2019年10月12日土曜日

台風前日のMOVIXさいたま

12日は台風19号の影響で、さまざまな施設や店舗が休業、交通機関も運休が予定されていますが、前日の11日にMOVIXさいたまへ。
今月は埼玉県で参議院補欠選挙があり、またしても選管は「翔んで埼玉」とコラボ。さいたま新都心駅に下のようなポスターがあるかと思い、探しましたが、見つかりませんでした。
選管では今回も動画をアップしていて、「票が語りかけます。重い、重すぎる」というのには笑った。

MOVIXさいたまは12日は終日休館。13日は午後1時からとのことです。

「引っ越し大名!」の衣装が展示されていた。

「ジョーカー」は最大箱で。

1週間限定のドルビーシネマ「ボヘミアン・ラプソディ」。

コクーンシティ全体が12日は休業のよう。

ドルビーシネマの「ボヘミアン・ラプソディ」は映像がIMAXよりさらによくて、ほんとうに繊細な色や表現の鮮やかさ。そして、暗転すると真っ暗。「名探偵ピカチュウ」もここで見たけれど、3Dメガネに光が映りこんでイマイチでしたが、今回はメガネなしなので、映像の美しさがよくわかりました。ただ、音響はちょっとキンキンしているところがあって、これまで見た中では最高とは言いがたいのが残念。
でも、映像のすばらしさはもう一度見たいくらいでした。最後に見たのが4月の木場のIMAXだったので、半年ぶりになります。「ジョーカー」は食べながら見ている人がけっこういて、ライトな感覚で見ている人が多い感じでしたが、「ボヘミアン・ラプソディ」はリピーターが多いのか、すごく厳粛な雰囲気で、客席はしーんと静まり返っていました。
同じ時間帯に「翔んで埼玉」を上映していたのだけど、身が一つでは両方は見られません。

