2017年8月27日日曜日

「ワンダーウーマン」&「ボブという名の猫」(ネタバレ大有り)

久々、同じシネコン内でのハシゴで「ワンダーウーマン」と「ボブという名の猫 幸せのハイタッチ」を見る。
いやはや、「ワンダーウーマン」で泣くとは思いませんでした。
アメコミ苦手、と前に書きましたが、この「ワンダーウーマン」は何かの続きである部分がほぼないので、一見さんでも十分楽しめます。最初と最後がバットマンとつながってますが、バットマンを知ってれば無問題。
戦う女たちの集団アマゾン族の王女ダイアナの少女時代から始まり、最初はちょっとディズニーふう、そのあとが第一次世界大戦のヨーロッパ、そして最後の戦いがちょっとハリポタやファンタスティックビーストっぽい雰囲気だったりと、既視感はありますが、なによりダイアナ役のガル・ガドットの魅力がすばらしい。美貌とたくましい肉体もさることながら、柔和な表情から怒りの表情まで、さまざまな表情を見せる。彼女を見るためだけでもこのシリーズを見続けたいと思うほどです。
アマゾン族の世界に偶然やってきたアメリカ人スティーヴとの出会いがきっかけで、外の世界、第一次世界大戦のヨーロッパへ彼とともに行くことになったダイアナ。彼女は人間はもともと善人ばかりだったのが悪の軍神のせいで戦争をするようになったと信じており、その軍神を倒せば人間は善人に戻ると思い込んでいます。このあたりが実はこの映画の重要なテーマで、一部の悪人だけが悪い、という単純な考えと現実の違いがクライマックスの大きなテーマになっていきますが、前半はこの辺はあまり掘り下げられず少し物足りない、と思っていると、突然、すばらしいシーンが!
前線にやってきたダイアナが、ドイツ軍に占領された町を救おうと、周囲が止めるのも聞かず、危険をかえりみずに突進していくシーン。肌を露出したコスチュームで敵の弾丸を跳ね返しながら突撃していく姿を見て、最初にうるっと来てしまいました。
どう考えたって、これは滑稽なシーンだろうと思うのに、うるっとしてしまうとは。
そのくらいダイアナの一途な気持ち、人を救いたいという思いがこれ以上ないと思うほどのかっこよさで描かれているのです。
無理だとかなんとかぐだぐだ言って何もしない男どもよ、見よ、という感じで、男たちも鼓舞されて彼女のあとに続きます。
このあともダイアナの勇姿に涙腺が刺激されるという、悲しいシーンでもないし普通の感動的なシーンでもないのに、なにかその姿そのものに感動してしまうような感じでした。
敵であるドイツ軍は戦争を終わらせる方向で話を進めているのですが、1人、狂気の軍人がいて、毒ガス兵器を作る女性科学者とともに毒ガス攻撃をしかけようとしている。この女性科学者が「シン・ゴジラ」の女性科学者を悪役にしたみたいで、なかなか面白いキャラです。今回は彼女の背景とかまったく描かれなかったけれど、死ななかったので次回に期待できるかも?
そしていよいよクライマックス、前半に出てきたテーマ、悪の軍神さえ倒せば人間は善人に戻る、と信じていたダイアナがその間違いに気づき、もともと人間の中に悪があるのだとわかるのですが、このあたりのテーマの展開はやはり既視感のあるもので、あまり深みは感じません。が、すばらしいのはそのあと。
毒ガス攻撃を防ぐため、ある決意をするスティーヴ。すでにダイアナと恋仲になっている彼はダイアナに何かを告白し、大事な時計を渡して去っていく。このときどんな会話がなされたかはあとでわかるのですが、私はそこで涙腺崩壊してしまいました。
「俺は今日を救うから、君は世界を救え」
このあたりの展開のしかたが本当にうまくて、2人の会話が聞こえない、スティーヴが何をしようとしているのかダイアナもわからない、ただ、彼の時計だけが手元にある。そしてそのあとの悲劇を見たダイアナの怒り、しかし、という具合に、上のせりふが出てくる。
まあ、私以外の人は別に泣くほどではないと思いますが、私はダイアナの怒りのシーンを見て、クリストファー・リーヴの「スーパーマン」第1作で恋人を失ったスーパーマンの怒りと悲しみを思い出してしまったのです。
スティーヴの言葉を思い出したダイアナは、人間には善も悪もあるが彼らの可能性に希望を見出そうとするのです。
これはまさに「スーパーマン」や「バットマン」で追求されていたテーマでは?
そうだ、これがDCコミックスなんだ、だから私は「スーパーマン」と「バットマン」が好きで、「ワンダーウーマン」にこんなに感動したのだ、と思ったらさらにうるうる(おいおい)。DCコミックスの映画化には今後もつきあいたいと思ったほど(マーヴェルは「スパイダーマン」しか知らないのでよくわかりません)。
エンド・クレジットもかっこよかったし、スティーヴが集める仲間たちもアメリカ先住民(白人に家族を殺されたが、今はその白人とともにいる)やアラブ系、スコットランド系(キルトをはいている)と多様な人種を反映していて味があります。
(「ワンダーウーマン」については同じ日の記事で追記しています。)

「ワンダーウーマン」が終わってから「ボブという名の猫」が始まるまできっかり2時間あったので、夕食を食べてショッピングセンターやニトリなどを見てまわっても時間が余るかな、と思ったのですが、涙腺崩壊の「ワンダーウーマン」の熱をさますにはちょうどよい時間でした。
そして「ボブという名の猫」。麻薬から立ち直るため代替薬を飲みながら路上で音楽活動をする貧しい青年が野良猫を引き取ったことから人生が変わっていった、という実話をもとにした映画。実話をもとにしたとはいっても、エピソードや人物は映画用に創作されたり脚色されてりしている場合が多いので、これが実際に起こったことではない部分もあるだろうと思いますが、麻薬から立ち直る大変さ、特に代替薬をやめるときの苦しさなどもしっかり描かれています。
監督がロジャー・スポスティウッドだからハズレはないだろうと思っていましたが、手堅い演出で、特に猫がかわいい。
ボブの役はボブ本人、いや本猫が出演とのことだけど、犬と違って猫は演技ができないので1匹の猫の役を数匹で演じているのは普通のこと。この映画のボブも本猫ボブのほかに数匹の猫が演じているようです。美猫ってほどではないけれど、ちょこんと座っているだけで絵になる猫。
主人公の住む部屋にネズミの穴があって、ボブがネズミにちょっかい出すので主人公が穴の前に本を置いてしまうシーンがあるのですが、最初に置いたときは何の本かわからず、次に置いたときにスタインベックの「二十日鼠と人間と」だとわかるのもうまい。
ボブの人気のおかげで主人公の音楽活動も人気が出るが、嫉妬していやがらせする男がいたり、そのあと、日本でもホームレスが売って生活費を稼いでいることで有名な雑誌「ビッグイシュー」を売る仕事を始めてやはりボブの人気で売れるけど、今度は同じ仕事をする人とトラブルに、と、よいことばかりではない面も描かれています。「ワンダーウーマン」じゃないけど、善も悪もあるのが人間。
ロンドンの二階建てバスにボブが乗って、車掌の女性が怒りもせず、逆に親切にしてくれたりと、ほのぼのシーンもあり。とにかくボブがかわいくて、ボブを見ているだけで幸せになってしまいます。
実はこの映画、試写状をいただいていたのだけどうまく都合がつかず、近場のシネコンで上映されることもわかっていたので試写は見送ったのですが、都合をつけて試写で見て、またシネコンで見ればよかったなあ、という気持ちになったほどです。