2011年3月16日水曜日

不安な日々ですが

 東日本巨大地震に続き、長野・新潟、そして静岡でも地震が…。原発も心配だし、不安な日々が続きます。私の住むところは今のところ、計画停電もなく、交通機関も本数が少ないけれど、一応、動いているし、都営地下鉄大江戸線にいたっては、いつものダイヤどおりに走っています(しかも、いつもどおりすいている)。
 そんなわけで、計画停電のある郊外の方々に比べたらずっと楽だし、ましてや被災地の大変な苦労を思えば、まったくありがたい生活をしているわけですが…。
 今、自宅にある食糧は、100円のミニドーナツ1袋、カップラーメン3個、野菜ジュース500ミリリットル、麦茶1リットル。米その他はいっさいなし。さっき、最後のレーズンロール1個が胃袋に消えました。
 とにかく、私が行く範囲のスーパー、コンビニには食糧がありません。米、パン類、ラーメン類、トイレットペーパー、ティッシュペーパーを最後に見たのは金曜日の夜でした。その後、スナック類、パスタも姿を消し、普通は買いだめされるはずのないものまで姿を消し、掃除用品とか、そういうものしか残ってない。ローソンの100円ショップの大きな店によると、地震で倉庫内の商品がぐちゃぐちゃになってしまって、出荷どころじゃないそうです…。やはり買いだめだけが原因ではなさそう。
 大きいスーパーなどでは、朝一番に行けば、食料品が手に入るそうですが、一番近い大きなスーパーって、地下鉄に乗らないと行けない。もう、朝はマック、昼はドトール、夜は松屋でいいや。
 まあ、なんだかんだといっても、恵まれているわけです。

 もう1つ、困るのは、1月末に局所麻酔で手術を受け、その事後処理で週に1回、大学病院に通っていたのですが、通院日があの計画停電初日の月曜日だったので、医師が病院に着けず、金曜に延期。しかし、原則では1週間に1度か2度、やらないといけない治療なんです。金曜だと、前回から12日目になる。医師は大丈夫だといってるし、いざとなれば救急に行けばいいんですが。
 病気自体は命に別条なく、日常生活にも支障のないものです。手術後、3週間くらい、痛みと腫れがひどかったのですが、薬とマスクでごまかしていました。そんなわけで、2月はとっても大変だったのです。で、やっと、3月になって元気いっぱいになったのに…。いや、元気いっぱいになってからで助かったのだね、この事態。

 引越も、考えちゃいますね。やっぱりエレベーターに乗らないとたどり着けない部屋はいやだね。水も、屋上にためて部屋に給水するようなところだと、停電すると水が出ない。私はずっと木造アパートの2階なんですが、木造2階は地震でつぶれても2階の人は助かりやすいらしいし、水道も下から直接なので、停電しても水が出ます。
 非常勤講師の仕事も、4月から大学が普通に授業できないと、給料もらえず、生活に支障が。うーむ、引越どころじゃないかも。
 でも、被災地のニュースを見ると、こんな程度はなんでもないのだと思います。お金があるうちに義援金を送ろう。

 このところ、谷中の墓地の破壊されたお墓の写真をアップしていましたが、地震で壊れたのは古いお墓ばかりで、多くのお墓は無事です。ただ、壊れたお墓や石灯籠の破片などがあちこちに散らばっているので、重機が入って片づけをしています。壊れたお墓は広い墓地のどの区画にもあるので、当分、片づけの作業が続きそうです。