4Kリバイバル上映の「乱」と、ライアン・クーグラー監督の「罪人たち」を見た。
「乱」は、実は40年目のリベンジ。40年前の初公開時、前売り券を買っていたのにいつのまにか終わっていた。今はなきマリオンの日劇の券だった。まだやってるだろう、と油断していたのだ。
その後、ビデオやDVDで見ることもなく、未見の作品だった。
シェイクスピアの「リア王」をヒントにした内容についてはご存じのとおりだけれど、見ていて、ああ、金かかってるな、ここも金すごくかかってるな、これってすごい金かかってる、人も馬もいっぱいやん、て感想が終始、頭の中をかけめぐった。
ほんと、ひとつひとつ、とにかく金がかかっていて、そして、金をかけるだけのある様式美やアクションシーンに仕上がっている。こんな映画、もう二度とできまい。ハリウッドだって、今は金をかけるところが違ってる。
黒澤明が映画が撮れなくなったのは、とにかく金がかかるけど、もう昔のようなヒットは望めず、採算がとれなかったからだろう。「影武者」も「乱」も外国資本で作られた。
もうひとつ、頭を離れなかったのは、黒澤が主役に望んだのは高倉健で、高倉を想定したスケッチまで描いていた、という話。映画を見ると、これは仲代達也以外考えられない演技で、高倉だともっと若くなると思う。高倉は「駅STATION」の主演が決まっていたので固辞したのだが、黒澤は仲代に代えてから新たに人物造型やストーリーを作り直したのかもしれない。高倉バージョンだと完全に違う映画になったかもしれない、と思うと、そっちも見てみたかったと思う。
さて、現代のハリウッド映画「罪人たち」。これ、「つみびとたち」と読ませるようだけど、それなら「罪びとたち」の方がよくね? いっそ「シナーズ 罪びとたち」の方が今風でいいよね、と思った。
この場合のシナーズ=罪びとたちというのは、聖書の罪びとたち、つまり原罪を背負う人間たちのことで、キリスト教的モチーフが全体を貫いている。ネタバレになるが、吸血鬼というのがそもそもキリスト教的概念から生まれたもの。
だから、登場人物たちはみな罪びとなのであって、シカゴでギャングになって成功した黒人兄弟だけが罪びとなのではない。
その双子の兄弟が1932年、故郷のミシシッピ州の町に帰ってきて、KKKの親玉の白人から買った建物で酒場を始める。夜、宴会をしていると、そこに吸血鬼の白人が、というのが中心のストーリーだけど、中心的なモチーフはむしろ、黒人音楽のソウルやアイルランドのフォークが迫害された人々の思いを表現すると同時に、悪霊を呼び覚ましてしまう、といった音楽的なモチーフ。これについてはネットで詳しく書いた記事があった。
最初に吸血鬼に襲われるアイルランド系の夫婦はKKKなのだが、吸血鬼になると同じく吸血鬼になった黒人たちと連帯して、みんなで新しい世界を築こう、みたいになるのが面白い。アイルランド系の人々も故郷ではイギリスの支配や迫害を受け、アメリカに渡ってからも白人社会で差別される側になったのだ。
吸血鬼もののポイントがきちんと押さえられているのも楽しいし、迫害された人々が吸血鬼になって団結、みたいなモチーフも面白いが、映画としてはやはり吸血鬼は悪役で、クライマックスはハリウッドならではのアクションシーン。兄弟愛や夫婦愛などもしっかり描いている。こりゃ、アメリカで大ヒットもうなずける。最後に登場する60年後のシーンも見もので、エンドクレジットの最後の最後までこれがあるので、途中で帰らないように。
ライアン・クーグラーは「フルートベール駅で」で登場したとき、社会問題を描くアート的な映画の監督になるのでは、と思っていたが、その後は「ロッキー」のスピンオフやアメコミの「ブラックパンサー」になって、あれあれ、と思っていた。でも、この映画を見ると、ハリウッドのメジャー向きの才能だったのだと納得。その上で、オリジナルの脚本で社会問題を描くあたり、今後が楽しみな監督になった。
映画はアメリカで大ヒット、アカデミー賞の呼び声も高いようで、日本では急遽、6月に公開されたけど、IMAXカメラで撮影されたのにIMAXでの上映館は少なく、それ以外の上映館も非常に少なくて、しかも「国宝」大ヒットの時期だから全然話題にならなかった気がする。でも、普通に面白い映画だし(ホラーとしてはあまり怖くない)、内容的にも深いものがあるので、機会があれば見に行ってほしい。
ちなみに、1932年は禁酒法が終わった年。兄弟は禁酒法時代のシカゴで儲け、禁酒法が終わるので故郷に帰ってきたのだろう。