2021年7月23日金曜日

「一度きりの大泉の話」

 5月はじめに書店で萩尾望都の「一度きりの大泉の話」を手に取り、数年前に出た竹宮恵子の「少年の名はジルベール」を読んでいたことから非常に興味がわいたが、その後、ネットでいろいろ見て、読まない方がいいのかなあ、と思った、ということは5月に書いた。

さーべる倶楽部: もやもや (sabreclub4.blogspot.com)

それでもやもやしながら5月下旬になり、とりあえず図書館で予約するか、と思って予約した。

予約は11番目だったが、市内には1冊しかないので、これは借りられるのは半年後かな、まあ、気長に待とう、と思っていた。

ところが、あれよあれよという間に予約が50件近くになり、市立図書館はさらに2冊を購入、3冊でまわしたのでどんどん順番がまわり、予約から2か月で借りることができた。

内容はネットでいろいろ読んでいたので、それを確認するような読書になってしまったが、萩尾望都のトラウマの大きさは相当なものだと思った。

竹宮の本では萩尾との決別は、小学館の担当編集者Y氏が萩尾の漫画は何でも認めるのに自分の漫画は認めてくれない、特に「風と木の詩」をまったく認めてくれないのが苦痛で、萩尾への嫉妬からもう一緒に暮らせないので距離を置きたいと言って袂を分かった、となっている。

しかし、実際は、ことはもっと複雑で、萩尾が「ポーの一族」の中の「小鳥の巣」を描いたところ、竹宮と増山法恵から「風と木の詩」の盗作だと責められた。その後、竹宮1人が萩尾と会い、あのことは忘れてくれ、と言って手紙を渡したが、それが絶交の手紙だった、ということ。

竹宮としては、盗作うんぬんは言い過ぎだったかもしれないが、萩尾の存在が彼女には重すぎるので、いっさいの交流を断ちたいということだったのだろう。

ああいうことがあっても竹宮と増山は友人だと思っていた萩尾はショックを受け、ストレス性の目の病にかかってしまう。

ただ、この頃、竹宮も心を病んで体調不良になっていたので、萩尾だけが苦しんだわけではないのだが、絶交してしまったために、お互いに相手の苦悩がわからなかったのだろう。

その上、2人には共通の友人やアシスタントがいて、萩尾の本によると、そっち方面からいろいろ噂が伝わってくる。

萩尾の本の後半には、竹宮と決別したあとに起こったトラブルについていろいろ書かれていて、そのことで「呪った」とまで書いてある。誰を呪ったかは書いていないが、おそらく竹宮を呪ったのだろう。

それは「トーマの心臓」の連載が始まったときで、1回目が掲載されたあと、担当編集者(前述のY氏ではない)が、連載をやめると言い出した。理由は読者アンケートが最下位だったからだというが、どうも、竹宮たちが「トーマの心臓」は「風と木の詩」の盗作だと言っているらしい。それが原因なのでは、と萩尾は思ったようだ。

「風と木の詩」は編集部からなかなかOKが出なくて、連載が決まるのはそれからだいぶたってからなのだが、同居していたときにお互いに「風木」や「トーマ」の下書きを見せたりしていたようだ。

このほか、大泉サロンが潰れたのは誰と誰のせいだと竹宮が言っている、という噂があって、名指しされた人が怒って竹宮に電話したとかいう話もある。萩尾の本の後半はこういった話ばかりで、読むのがかなりつらい(前半は面白いのだが)。

萩尾はいろいろな人に話を聞いて確認したというのだが、私から見ると、萩尾と竹宮の間にいる人に確認しただけなので、あまり客観的とは思えない。ただ、萩尾は盗作と言われたのが非常にショックで、以後、竹宮の作品は絶対に読まない、かかわりも持たないと決めているので、竹宮本人に問いただすということをしなかった。だから肝心なところが伝聞になっている。