さて、「ジョーカー」ですが、ネタバレありで行きます。



(ネタバレ注意)
そこそこ面白いし、映像も音楽も凝ってますが、でも、傑作というほどではなく、社会派とか言いだすとなんちゃって社会派にしか見えないのがなんとも、な映画。
1980年代のニューヨークをモデルにしたゴッサム・シティが舞台、ということで、最初のワーナーのロゴも当時のもの、メインタイトル、エンドマーク、エンドクレジット(ロールでない)も当時というか、むしろ70年代かそれ以前の感じ。
落書きがいっぱいの汚くて治安の悪いニューヨークをもとにしたゴッサム・シティの世界の構築はなかなかのものなのですが、それが現代につながるとか、なにか普遍性を持つとか、深い意味を持つとかではなく、世界を造ってみました、というレベルでしかないような。
幼い頃に受けた脳の損傷により、障害を背負っている主人公アーサー。母と2人暮らしの生活は貧しく、アーサーの人生には幸福なことなど何ひとつない。幸福に見えたシーンはすべて妄想。これ以上はないくらい悲惨な状況で、精神の病を患ってもいるらしいアーサーが、ふとしたはずみで3人の男を射殺し、その3人が町の有力者で市長候補のトーマス・ウェインの会社の社員だったことから、アーサーは富裕層を殺した英雄として貧しい人々から喝采される。
アーサーは3人の男からボコボコにされていたので、最初は身を守るために発砲したのだけど、そのあと、逃げる男を追いかけて殺すあたりではもう殺人鬼のスイッチが入ってしまっている。
そして、彼は、自分には幸福なことなど1つもなかったと悟り、彼を不幸に導いた人たちを次々と殺していく。
彼があこがれたテレビの有名なコメディアン。アーサーは彼が自分を息子のように抱擁してくれるという妄想を抱くが、現実ではコメディアンはアーサーの映像をテレビで流して彼を侮辱する。コメディアンをロバート・デ・ニーロが演じていて、彼が主演したマーティン・スコセッシの「タクシー・ドライバー」と「キング・オブ・コメディ」が元ネタになっているのだけれど、アーサーがコメディアンを殺すシーンはむしろ「ヴィデオドローム」だった。
父になってほしかったコメディアンを殺したアーサーは、今度は自分を不幸にした母親を殺す。そして、自分に拳銃を与えた男を殺す。今のアーサーを作り上げたのが、父と母と拳銃を渡した男だからだ。映画には描かれないが、彼が勝手に思いを寄せたシングルマザーも、もしかしたら殺してしまったかもしれない。
この映画では、アーサーのようなプアホワイトが暴動を起こす。一方、庶民だがきちんとした生活をしているのは黒人で、シングルマザーも、最初と最後に登場するアーサーのカウンセラーの女性2人も、アーサーの母親の記録を持つ病院職員も、バスで出会ったまともそうな女性も、みな黒人。最後に登場するカウンセラーは殺されてしまったのでは、と思わせるシーンもある。
この映画はどこまでが妄想で、どこからが現実なのか、その線引きがむずかしい。
アーサーの母親はトーマス・ウェインの使用人だったことがあり、母は自分はトーマスと恋仲になり、アーサーを生んだと思っているが、トーマスや病院の記録では2人の間にロマンスはなく、アーサーは養子だという。しかし、アーサーが持っている母親の若い頃の写真の裏には、トーマス・ウェインの頭文字のTWとともに、トーマスの言葉が書いてあり、トーマスと母親はやはり恋仲で、アーサーは息子なのでは、と思わせる。
アーサーはトーマスに会いに行ったとき、のちのバットマン、少年時代のブルースに会う。アーサーがAでブルースがBだから、この順番に生まれた息子ではないか、と、おそらくアーサーは思ったのではないか。
アーサーとブルースが兄弟であれば、ジョーカーとバットマンの関係性が補強されるような気もする。同じ父親から生まれた悪と善。
トーマスは貧しい人々のことをピエロと呼び、それが貧しい人々の怒りをかきたてるのだが、このトーマスをトランプ大統領や安倍首相と重ね合わせた人もいるようで、特に安倍首相の「こんな人たち」発言との類似を感じた人もいるようだ。
そのトーマスは暴動の中で妻とともに殺されるのだが、殺したのはパトカーの中からアーサーを救いだした男で、アーサーではない。だが、このシーン、私には、アーサーの分身が現れてアーサーを救いだし、それからトーマスと妻を殺しに行ったように見えた。実際、トーマスと妻を殺すことは、アーサーにとって、父と母を殺すことと重なるわけで、父になってほしかったコメディアンと実の母を殺したこととトーマスと妻を殺したことが対になっているように感じる。
そして、目の前で両親を殺され、生き残ったブルース・ウェインは、のちにバットマンになるのだが、ジョーカーがバットマンのダークサイドであるとしたら、生き残ったブルース少年はアーサーの分身ではないのか。
このあたりのドッペルゲンガー的な部分がなかなか面白いと思うのだが、それはパズルを解くような面白さにすぎず、だからどうした、で終わってしまうものでもある。いろいろと消化不良な部分が多い映画なのだが、なんだかよくわからないけど面白い「ヴィデオドローム」に案外近い映画なのかもしれない。
チャップリンの「モダン・タイムス」とテーマソング「スマイル」が、労働者が虐げられる機械化された社会と笑いのモチーフとして登場するが、立派なホールでこの映画を見ているのはウェインたち富裕層。富裕層が貧しい人々を笑っているということなのだろうか。
そのほか、「ネットワーク」を思わせるシーンもあって、ほかにもいろいろな映画が入っているのだろうと思う。「シャイニング」に使われたクラシック曲に似た曲も流れていた。(本編前の予告が「イット」と「シャイニング」の続編というのも。)

「ボヘミアン・ラプソディ」とハシゴしたら、両方に「スマイルを忘れるな」という文章があり、デ・ニーロも両方に出ていた。「スマイルを忘れるな」は「ボヘミアン」からとったのか、いや偶然なのか?