2016年7月20日水曜日

ひまわりに向かって飛ぶ蜂

偶然撮れた1枚。

「シング・ストリート 未来へのうた」について書かなければ、と思っているうちに公開されていた。
「Once ダブリンの街角で」、「はじまりのうた」で音楽ファンに熱狂的な支持を受けているジョン・カーニー監督の新作。これまでと違い、初めて自分の少年時代をもとにしたストーリー。そのせいか、前2作に比べてオシャレ度が低い感じがするが、その分、1980年代のアイルランドの問題を適度にまじえたリアルな出来栄え。
以前このブログにも書いた「ブルックリン」と比較して見てほしいと思うが、どちらもアイルランドという国の保守性を批判している。「ブルックリン」は50年代、「シング・ストリート」は80年代。前者は保守的なアイルランドと対比される自由な国としてアメリカが、後者は未来への希望の国としてのイギリスが登場するが、どちらもアイルランド目線だからだということは絶対に理解しないといけない。アイルランド人が保守的な自分の国の問題を見据える延長としてのアメリカ、イギリスであって、アメリカ人やイギリス人が自画自賛しているのではないということ。
「シング・ストリート」では、父親の失業のせいで裕福な生徒が行く私立からカトリック教会が運営していると思われる高校(校長や先生が神父)へ転向した主人公が、いじめにあったり、両親の不和を目の当たりにしながら、バンドを組むことで人生に活路を見出す姿が描かれる。
全体としてはほんわかムードなので、悪役もそんなにあくどくなく、むしろいじめっ子の少年が実は家では親から虐待されていて、バンドのボディガードにスカウトされると喜んで参加、という気持ちのいい展開。
それでも80年代当時のアイルランドのカトリックの抑圧、保守性、庶民が抱える失業や犯罪の問題、そして家庭の問題(これは他の国にも共通するが)の描写は、80年代にそうした問題をもっとシリアスに描いたアイルランドの映画や小説を多少とも見てきた私にはリアルに感じられる。もちろん、今はだいぶよくなっているのか、映画の最後に「この映画は過去の時代を描いたもので、現代のアイルランドとは違う」という英語字幕が出る。
歌手をめざす少女と主人公が自分たちと、そして仲間の希望を叶えるべく、祖父の小さな船でイギリスに向かうラストは「トゥルーマン・ショー」のクライマックスに少し似ているかもしれない。

「ブルックリン」映画評はこちら。
http://sabreclub4.blogspot.jp/2016/03/blog-post_31.html