2021年7月22日木曜日

「プロミシング・ヤング・ウーマン」&「17歳の瞳に映る世界」

 女性監督2本ハシゴ。


「プロミシング・ヤング・ウーマン」はとにかく面白い。こんな脚本というか、ストーリーが書けたらすごい、と思うくらいよくできた物語。

タイトルのプロミシング・ヤング・ウーマンは、男子大学生(たいていは有名一流大学)が女性をレイプしたあと、弁護士やら大学やらが「この学生は将来有望な男性(プロミシング・ヤング・マン)だから許してやって、と言って、許されてしまう、という、日本でも元慶大生が何度も性犯罪を犯して、そのたびに親の力で助かっているという事例があるように、似たようなことはあるのだが、その男子大学生に対して言われる「将来有望な男性」をもじって、レイプ被害で自殺した女子医大生も「将来有望な女性」だったのだ、という意味で使っている。

実際、その医大生ニーナは大学で最も優秀だったらしい。そして、彼女の復讐のために生きている親友キャシーは2番目に優秀だったらしい。

一番優秀な学生が性被害で自殺、二番目に優秀な学生がその怒りで退学、許された「将来有望な学生」はのうのうと生きていて、男を許すことに加担した大学学長(女性)や元学生(女性もいる)への復讐が主なストーリー。良心の呵責に苦しむ弁護士(男性)がいるのが唯一の救いか。

30年以上前の「告発の行方」も、レイプ犯の大学生が「将来有望な男性だから」ということで、女性検事がレイプではなく傷害罪で起訴してしまい、被害者の怒りを見て、同じ罪でもう一度裁判ができないかわりに、レイプを煽った男たちを告発する。

「プロミシング・ヤング・ウーマン」も単なるレイプではなく、公衆の面前で行われていて、周囲の人間は止めるどころか煽っていたのだ。

クライマックス近くで元医大生を追い詰める決定的な証拠が出てきて、でも、それをそのまま使えないからどうするか、と思ったら、そう来たか。

ラストはニーナとキャシーの絆を表現して終わる。

キャシーの正式名がカサンドラであることが結末近くでわかるが、ああ、カサンドラだったのか。ギリシャ神話の預言者です。


最後は女たちの絆で終わる、というのは「17歳の瞳に映る世界」も同じ。

望まぬ妊娠をした17歳の女子高生。彼女が男とのよくない関係を歌うシーンから始まり、途中で客席から悪態をつかれ、そのあと、男に水をぶっかける。

タイトルの「Never Rarely Sometimes Always」は、ヒロインが中絶のためにニューヨークへ行ったときに問診で聞かれることの答えの4択。恋人との性生活で、こういうことがどの程度あったかという質問の答えだ。最初の歌と関連する。

ヒロインの元恋人と言うのはそんなにひどい男というわけではなさそうが、男女関係で女性がどうしても男のいいなりになってしまうことがわかる。

彼女はもう男を愛していないので、中絶する決心をしたのだろう。しかし、地元でかかった医者(女性)は中絶反対論者で、中絶が悪だというビデオを見せる。しかも、妊娠18週なのに10週と言っていたこともわかる。

地元のペンシルヴェニア州では親の同意が必要なので、ヒロインはいとこと一緒により自由なニューヨークへ行く。途中バスでナンパしてきた男がいて、この男もそんなに悪いやつではないのだが、お金を貸すかわりにキスを求めるとか、まあその程度の男で、お金のためにキスの犠牲になっているいとことヒロインがこっそり小指を絡ませる。

「プロミシング・ヤング・ウーマン」でもキャシーが泥酔したふりをして男を誘い、怖い目にあわす相手もワルではない。本物のワルだったら、あの程度で怖がるわけがない。その程度の男がわんさかいるのか、あの女はヤバイとか噂が立たないのかな、という疑問はあるが、男からしたら、このくらい許せよ、許容範囲だろ、と思うくらいの男をばっさり切っているのだ、この2本は。

女同士の絆や連帯で幕を閉じるこの2本を見ていると、いいかげん、女には男が必要だ、女は男がいないと生きていけない、というのが誤った考えだということに、男たちは気づくべきだと思う。