2018年9月9日日曜日

「1987、ある闘いの真実」&「野いちご」

北海道の地震で泊原発があわや福島第一の二の舞かという電源喪失が起こり、もともと原発停止していたおかげでディーゼル発電でなんとかなったというのに、「泊原発が稼働中だったら北海道全域停電にならなかった」とかいう寝言を言うバカがけっこういるらしいので驚いたのですが、そういうバカがなぜか、「泊原発」を「柏原発」と何度も書いているのですね(バカだからでしょう)。
(詳しくは一番下に追記)

その、原発があるという(ないよ)柏市のキネマ旬報シアターで、韓国映画「1987、ある闘いの真実」とイングマル・ベルイマンの旧作「野いちご」をハシゴ。
「1987」は「タクシー運転手」で描かれた1980年の光州事件から7年後、そしてソウル五輪の前年にあたる1987年が舞台。北朝鮮の脅威を背景に続く独裁政権下で、学生運動をしていただけのソウル大学の学生が警察の拷問で死亡。警察は隠蔽をはかり、遺族に遺体も見せずに火葬にしようとするが、大学病院の医師や検事局の検事がマスコミに真相を流す。まず中央日報が殺人と報じるが、すぐに弾圧され、それでは、と、今度は東亜日報が報道、って、これ、ニューヨーク・タイムズがだめならワシントン・ポスト、のあの映画を思い出しますね。
で、真相が世に出てしまうと、今度は下っ端の刑事2人を殺人犯に仕立て、隠蔽をはかる。だまされた、と思った刑事が逆らうと、多額の金をやると言い、それでも従わないと、今度は妻子を殺すと言われる。もう、やることがひどいというか、この治安警察の偉い所長がすぐに暴力ふるうヤクザの親分みたいな人で(顔も東映のヤクザ映画を彷彿とさせる)。
それでもマスコミ、検事局、そして刑務所には独裁政権と戦う意志を持つ人が何人もいて、こうした人々が連携して、当局の目をかいくぐって真相を伝え、学生がデモをして、こうして民主化への戦いが繰り広げられたのだ、ということをつぶさに見せてくれる。
映画はエンタテインメントとして作られてはいるが、笑いもあった「タクシー運転手」に比べると暗くてシリアスで、最後は正義が勝って悪が罰せられるけれど、悲しい結末。ラストは涙なしには見られない。
映画の後半は延世大学の男女学生2人が主役になっていく。女子大生の方はデモなど役に立たないと思っているが、しだいに考えが変わっていくのは「タクシー運転手」の主人公とかさなる。彼女の叔父は刑務所の看守で、ひそかに独裁政権と戦うレジスタンスに加わっているし、彼女も学生運動をする男子学生に助けられ、光州事件のビデオを見ることで、気持ちが変わっていく。
治安警察対マスコミとレジスタンスの人々という大人たちのドラマと、後半の若者たちのドラマが自然にうまく結びつき、大学生の拷問死で始まった映画が最後もまた大学生の悲劇で幕を閉じるという構成になっている。実話をもとにした複雑な内容を、実にうまく脚本化している。
それにしても、見ている間ずっと、今の日本の状況と比べてしまっていた。当時の韓国は北朝鮮の脅威を理由に独裁していたが、今の日本はそういう脅威はないのに、映画に描かれたような独裁が起こりつつあるという感じがしてならない。

ベルイマンの映画は意外に見ていないものが多くて、「野いちご」も初めてだった。
名誉博士号を授与されることになった老教授が、授賞式へ車で出かける。その間に若者3人組や仲の悪い夫婦と出会ったり、奇妙な夢を見たり、若い頃を思い出したりする。ベルイマンの映画はファンタジーの要素が色濃いが、老人の見る夢が幻想的で、特に冒頭の夢は死を暗示させる。
仲の悪い夫婦というのが1つのモチーフで、教授も恋人に裏切られたり、妻に裏切られたりしているし、息子夫婦もうまくいっていない。しかし、最後に現れる思い出の風景は美しい。
この映画を作った頃のベルイマンはまだ比較的若い時期だったと思うが、老いは若者が描く、という言葉を思い出した。老いの映画は老いた監督よりも比較的年若い監督が描く場合が多いのだ。
イングリッド・チューリンやビビ・アンデションといった女優がなつかしい。マックス・フォン・シドーもちょっとだけ出演。妊娠中なのにタバコを吸うというのはいかにも昔の時代だなあと思う。

「1987」が終わってから「野いちご」が始まるまで3時間半もあったけれど、ビックカメラを見たり、ベローチェで本を読んだりしていたらすぐすぎてしまった。ベローチェのふちねこハロウィン、ほしかった2種類を一度にゲット。18時以降のレシートだと好きなのを選べるのだけれど、今回は手探りでも種類がわかりやすいのではないかと思った。前回のふちねこ、ベビーがほうきに乗っている今回のふちねこがかわいい。

「原発」に関する追記
【デマ アラート】
おバカな人が、泊原発が稼働していれば、今回のような停電にはならなかったと、デマを流したようです。ウソで、全く逆に危険が高まることになるので注意してください。
火力であろうと、原発であろうと、停電の原因は、単純な供給容量が足りないという問題ではなく、動的な微妙なバランスの上に成り立っている大規模な交流送電のバランスが崩壊したことにあるのですから、原発も火力発電と同じように止まります。これは、地震による揺れの強さとは関係ありません。たとえ発電所の場所の震度が小さくても送電網につながっている限り、同じです。
そして、送電システム全体がブラックアウトした場合、他の発電所は特に問題を起こさないですが、原発だけが冷却のためだけのディーゼル発電機でポンプを回し続けなければなりません。さもなければメルトダウンです。
出典 https://www.facebook.com/izumi.ohzawa/posts/1957733144285244