2011年1月14日金曜日

予定変更&モーツアルトの姉の映画

 結局、2月の東伏見の国内4チーム集結戦は両日とも行くことになりました。
 日光の全日本選手権はチケットのこととかまだ不明なので、どうなるかなあ、うーむ。
 というわけで、2月もホッケーの試合が堪能できます。が、順位はなんとなくそれまでに決まってしまいそうだ。

 映画は試写の2本立てをしながら積極的に見ていますが、印象に残ったのは、「ナンネル・モーツアルト 哀しみの旅路」。フランス映画です。
 モーツアルトの姉ナンネルは、10代の少女の頃、幼い弟や両親とともに演奏旅行でヨーロッパ各地をまわり、弟と一緒に演奏をしていたそうで、その頃のナンネルを主人公にしたフィクション。
 あるとき、モーツアルト一家は修道院に幽閉されていたルイ十五世の娘たちと知り合い、特にナンネルは同世代のルイーズ王女と親しくなる。ルイ十五世は「ベルばら」にも登場したが、愛人を何人も持った好色な王で、枢機卿の助言によって、自分の子供たちは王太子と上の娘2人以外は修道院に入れてしまい、両親も兄や姉も彼女たちに会えない状態だったそうな。
 ルイーズはモーツアルト一家が王宮で演奏する予定だと知り、思いを寄せる男性への手紙をナンネルに託す。ナンネルはそれを届けるため、その男性のいる王太子の元へ行くことになるが、王太子は妻を亡くしたばかりで悲嘆に暮れており、初対面の女性には会おうとしない。そこでナンネルは男装して王太子の元へ行き、そこで王太子から音楽の才能、特に作曲の才能を認められる。
 モーツアルト一家は父親がステージパパで、息子を売り出そうと必死で、神童に見せるために子供の年をサバよんだりしてるのだが、娘の才能はまったく無視で、娘が作曲を学びたいと言っても女に作曲は無理と冷たい。そんな中、王太子に才能を認められ、しかも、女であることを告白すると、王太子との間にほのかな恋まで生まれる。しかし、王太子は、父ルイ十五世の命令で、別の女性と再婚させられる。
 結局、ナンネルは王太子との恋が破れたせいで、作曲もやめてしまい、それまでに書いた楽譜も燃やしてしまい、以後は弟の才能のために尽くした、という物語になっている(もちろん、フィクションですが)。
 ナンネルにどの程度の才能があったのかは今となってはわからないのだが、恋に破れたからやめてしまうっていうのが、これだから女は、と言われてしまうので困るのだが、弟の才能ばかり認めて自分は認めてもらえない、という悩みは、どんな兄弟姉妹の間にもあるのではないかと思う。
 確かに古い時代には女性が自己表現できなかったとか、女性の生き方が制限されていたとか、今でもそういう地域はあるとか、そういった見方で見ることもできるけれど、この映画は家族のあり方みたいなところが面白い。
 たとえば、王太子は父ルイ十五世の乱れた女性関係に対して強い嫌悪感を持ち、そのことが彼を潔癖にし、その結果、ナンネルとの関係もおかしくなってしまうように描かれている。そして、ナンネルも弟を売り出すことしか考えていない父によって抑圧されているという、王家とモーツアルト家の父と子供の関係が対比されている。修道院に幽閉され、修道女になるしかないルイーズ王女とナンネルの対比もある。
 その一方で、この映画が面白いのは、モーツアルト家の父の描写だ。確かにこの父親は息子のステージパパで、娘の才能は認めようとしないが、しかし、娘に対する父としての愛は本物だ。そして、この一家は、夫婦、親子、姉弟が愛し合い、仲むつまじい家族に見える。「アマデウス」では奇人として描かれたモーツアルトも、この映画ではごく普通の少年で、父のせいでゆがめられているような感じはない。
 ルイーズ王女がうらやましがるように、モーツアルト一家はいつも一緒に演奏の旅をする仲のよい家族で、父親は問題はあるけれど、父としての愛情に欠けることはない。逆に言うと、才能は認められなくても父の愛は受けられたから、ナンネルは父に反発してわが道を行くことをしなかった、弟の芸術を守る姉という、父の望む娘になってしまったのだとも言える。(もちろん、これもフィクションだろうけれど)
 父親を演じるマルク・バルベの演技が絶賛されているのは、だから、とてもよく理解できるのだ。

 なお、ルイ十五世の息子の王太子は父親より先に死亡した。そのため、この王太子の息子が王位継承者となり、マリー・アントワネットと結婚し、ルイ十五世崩御のあと、ルイ十六世となったのだった。