディアでは有楽座のところにこの映画館が紹介されていますが、ニュー東宝シネマは1950年代開館なのに80年代からの上映作しか紹介されていない。
ここで見た映画の思い出というと、70年代はじめにリバイバルされた「卒業」。
初公開のときも大ヒットでしたが、このリバイバルもかなりの人気で、日曜日に行ったら、お目当ての回はもう満員で、さらに次の回を待つ人の列がものすごくて、出直そうと思ってその日は帰りました(別の日に出かけて見た)。
当時はここは750席くらいで、ウナギの寝床みたいに細長い映画館で、あまり見やすくないし、同じ映画をよそでやっていればここには来なかったので、「卒業」以外に見た映画をすぐには思い出せません。
そんなわけで、有楽座の名を襲名すると聞いたときは、あのしけた映画館が有楽座を名乗るとは許せん、と思ったのですが、座席の数を半分に減らし、名前にふさわしいゴージャスな映画館になっていたとは。
ここも何かお別れ上映とかあるんですかね? 「卒業」やってくれないかしら。(でも、狭いから、やったら大混雑で大変そう。)
閉館の理由は入っているビル自体が閉鎖ということで、有楽町界隈も相当に景色が変わってしまいそうです(すでに昔の阪急がなくなって全然違う風景になっているが)。

2014年12月12日金曜日

明日公開の映画

明日13日公開の映画、「天国は、ほんとうにある」の劇場用プログラムで、作品評と、インタビュー&プロダクションノートの抄訳を担当しています。
が、この映画、全国で2館でしかやらないらしい。関東はヒューマントラストシネマ渋谷のみ。
重い病気で生死の境をさまよった幼い少年が、天国へ行ってイエス・キリストに会った、という話。実話の映画化、ということで、「大霊界」の子供版か、と思いましたが、意外に宗教色は濃くなく、どちらかというと田舎町の人々と家族のホームドラマのような感じでした。
監督、以前はランダル・ウォレスといっていたので、私はランダルにしてしまいましたが、最近はランドールにしているところも多いのですね(調べたら両方ある)。たぶん、発音はランドールの方が正しいのだと思うけれど。
主演のグレッグ・キニアの演じる田舎のプロテスタントの牧師さんがとてもユニークです。こんな牧師ってあり?と思ってしまいました。

