2017年8月8日火曜日

流水麺のことなど

水でほぐすだけで食べられる流水麺。うどんとそばがあるのは知っていたが、1袋2人前なので一度に食べられないから安くなっていてもあきらめていた。
が、1人前があるのを発見。早速買ってきて食べてみた。
まずそば。納豆を載せて市販のつゆをかける。そこそこうまい。でも、普通のそばとはやはり感触が違う。
翌日の朝にうどんに大根おろしと納豆と温泉たまごを載せ、つゆをかける。うまい。おまけに腹もちがするので、なかなかおなかがすかない。でも、普通のうどんとはやはり感触が違う。
スーパーでは消費期限ぎりぎりのものしか置いてなくて、そのあと行ったらすべて撤去されていた。入荷するのか不明。そばとうどん、あと1食分ずつあるけれど消費期限近いのですぐ食べねば。

さて、「君の名は。」は昨年夏からやっていた川崎チネチッタがついに最終週ということで、LiveZoundどうしようかな、と考えていたのだが、結局、行くことにした。最終日は混むのでその前に。昼間試写に行ってから川崎へ行くつもり。
LiveZoundどうしようかと迷ったのは、実は昔、「大地震」という映画があってな、という感じで昔語りをすると、この「大地震」、ロサンゼルスの地震を描く大スター共演のパニック映画なのだけれど、重低音で振動を起こして地震を体感させるという趣向。が、私は振動よりも音がうるさいと感じてしまった。
なんかもう、耳が痛いのである。
地震を体感したというよりは耳をやられた感が大きかった。
LiveZoundも重低音で振動が起こるそうで、「大地震」と同じだったらやだな、というのが正直な気持ち。でも、さすがにあれから数十年がたって、音響も進化しただろうと思うし、重低音以外の音がよさそうなので行ってみることにした。
んなわけで、川崎チネチッタでの「君の名は。」はTOHOシネマズ流山おおたかの森と並ぶ6回になる。流山は最初に「君の名は。」を見た場所で、9月3日だった。そして4月末の最終上映も見届けた場所。川崎も最終日にしてもよかったのだが、まあ、そこまでこだわるほどのことはないし、川崎がすべての最後になるわけでもなし(まだキネ旬シアターがある)。
混むっていうよりチケット予約が殺到してシステムパンクとかあるんじゃないの?と思ったのだが、もう最終日のチケットが売られている時間だ。それほど殺到っていうわけじゃないと思うけどね。

月曜日はジャック・ドワイヨン監督の「ロダン カミーユと永遠のアトリエ」の試写を見てきた。
ロダンとカミーユといえばイザベル・アジャーニ主演の「カミーユ・クローデル」があったが、今回はロダン中心。が、この映画、カンヌ映画祭に出品されてひどく評判が悪く、ネットのRottenTomatoesでは13%の支持と、救いようのない評価になっている。
試写に行ってみたらやはり人が少なく、そして映画はやはり評判が悪いだろうと思うような出来栄えだった。
「カミーユ・クローデル」は私に彫刻の見方を教えてくれたという点で、思い出深い映画なのだが、今回の「ロダン」は美術好きから見てそそるところが少ない。ロダンを演じるヴァンサン・ランドンはお気に入りの俳優なのだが、今回だけはランドンの魅力も演技力もほとんど感じられなかった。
弟子で愛人だったカミーユと内縁の妻ローズはどちらもどっしりと地に足のついたような女優が演じていて、こちらはそれなりに興味深かったが、この2人以外にも若い美人のモデルと次々と関係を結ぶロダン。実際モテる男だったのだろうが、映画からはどうもそれほどの魅力に思えず。
また、カミーユに関しては「カミーユ・クローデル」などの情報があるからわかるので、この映画だけじゃわからんだろうと思う。
ロダンの創作態度というのもイマイチこちらにビビッと来るものがないのだが、バルザック像を太鼓腹のヌードにしたら依頼主から断られてしまうというエピソード。実際、バルザックはそういう体型だったようだけど、なんで太鼓腹と男根を強調するヌードにしたかというと、どうやらロダンは太鼓腹を妊娠した女性の腹に見立てているらしいとわかるシーンがある。
バルザックといえば多数の小説と多数の人物を生み出したフランス文学の文豪。生み出した、ということで、妊婦の腹を連想させる太鼓腹にしたということなのだろう。
ロダンといさかいを起こしたカミーユがロダンに中絶させられたことを責めるシーンがある。そのとき、ロダンは、我々は粘土や石膏で子供たちを生むのだと言う。つまり、芸術家は芸術を生むので、子供はいらない、生まない、ということか。ローズも息子がいるが、他の子供はいないようだし、その息子に対してロダンは「パパ」と呼ぶなと言う。
子供を生まずに芸術を生むのが芸術家、というのがロダンの考えなのかな、と思わせたのが唯一の面白かったところだった。
ラスト、いきなり2017年の日本、箱根の彫刻の森美術館が登場し、庭に建つバルザック像に子供たちが触って「だるまさんがころんだ」という遊びをしているシーンが来る。色調が渋い色からカラフルな色にがらっと変わり、なかなか効果的なシーンではある。しかも、子供が遊んでいるのだ。バルザック像はガウンをかぶっていて、顔しか見えないが、そのシルエットは男根をあらわしているのだそうだ。つまり、妊婦の腹のような太鼓腹は隠されてしまったのだ。いろいろ意味深ではある。
その前に、晩年のロダンがモデルにした日本人・花子のエピソードがあるが、これがいわゆる変な日本でして、これのせいでラストの日本のシーンがイマイチに、という意見もある。
日本は上野の西洋美術館へ行けばロダンがたくさん見られるし、カミーユ・クローデルもあったと思う。私はロダンよりもブールデルが好きだった。