2020年12月6日日曜日

「ザ・プロム」&「燃ゆる女の肖像」

 ネットフリックス映画「ザ・プロム」の劇場公開を見た。


「ザ・プロム」はポスターが貼ってありませんでした。
舞台のミュージカルの映画化で、歌はよいのだけれど、話が、というか、映画としての作りがかなりだめ。
レズビアンであることをカミングアウトした高校生が同性の恋人をプロム(高校のダンスパーティ)に同伴しようとしてPTAの妨害にあう。一方、ブロードウェイのミュージカルで演技を批判された主役たちが名誉挽回に何か善行をしようとして、この高校生を助けようとする、という話。
このブロードウェイの人たち、出てくる必要があるのかなあ(メリル・ストリープ、ニコール・キッドマン、ジェームズ・コーデンという豪華メンバーなのだが)。
まあとにかく映画として下手。今年はネトフリ映画の劇場公開作が玉石混交で、私が見たのでは今のところ2勝2敗、ジョージ・クルーニーの新作で勝ち越しにしてほしいが。ネトフリ映画は出来が悪いとほんと、だめなテレビドラマみたいで、映画館で見ると悲惨。

というわけで、口直しにTOHOシネマズへ「燃ゆる女の肖像」を見に行った。

「鬼滅の刃」のような大ヒット作が1つあるだけで映画館がものすごく活気がある。

2本続けてレズビアンものなのだけど、こちらは18世紀フランスが舞台。貴族の娘の見合い用肖像画を描く画家と、その令嬢の愛の物語。

令嬢はミラノの男との結婚を強要されていて、それがいやで最初は肖像画を描かれるのを拒否している。実は彼女の姉がその男と結婚する予定だったのだが、姉も結婚がいやで自殺していたことがわかる。

ミラノの男がどういう人なのかはまったくわからない。姉妹の母(ヴァレリア・ゴリーノ、年とったな)がミラノ出身で、たぶん、母親が選んだ男なんだろうと思うし、その男と娘を結婚させることで没落していた家が助かるとか、そういう背景があるんだろうなと予想するけれど、映画自体は何も説明してくれない。

姉妹も、全然知らない男だからいやなのか、あるいは姉妹ともレズビアンなのか、その辺もわからない。

女だけの世界にしたいので、そういう社会的背景を具体的に入れなかったのだろうが、入れなければやっぱり、そこから社会批判とか、家父長的世界への批判とかを読むのはむずかしいと思う。そういう踏み込んだフェミニズムではない。

だから結局、この映画は、令嬢と画家の愛を描くためにそういう背景をにおわせただけ、のように感じてしまう。

もっとも、こういうふうに愛を描くのが中心で、社会背景はそのために使われている、みたいなやり方が私は嫌いなんだろうとは思う。「スパイの妻」をあまり評価できないのもそのせいで、別にそれでもいいじゃん、と言われればそのとおりなのだが。ただ、「スパイの妻」は女性描写が男性目線で、そこが特に納得できなかったが、こちらはさすがに女性監督なので、女性描写は非常によい。

「燃ゆる女の肖像」も、画家と令嬢の愛がオルフェウスとエウリディケにたとえられ、それが振り返るという効果的なクライマックスになっているが、時代の制約によって結ばれない愛が思い出として持続していく、みたいなテーマになっている。別離の後の美術展で、画家が令嬢の結婚後の肖像画を見て、彼女が思い出の本のページを少し見せていることから彼女の愛のメッセージを読み取るとか、ラスト、コンサート会場で思い出のヴィヴァルディの曲を聴きながら、こちらを見ない令嬢の表情の長いアップで終わるとか、非常にうまいんですが(他にもうまいシーンが多いし、脚本もいい)。

ラストの令嬢の表情、悲しみにもだえているように見えて、そのあと、笑顔を見せたりと、なかなかの演技だけど、「君の名前で僕を呼んで」のティモシー・シャラメのラストのアップの演技を思い出して比べてしまう。監督は、「ピアノ・レッスン」と「バリー・リンドン」を参考にしたけど他は参考にしてない、というけど、この映画を見てないはずはないよね?