2017年9月12日火曜日

「ダンケルク」とノーランの成熟

雨や曇りが多いこの夏、また雨が降っている。

日曜日は「ダンケルク」を見に行き、とてもよい映画だったが、その前にちょっといやなことがあった。

うーん、マックの横入りしまくりの今のやり方、なんとかならんのかな。
注文をするために並ぶ人と、注文の品を待つ人がごっちゃになっていて、並んでいる人を無視してレジに行き、横入り状態で注文、というのがしょっちゅうでイライラする。
気がつかずに横入りの人もいれば、わかっていて横入りもいて、日曜は後者だった。
並んでいて、やっと次が自分と思ったら横入りされたので、店員に「私の方が先に並んでいたんです」と言ったが、店員に無視された。
横入りした人は並んでいるときから横入りしようという感じがミエミエで、どうもこの店は常連の客を優遇しているような雰囲気があった。
シネコンの入っているビルにもマックがあり、そっちは注文の列がきちんとしている。その日もそっちを利用すればよかったのだな。

「ダンケルク」はクリストファー・ノーランの成熟を感じさせる映画で、ああ、ノーランもついに完全な大人になっちゃたんだなあと思った。
処女作「フォロウィング」からずっと見ているが、前作までは初期の頃とあまり変わらない感じがしていた。愛の隠し味とか、スリラーやSFでの特異な物語展開とか映像とか、善と悪のテーマとか、ずっと同じこだわりがある感じで、ある種の若さ、成熟しない魅力があった。その分、物足りない部分もあったのだが。
しかし、「ダンケルク」は完全に大人の映画であって、前作までのちょっとあぶなっかしいくらいの若さの魅力がなくなっていた。
主役の1人、ケネス・ブラナーが貫録たっぷりのベテランになっているようにノーランも完全に成熟した大人になったのだなあと思う。
ブラナーもかつては若造監督だったわけだが。
空中から見た海の映像がすばらしく、浜辺から見て横一線の水平線のシーンもすばらしい。
空中戦と海と浜辺の戦争ものなので、戦争の残酷さとは裏腹にある種の爽快感がある。
多様な人物の人間ドラマもきっちりと描かれていて、やっぱりこの人、人間描写がうまいと思う。
ノーランというと、これまで人間描写があまり注目されてなかったように思うのだが(前作「インターステラー」あたりは家族愛だなんだと注目されてはいたが)、私は最初からノーランの描く人間に興味があったし、そこも魅力だと思っていた。
映像にどうしても注目が集まるけど、脚本家、ストーリーテラーとしても優れている。
そんなわけで、おそらくノーランの最高作かも、と思うのだが、成熟した分、かわいい子の手が離れたみたいで、愛着がこれまでに比べていまひとつでもあった。

「ダンケルク」といえば、1960年代に同名の映画があったな、と思ったら、アンリ・ヴェルヌイユのフランス映画だった。同じダンケルクの戦いを背景にした人間ドラマのようで、有名な女優が何人も出ている。今回の映画と違い、女性の役割が大きい映画のようだ。今回、こっちが全然話題にのぼらないのは、たまたま私の目に触れないだけだろうか?

ノーランの「ダンケルク」を見ていて、終始頭の中に浮かんでいたのはスピルバーグの「宇宙戦争」。逃げる一方とか、敵の顔が見えないとか、共通点がある。音響も、時々トライポッドの音みたいな効果音が入っている。静寂の時間が非常に少ない映画でもある。