2016年8月14日日曜日

「シン・ゴジラ」は左派の論客の心を映す鏡なのか。

(「シン・ゴジラ」について、慧眼である意見、奥深い意見をツイッターでいくつか見ることができました。そのような優れた意見を書いている人は、下で扱った記事はいっさい無視しています。私自身、この記事が筆者の自著の宣伝ではないか、ご本人はそのつもりはなくても明らかにそういう造りになっている、ということに気づきました。本来なら無視してよい記事であったと思いますが、消すのもなんなので残しておきます。)

現代ビジネスというサイトに「「シン・ゴジラ」は強いリーダーを願望する映画だ」みたいな記事が載った。執筆者は「大本営発表」という新書が話題の辻田真佐憲氏。
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/49434
なるほど、こういう人たちがいるから、一部の左派が、少しでもプロパガンダじみたことを書く「シン・ゴジラ」論にかみつくわけだね。
でも、かみつくなら、辻田氏にかみつくべきで、大部分がオタク談義で一部にがんばろう日本のメッセージが入ってるだけみたいな人にかみつくべきではないよ。
で、この辻田氏の論がおかしいっていうか、「野暮は承知で言う」とか言ってるけど、それは「野暮」じゃなくて「映画の読みが間違っている」んだから。
なんというか、この「シン・ゴジラ」っていう映画は、見る人の心を映す鏡なんだね。その人の思いを勝手に映画に読み込んでしまう。映画の方は別にそんなこと何も考えてなかったりするんだけど。
この辻田氏の見方がもう完全に辻田氏の心の反映で、実際の映画とあまりに違っている。これ読んで映画を誤解する人がいるといけないんで、少しだけ反論しとくわ(映画見れば辻田氏のバイアスひどすぎるってわかるけどさ)。
要するに、辻田氏は、この映画は過去20年間の日本人の英雄待望論をそのまま表した映画だと言いたいのだね。そして、そんな英雄なんて出てこない、それより過去の戦争とか思い起こして間違った考えを持たないように、と言って、さりげなく自分の本の宣伝をする(は言いすぎか)。
まず第一に、この映画には強いリーダーとか英雄とかは出てこない。
最初に出てきた首相とか小池百合子似の防衛大臣とかは途中でゴジラにやられて死んでしまう。
残った人たちがいろいろがんばってなんとかゴジラ=原発の終息にとりあえず成功。でも、まだ問題は完全に解決したわけじゃない、というのが映画の結末。
はっきり言って、これはスポ根です。
一軍選手の乗った飛行機が事故って全員死亡、かわりに二軍選手がやるっきゃないって言ってがんばる。その中には優秀な選手もいて、という感じ。
主役の若い男女は日米の政府の側近的存在で、それに日本の女性科学者が加わって、首相の代わりを押し付けられた新首相もあっちこっちに頭下げて日本の作戦を通す。
いざとなれば強いリーダーが出てきて、みんなが結束すれば勝てる、なんていう話じゃない。
せいぜいスポ根の二軍選手のがんばり物語。
で、ゴジラを倒す作戦というのが、新幹線を突っ込ませ、山手線と京浜東北線を突っ込ませ、東京駅付近の高層ビルを次々倒してゴジラを埋めるという、荒唐無稽な作戦。
どう見たって非現実的な荒唐無稽なエンターテインメントで、そのレベルで楽しむときに、何が強いリーダーだ、結束だ、と思う。
せいぜい、エンターテインメントとして、みんなでがんばろう、というくらいなもの。
その程度の、がんばろうが、なんでいけないのよ、と思う。
いざとなったときに、こういうふうにうまくいくわけないって、新幹線が突っ込んだ時点でわからんかね。
あと、辻田氏は映画のポスターにある、現実・ニッポン対虚構・ゴジラの惹句にもケチつけてるけど、現実・ニッポンというのは、最初のだめだめな日本ですよ。
それを辻田氏は、後半のがんばる日本を現実・ニッポンと解釈する。
願望・ニッポンだそうだ。
それって、ネタバレっていうんですけど。
そうでしょ?
映画では後半のがんばる日本はネタバレに相当するんですよ。
ポスターで最初からネタバレするわけないの。
だから、ポスターの現実は今の日本の現実で、願望の日本じゃないの。
ていうか、あの映画の後半のがんばる日本はほとんど妄想。
もう、何度も言うけど、新幹線が突っ込んだ時点で、あれは夢なの、妄想なの、ついでにゴジラは虚構であるけれど、同時に現実の象徴なの。
ああ、もう、これだから頭でっかちの論客は、と思ってしまうんだよ。
最初に言ったように、辻田氏の「野暮」は映画の「読み違い」なの。それだけは言っておく。

追記 辻田氏の記事を読みなおすと、やはりこの記事は「シン・ゴジラ」をサカナにした自著の宣伝ととれる。この著書「大本営発表」についてきちんと紹介したインタビュー記事が別のサイトに出たが、この方がずっとまっとう。しかし、内容的に「シン・ゴジラ」批判記事と重なるところが多く、やはりこちらは自著の宣伝に映画を利用したとしか思えない。こういう記事を書いて「シン・ゴジラ」ファンを敵にまわしたら自著が誤解されたり敬遠されたりすることもあるだろうに。私自身、映画をこれほど誤読する人の著書ってどうよ、と思っているのだ。