2017年10月28日土曜日

「ブレードランナー 2049」(ネタバレ大有り)

金曜日の初日に「ブレードランナー 2049」を日本橋のシネコンで見てきた。
2週間前にここで「猿の惑星 聖戦記」をTCXのスクリーンで見て味をしめ、おまけに近場のシネコンでは吹替えメインで字幕はよい時間にやってないので、またもや日本橋へ。
その前に六本木で試写を見たのだけど、2週間前も試写室は別だけど場所は六本木の試写へ行って、なんと映写機壊れて試写中止の憂き目にあったのだが、今回は試写もきちんと見れた(その話はまた別記事で)。
(2週間前の「猿の惑星 聖戦記」の記事は「13日の金曜日は」というタイトルの記事です。)

さて、日本橋で見た「ブレードランナー 2049」(以下「2049」と略記)、予約番号が4092だった。つまり、2049と同じ数字の組み合わせ。
で、もともと期待はしてなかったのだけど、なんか、その斜め下を行く昭和な世界にがくぜん。
のっけから昭和なキッチン。昭和なエアコン室外機のあるビル。昭和な時代のSF映画(「ブレードランナー」以前)の世界にあったような古めかしい未来風景。首都高速でロケした「惑星ソラリス」を思い出させる風景(「2049」の主人公のエア彼女が青い服を着て出てくるシーンで、「惑星ソラリス」の青い服を着た女性がうろうろしているシーンを思い出した)。
そういえば、「ブレードランナー」は1982年だからもろ昭和。東西冷戦真っ最中。ソ連が崩壊するなんて誰も思わなかった時代。
が、その時代の「ブレードランナー」の方が先駆的映像で、今の「2049」の方がレトロってどうよ。

レトロといえば、ハリソン・フォード演じる老いたデッカードが住んでいる建物の内装がもろ昭和。マリリン・モンローやエルヴィス・プレスリーやフランク・シナトラの映像が登場し、デッカードがプレスリーの歌う「愛さずにいられない」を好きな歌だとか言うシーンでは笑いそうになったのをかろうじてこらえた(なに、あのシーン? 同じライアン・ゴズリング主演の「ラ・ラ・ランド」の影響か?)。

あと、ゴズリングの周囲で着信音みたいな音楽が時々鳴るのだけど、これが有名なクラシックの曲、でも思い出せない、と思って帰宅してネットで調べたらプロコフィエフの「ピーターと狼」だった。

前にも書いたけど、私はドゥニ・ヴィルヌーヴは過大評価されていると思ってるので、まあこんなもんだろうと思って見ていたが、「猿の惑星 聖戦記」同様、この「2049」もやたら絶賛されている。そんなに絶賛するようなものかと思うのだが。
映像は「メッセージ」と同じような雰囲気で、映像的には「猿の惑星 聖戦記」の方がすごかった。

以下、ネタバレ大有りで内容について書いていきますので、未見の方は注意してください。





前作の世界から30年後、前作のレプリカントを製造していたタイレル社は倒産し、今は別の会社がレプリカントを製造している。主人公のブレードランナー、Kは新型のレプリカントで、旧型のレプリカントを処分する役まわり。旧型のレプリカントは寿命は人間並みに長いのだが、地下組織となって人間に対抗しようとしている。そんな中、30年前にレプリカントの女性が妊娠して出産していたことがわかる。レプリカント製造が追いつかない今の会社はレプリカントが子供を生めばそれで数が増えるので好都合、というわけで、Kは生まれたレプリカントを探すよう命令される。

まあ、ここでもう、この女性から生まれたレプリカントは誰か、というのが想像つくのですが、これは最後にひとひねりしています。していますが、生まれたレプリカントを探すKの葛藤が全然面白くない。

で、このあたりからいよいよネタバレになっていくのだが、





Kはやがてデッカードに出会い、子供の父親がデッカードだとわかる。で、父親がデッカードなら母親はレイチェルに決まってるわけで、なんかもう、予想がつくところをいちいち引き伸ばしてもったいぶってやってるんだよね(だから長いんだよ)。
で、レイチェルは出産で亡くなっているのだが、結局、タイレル社は生殖できるレプリカントとしてデッカードとレイチェルを作り、2人を結びつけた、というのがわかる。
ハリソン・フォードはデッカード=レプリカント説大反対だったのに、結局、受け入れたのね。
まあ、マニアがもうデッカード=レプリカントになっているから、マニアの需要に合わせるしかないわけだが。

しかし、最初の昭和な世界に戻ると、「2049」は日本語大杉。ソニーの宣伝でかすぎ。ああ、ソニーも昭和の時代に大発展した企業。日本での配給はソニーなんで、最初からソニー、ソニーで、ワーナーじゃない「ブレードランナー」なんてフォックスじゃない「スター・ウォーズ」ですわ。
「ブレードランナー」に登場する日本はいかにもあちらの人が取り入れた日本で、そのエキゾチックなところがよかったんだけど、今回のは日本人が入れた日本みたいでなんだかなあ。

一番がっかりなのは、「2049」には好きになれるキャラが1人もいないということ。「ブレードランナー」の方は好きなキャラばっかりだったのに。
また、女性が単純な悪役か従順な善女っていうのも時代遅れもはななだしい。

とまあ、不満だらけの映画なのだけど、前作が「フランケンシュタイン」で、今作は「フランケンシュタインの花嫁」というつながりはあるな、と思った。両方ともハンプトン・ファンチャーが原案で脚本も書いているが、やっぱり「フランケンシュタイン」はファンチャーだったのか。
で、今作が「フランケンシュタインの花嫁」というのは、原作で、もしも女の怪物を造ったら子供が生まれ、子孫が増えて人間を脅かすかもしれない、とフランケンシュタインが考えたのをこの「2049」が敷衍してるかな、というところ。
「2049」では、デッカードとレイチェルが実は怪物と女の怪物で、子供が生まれ、その子供が救世主になって旧型レプリカントたちが戦いを始める、みたいな暗示が出てくる。
まあ、それはいいんですけど(別に驚くようなアイデアでもない)。

でもねえ、「ブレードランナー」ではルトガー・ハウアーのロイが怪物だったんですよ。原作の同情される怪物。それをいまさら、デッカードが怪物で、レイチェルが女の怪物ってやられて、まあいいんですけど、はあ(ため息)。

ルトガー・ハウアーは続編の話を聞いて、興味ないと言ったそうだけど、初公開版を愛する人にとって、「2049」はディレクターズ・カットの続編だから、こちとらには関係ねえでござんす、ってことで。