竹宮の「風と木の詩」と萩尾の「小鳥の巣」「トーマの心臓」の共通点は寄宿舎が舞台の少年たちの物語ということで、竹宮と増山にとってはここを先にやられたというのが許せなかったのだが、萩尾からしたら寄宿舎の少年ものなんて映画にはいくらでもあるから、なぜそこだけで盗作と言われるのか理解できない。で、萩尾の結論としては、竹宮と増山は少女漫画革命と少年愛にこだわっていて、そこでは自分の存在が邪魔だったのだろう、ということで、まあ、これは当たってるだろうと思う。

萩尾自身、増山からの影響がなかったら、寄宿舎の少年ものを描いていなかっただろうと書いている。竹宮もそれは同じはずで、増山の存在が鍵だったわけだ。

そんなわけで、寄宿舎の少年たちの物語と、少年愛と、少女漫画革命が命の竹宮・増山と、寄宿舎の少年たちの物語は芸術表現の手段であり、少年愛とか革命とかは特に重要でない萩尾との間に価値観の大きなギャップがあったのだが。

しかし、ほとんどの人は指摘していないのだが、私が気になるのは小学館の編集者Y氏である。

実は竹宮の自伝はこのY氏が亡くなったあと(ほとんど直後?)に出たのだ。Y氏が生きているうちは出せなかったのである。

Y氏は新人時代の竹宮の恩人だが、竹宮の漫画にはかなりきびしかったようだ。

ところが、講談社で不遇の萩尾の漫画を竹宮から見せられたY氏は非常に気に入り、以後、萩尾の漫画は無条件で掲載する。

一方、竹宮は「風と木の詩」をY氏に全面否定される。

萩尾の漫画は読者アンケートではあまり人気がなかったようだが、最初の単行本「ポーの一族」は3万部の初版が3日で売り切れたという。

本の中で萩尾は、竹宮は巻頭作家で自分は巻末作家だと言い、「ポーの一族」が売れたといっても、竹宮先生が単行本を出せばもっと売れる、それなのになぜ嫉妬するのか、と書いている。

てことは、単行本は萩尾の方が先に出たのか?

この辺、ちょちょっと調べただけではわからなかったけど、もうこの時点で萩尾の方が竹宮より上になっていたということなのだろうか。

小学館では読者アンケートでは下位の萩尾をY氏が優遇するので、異論も出ていたということを萩尾が書いているが、自分の方が常に竹宮より下です、と書いているけど、実際は違っていたのではないか?

いずれにしろ、自分の好きな漫画が描けて、絶対的な支持者であるY氏がいる萩尾と、そのY氏から「風木」を否定される竹宮、という構図が、私には無視できないのだけど、ここに注目する人はほとんどいないように見える。

というわけで、萩尾のトラウマや苦悩は大いに理解できるものの、彼女の言葉を額面どおりに受け止められない感じも非常に強くしている。謙遜の裏側にある優越感というか、そういうものもありそうな気がする。劣等感と優越感の両方が常にある、というのはとてもよくわかるのだ。

また、萩尾が竹宮の作品をいっさい読まず、竹宮の自伝も読んでいないことから来る問題も感じる。竹宮の本を読んでいれば、Y氏のことで竹宮が苦悩していたことがわかるはずで、そうなれば、萩尾の感じ方もまた違っていたと思う。

萩尾の本については、竹宮サイドの人間たちからSNSで、これは違うみたいな文章が出たが、その後、削除されたらしい。

それについてはここに書いてある。

吉田豪 萩尾望都と竹宮惠子を再び語る (miyearnzzlabo.com)

竹宮はY氏の対応で苦悩していたことを萩尾に知ってほしかったんだろうな。それは永遠に不可能だけど。

萩尾は本で、Y氏がどんなに自分を支持してくれていたかを書いている。竹宮の思いを知っていたら、こうは書けなかっただろう。萩尾が書くY氏の部分を竹宮が読んだら、どんな気持ちになるだろうかと思うとちょっと苦しい。竹宮の書くY氏と萩尾の書くY氏の違いは、2人に対するY氏の気持ちの違いなのだと思うと。