2021年9月27日月曜日

「MINAMATA-ミナマタ-」(追記あり)

 公開を心待ちにしていた「MINAMATA-ミナマタ-」。初日に見たのだが、その後、いろいろごたごたして、書くのが遅くなった。

力強い映画だ。映像の力と俳優の演技の力が写真の力を表現している。

ユージン・スミスを演じるジョニー・デップをはじめ、ベテランから子役まで、俳優がすべていい。そして、美術畑だというアンドリュー・レヴィタス監督の映像も見ごたえがある。

実話を劇映画にするときの欠点はいくつもある。水俣の前に日立の工場を撮影するなど、日本に縁があるユージンを、沖縄戦での負傷で日本に行きたくない人に変えたり、それ以外でも事実がフィクション化されている。

たとえば、ユージンがチッソ社長から賄賂を渡されて拒否し、その後、暗室を放火されて落ち込み、金を受け取って帰りたいなどと言い出すあたりはまったくのフィクションだと思うが、あまりにも手垢のついたフィクション化、特に燃やされるというのは最近よく見るので、劇映画としてフィクション化するにしてもあまりにも安易だと思う。

ただ、この映画がハリウッドのエンタメ映画にするための脚色をしたこと自体が間違っているとは思わない。そういう脚色のためにドキュメンタリーと比べて劣ってしまうのは事実としても、芸術的な映画にしてしまったら見る人は限られる。水俣と公害問題に多くの人の目を向けさせるという意図を思えば、エンタメ化はやむを得ない。

後半のユージンがチッソで暴行を受けるシーンは実話であり、ユージンとアイリーンのスミス夫妻が出した写真集を読むと、映画よりはるかにひどい暴行を受けている。だが、映画はあまり残酷なシーンにならないように描いている。このあたりも年齢制限をつけられると見る人が限られてしまうためだろう。

暴行を受けて重傷を負ったユージンが入浴する母子の写真を撮り、「ライフ」に掲載され、それを見たチッソ社長が目に涙を浮かべるシーンはこの映画の白眉だ。人に目を向けさせ、心を動かす力が写真にある、ということを示している。國村隼の演技がみごとである。ラストの真田広之の力強い演説は、アメリカ映画にはよくあるシーンだが、真田の熱い演技が圧巻だ。

デップの演じるユージンは酒浸りのやさぐれた写真家として登場するが、「サルバドル」のジェームズ・ウッズのようなしょうもないやつではなく、ある種の求道者的なところがある。その彼が、最初は勝手に撮る人だったのが、後半、撮らせてもらう人になる。勝手に撮るのは撮影者が主役だが、撮らせてもらうのは被写体が主役だ。それを象徴するのが入浴する母子のシーンで、ここでは完全に被写体が主役になっている。

ユージンの描き方のこのような変化は、映画の主役がユージンから水俣の人々に移っていくことを表している。真田の演じる闘士は前半ではあまり存在感がない。それが、後半に入ってしだいに前面に現れるようになり、クライマックスでは彼の方が主役になるのだ。

撮るユージンから撮られる水俣の人々への変化と、そして、この主役がデップから真田に変化するところが重なり、最終的に、この映画の主役は水俣の人々だということになるのだ。この点を見逃して批判している文章があるのが残念だ。

追記

社長が涙を浮かべるシーンはドキュメンタリーで社長が遺族の前で涙を浮かべるシーンをもとにしているようで、こういうふうにドキュメンタリーのいいとこどりだけしている、という批判を読むと、なるほど、と考えてしまう。

追記2

水俣市のある熊本のテレビ番組で、水俣を30年取材してきたデスクが語る映画の解説。

映画の描き方が問題だというよりも、水俣がタブー化していることが問題、という指摘に大きくうなずいた。

映画「MINAMATA」見どころを徹底解説【熊本】(KKT熊本県民テレビ) - Yahoo!ニュース

まったく同じニュースですが、別サイトも。

映画「MINAMATA」見どころを徹底解説【熊本】|NNNニュース (news24.jp)