2012年2月10日金曜日

いろいろ

昨日、「彼女の涙の理由(わけ)」なんていうベタでありきたりな邦題を提案してしまいましたが…
 彼女の涙のわけをキャッチフレーズにしている映画があったのだった。
 それはメリル・ストリープ主演、「マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙」。
 しかし、この映画、鉄の女は別に涙を流したりはしません。
 ストリープは好演していますが、アルツハイマーを患った現代のサッチャーと、政治家時代の彼女を交互に描くという手法があまり成功していなくて、政治家時代は魅力的で面白いのに現代が余計というかうっとおしいというか。
 鉄の女も1人の弱い人間だった、ということを示したいのでしょうか? しかし、人間、年をとればいろいろ病気にもなるわけで、それを見せて1人の弱い人間だった、はないでしょう。
  サッチャーの夫、つまりサッチャー氏をジム・ブロードベントが演じていますが、そういえば、彼はアイリス・マードックの伝記映画「アイリス」でもアルツハイマーのヒロインの夫を演じていた。
 マーガレットとアイリスではまるで花比べのようですが、「アイリス」は老いたマードックがジュディ・デンチで、若いマードックがケイト・ウィンスレット。どっちも魅力的でしたね。
 「マーガレット・サッチャー」は、ストリープの演技がいいだけに、惜しい映画です。妻であり母であったとか、サッチャーの場合、どうでもいいような?

 今日(木曜)は、往年の大スターと同じ名前の新鋭監督スティーヴ・マックイーンという人の「SHAME」というのを見てきました。
 現代のニューヨーク。高層マンションの部屋に住む成功者だが、セックス依存症で、普通の恋愛関係が築けない男が主人公。この男、誰彼かまわず一夜限りの関係を結んだり、パソコンに卑猥な映像を保存していたり、その他、スケベがやることをいろいろやっているのですが、スケベであることの自覚がないのか、上司にパソコン見られるわ、部屋に転がり込んできた妹にもあれやこれや全部バレるわで、脇が甘い。それであせって、スケベなもの全部捨てて、普通の女性と普通の関係を持とうとすると失敗。一方、リストカットの過去のある妹にも問題がありそうで、というお話。
 監督は写真を見るとアフリカ系のイギリス人のようで、注目されている芸術家のようで、この映画も決してポルノではなく、ある種のヒリヒリした空気と人間関係をよく表現していて、あちらで評判が高いのもわかるのですが…
 だが、しかし、この映画、なんだかデジャヴなのですね。
 これって、もしかして、「ミスター・グッドバーを探して」の男性版?
 昼間はまじめな学校教師が、夜はバーで男漁りで一夜だけの関係。「恋の罪」の監督も参考にしたという、今となってはちと時代錯誤かもしれない映画ですが、公開された1970年代には注目を集めた作品です。でも、当時、映画仲間が、あの映画は見たときはすごいと思うけど時間がたつとどんどんたいしたことがない映画に思えてくる、と言っていて、けだし名言だと今も思います。
 つまり、なんですね、こういう映画はすごそうに見えるけど、よく考えると全然すごくない、という感じがしてしまうという……「恋の罪」もそうなんですけどね。
 主人公の兄妹はアイルランドからアメリカン・ドリームを夢見てやってきて、兄は成功し、妹は成功していない感じで、このあたりにイギリス人監督の視線があるのは確かですが、それ以上の詳しいことはわからず。
 そして、ネタバレはしませんが、クライマックスを見て思い出したのは、ニコラス・ローグの「ジェラシー」。ローグもイギリス人監督でした。
 「ジェラシー」はエロティックな映画でしたが、この映画はセックスシーンは多いけれど(例によってボカシまくり)エロティックではありません。またまた70年代の映画、フェリーニの「カサノバ」のセックスシーンが器械体操みたいでちっともエロティックでなかったのを思い出し、こういう映画は快楽も何もない、むなしいセックスを描くので、エロティックには描かないのだということがわかります。
 「カサノバ」はフェリーニらしい豪華絢爛な世界で、大好きな映画です。「ジェラシー」も好きな映画です。が、「ミスター・グッドバー」とか、「恋の罪」とか、この映画とかはどうもむなしさだけが残ります。「ミスター・グッドバー」だけは、なんとか、時代を表現したという点で、存在意義はあったと思いますが。