2011年11月17日木曜日

メッキ

最近、ちょっと、メッキがはがれてきたな、と思うことが多い今日この頃。
 某大学で英米文学入門の講義を始めて3年目。別の大学で英米文化と称して映画の授業を始めて1年目。これまでこういう講義をするチャンスがなかっただけに、けっこううれしくて、あーだこーだといろいろなことをしゃべってきたのですが…。
 結局、私の場合、長年の蓄積、長い間、映画を見たり小説などの文学作品を読んだりしてきたその蓄積で勝負してきたのです。特に研究をしてきたわけではない。一部の作家は若い頃に研究してきたので、それなりのものはありますが、それ以外は好きで見たり読んだりしてきたものの蓄積。
 講義をするということは、その蓄積を吐き出すことなのです。だから、蓄積があるうちは、いくらでも吐き出せるのですが、さすがにそろそろ、出してばかりいるとだめだ、材料を補給せねば、と思い始めました。
 私くらいの年齢になると、もう、マスコミの有名人でなければ、大学の専任教員になるのは無理です。それでも、公募に応募して、英米文学や映画の非常勤講師の仕事を得られるようになったので、無理でも応募は続けていましたが、今月初旬が締め切りの、首都圏の某大学のメディア教員募集に応募しませんでした。この大学の公募は条件がいろいろきびしくて、それもあったのですが、メディア教員の公募は必ず応募していたのに。ああ、そういえば、北海道の某大学の映像関係の教員公募も応募しませんでした(私はアカデミックなところで映画を研究していないので無理)。
 メッキがはがれてきたのを自覚していると、応募できなくなるのですね。自信がないから。自信があれば、落ちてもかまわないんです。どうせこの年じゃ無理でしょ、とか、コネのある人に決まってるんでしょ、とか思えるから。でも、自分が自分をだめだと思ったら、やはりだめです。
 それでも、「わたしを離さないで」の話をすると、学生たちが真剣に聞いてくれ、そのあとで意見を書かせると、いい意見がたくさん来るのを見ると、この仕事は続けたいと思います。もちろん、いいことばかりではないんですけど。
 「グレート・ギャツビー」が今の若い人にはあまりピンと来ない作品だ、ということがわかるのも、大いに勉強になります。村上春樹は若い人には受けてない、ということもわかったりして、そういうフィードバックがあるのが大学の講義のよさです。
 そんなわけで、メッキがはげてきた自分を反省し、出すだけでなく、新しい知識を仕入れる努力をしようと、改めて思ったのでした。