2010年12月23日木曜日

批判はけなすことではない。

 私も以前、「シングルマン」原作の書評を載せていただいたネットの書評サイト、BookJapanに初めて批判評が載った。
 http://bookjapan.jp/search/review/201012/matsunaga/20101222.html
 扱っている本は、「松本人志は夏目漱石である!」(宝島新書)。
 タイトル見ただけで、こりゃ、受け狙い、売らんがための企画だな、と思わせてしまうものだが、案の定、アマゾンや個人のブログでは手厳しい批判がある。
 書評を書いた松永英明氏は、まず、自分が関西のお笑いのファンである来歴を述べ、その上で、まだ若い、しかも関西を知らないこの本の著者が、東京の、それもテレビの感覚でお笑い芸人を語る問題点を指摘し、また、夏目漱石はじめ文豪との比較もさほど適切ではないことを述べている。
 正直、このサイトで、久しぶりに面白い書評を読んだと思った。
 当の新書は未読なので、この書評が正しいのかどうかはわからない、いや、その前に、私はお笑いも日本の文豪も疎いので、読んでも正しい判断はできないと思う。ただ、この書評が、少なくとも私の興味をひいたのは事実だ。
 BookJapanは、一般からの書評を募集し、主催者が水準に達していると思ったものを掲載するというシステムをとっている。原稿料はないし、ここに書いたから書評家として活躍できるわけでもない。読む人の数もさほど多くはないから、自分のブログに書くのと比べてあまり影響力に差はないかもしれない。でも、自分のブログには来ない人に読まれる可能性は十分ある。だから、私は「シングルマン」原作の書評をブログに書かずに、ここに投稿した。
 自分のことはさしおいて何だが、実は私は、このサイトに掲載される書評が全体的にレベルが低いと感じていた。もちろん、レベルの高いものも載ってはいるが、私だったらこれは落とす、と思うものもあり、そういうものが連続して載ると、がっかりすることもあった。また、一応、水準には達していると思われる書評でも、妙に優等生的にまとめられているものが多い。覇気がないと感じるものが多い。無難に、おとなしく、まとめたようなものが多い。しかも、字数制限がないため、冗長になっているものも少なくない。しかし、上に書いたような状況で募集しているのに、ハードルをあげてしまったら、載せる書評がさらに減ってしまう。それも困る。
 そんな中で、松永氏のような批判評が掲載されたことは、このサイトにとってよいことだと思う。こういうものを書いてもいいのだ、と思う人が出てきて、サイトが活性化される可能性もある。もちろん、「批判すること」と「けなすこと」はまったく別だ、ということを、書き手は心得る必要がある。松永氏の書評は客観的な批判になっているし、最後に著者の今後への期待を盛り込むといったバランス感覚もある。関西のお笑いを愛する自分の来歴を書く必要は必ずしもなかっただろう。関西のお笑いを熟知する書き手として、客観的に批判すればそれで十分だったと思うが、最初に個人的なことを書くことで親しみを持ってもらえるという利点はある。このサイトには、個人的なことを書評に入れる書き手が時々いて、私はそういう書き方に疑問を感じていたのだが、上手にやれば効果的な場合もあるだろう。ただ、個人的なことを強調するのは批評というよりはエッセイなので、このあたりの線引きを書き手は意識して書くべきだと思う(私の注文は多すぎですか?)。注・ここで言っているのは、批評としての書評か、エッセイとしての書評か、ということで、エッセイとしての書評も大いにありだと思っている。
 以上、自分のことは棚に上げて書いているわけだけど、たとえ私の書評がだめでも、他の書評を批評する権利はあると思っている。それはほかの人も同じ。