2014年12月7日日曜日

インターステラー@新宿ミラノ座

クリストファー・ノーランは処女作「フォロウイング」からずっとフォローしていて、雑誌やこのブログにも必ず文章を書いていたが、新作「インターステラー」は正直言って、あまり見る気がしなかった。理由はまず長い。おまけに内容が、滅亡する人類を救うために人間が住める惑星を探しに行くって、それ、いつのSFや?という話(昔からある話なんですよ)。これを3時間もやるのか、おい、てな感じだったのだが、上映館が年末で閉館する新宿ミラノ座なので、これを見納めにするのは悪くないと思って行ってみた。
で、ふだんは映画館は平日に行くことにしているのだけど、やはり年末ということで平日も忙しく、土曜日に出かけた。土曜日の新宿なんて行きたくないのだがしかたない。行ってみると、チケット売り場の前に10人くらい並んでいた。お、こんなに並ぶのめずらしい、と妙に喜ぶ。入ってみると、さすがに平日よりは客が入っている。平日だとほんとガラガラだけど、まあ、ガラくらいにはなってる(土曜でもこんなものか、というくらいでした)。
ミラノ座は20日頃からラストショーということで、過去に上映した作品をいくつも上映する予定だけど、これも行けるかどうかわからない、たぶん行けないだろうな、と思うから、ほんと、これが最後かもしれないと思い、帰りに2階のロビーを見てみたり、1階に置かれたポスターを全部見たりした。パンフレットの販売会もやっていたけど、映画が終わる頃には閉店していた。
で、「インターステラー」なんだが、今出てるキネ旬では妙にヨイショしていて、これってもしかしてベストテンに入れようというステマ?とか勘ぐってしまうのだけど、特集の方はヨイショっぽいのは1人だけで、あとはわりと納得の解説文であった。
クリストファー・ノーランの大ファンを自認する私に言わせれば、これ、今までで一番つまんないよ。
まあ、つまんないわりには3時間まったく飽きなかったので、それはさすがだと思う。きちんとできているから飽きさせない。
でもねえ、終わったあと、カップルの女性が「で、これ、何が言いたいの?」と男にたずね、男沈黙、というシーンを見てしまったが、私もこの映画「So what?」です。
難解な映画では全然ないんですよ。難解な方が「2001年宇宙の旅」や「惑星ソラリス」みたいで、いろいろ考えるところがあって、さすが、と思えるのだが、全然難解じゃない。ブラックホールやワームホールを抜けて別の場所に行くというのはいまやSFファンじゃなくたって知ってるだろう。
愛がすばらしい、とか書いている人いたけど、ノーランの映画は常に愛が隠し味だったのに、この映画は最初から愛だ愛だとうるさい。もう、愛のてんこ盛りで、見ているうちに食傷してしまう。さりげなく愛、だからよかったのにさ。
だいたい、人類が滅亡しそうになってる、と言ったって、なんだか重力が変で、それで砂嵐が起きて、雨が降らなくて、農業がだめになり、それで滅亡しそう、という設定が、はあ?という感じ。そうなりそうになったときに何かできただろう?と突っ込みたくなる。黙って砂嵐が来るのを待ってたわけ? シェルター作ってとか考えなかったわけ? ただもう、科学を捨ててあきらめたの? わからん。
この種の勝手に人類滅亡しそう状態を作るSFって、以前は批判する人いたよね。今はいないのか?
で、冒頭の主人公と娘のシーンはなんだか「シックス・センス」の監督っぽいし、宇宙に出てからは「ゼロ・グラビティ」の二番煎じっぽいし、新しさをまったく感じない。「彼ら」とか言ってるので、「2001年」みたいに宇宙の神みたいなのが出てくるのかなあ、と思ったら、それはなかったのでよかった。この辺はノーランはやはり現実的。そのかわり、謎とか神秘とか無縁。
上で、「ただもう、科学を捨ててあきらめたの?」と書いたけど、ノーランとしては科学を捨ててあきらめることをしない、というテーマを頭でひねくりまわして作ったんじゃないのかな、と思う。というのは、映画の中で何度も繰り返されるディラン・トーマスの詩「あの心地よい闇に静かに入っていってはいけない」というのは、病気で死にかけている父親に詩人が語りかける詩だからだ。トーマスはウェールズ出身で、のちにアメリカに移住した無頼の詩人だが、病で死にかけている父親に対し、これが運命だと思ってあきらめて死ぬな、と言っているのである。しかし、映画を見ている私たちにとって、科学をあきらめて捨てた人類はノーランが勝手に作り出した人々でしかない。まあ、ノーランは観客に向かってあきらめるなと言ってるわけじゃないと思うが。
3時間近く、そして地球の時間では100年近く、すったもんだしたあげく、ラストでは人類が他の惑星へ移住する計画が進められているけど、まだ入り口に立ったばかりみたいだな。ブラックホールの中で主人公は、遠い未来の人類はすごい科学の発達をなしとげたとわかるようだけど、あのシーンは科学的には反則だと思う。
あと、stayという単語がキーワードになっていたけど、この単語は「E.T.」でいろいろな意味で使われた単語。なんかいろんな過去の映画のモチーフで作られた、かなり懐古趣味的なSFにしか見えなかったというのが私の感想です(はあ。溜息)。
その他いろいろ言いたいことあるけど、ノーランはストレートに人間を描くと底が浅いのがバレバレなのもなあ(もう一度溜息)。
でもまあ、きちんとできているので3時間飽きないというのがとりえ。

2014年12月3日水曜日

昭和な時代の終わり

高倉健に続いて、菅原文太が世を去った。
菅原文太といえば「仁義なき戦い」や「トラック野郎」だけど、社会活動家でもあったとは。
なんだかほんとに昭和な時代の終わりを実感。


昭和な時代の終わりと言えば、戦後昭和の時代を象徴する大劇場映画館・新宿ミラノ座と、ミニシアター・シネマスクエアとうきゅうの入ったビルの映画館4館が年末に閉館とのことで、上の2館に関する原稿依頼が来ております。
そして、さっきは、執筆翻訳で協力した今月公開の映画のプログラムのゲラがPDFで来ていました。
さらに、郵便受けには、毎年恒例のベストテン選考の依頼が。これ、依頼から締め切りまでがものすごく短いんだよね。なので、あまり考えずに好きな順に選んでしまうというか、だいたい8位まではすぐに決まるけど、残り2つが候補がいくつもあって困る。
特に忙しいわけではないのだけれど、なんとなくせわしない感がある。師走です。