2012年8月20日月曜日

書かなくちゃ

と思いつつ、なかなか書けない…。
いや、別に依頼原稿はありませんが、ブログは書いてますが、そうではなくて、自分で書いて、これ載せてくださいと頼む、それをしなければ、と思いつつ、していません。

ま、それはともかく…
どこのブログだったか忘れてしまったが、学生がレポートを下書きせずに書いて出すという大学の先生の悩みに対し、あるブログの人が、下書きと清書の両方を出させる、という提案をしていた。そして、下書きと清書を同じものにする学生がいるので、それを防ぐために、下書きと清書では長さを変えるのだそうだ。下書きの方が長くなるようにするんだそうです。
うわあああああ、もしも私が大学生だったら、そんなレポート書けない…。
白状しましょう、私は下書きをしません。
まあ、ワープロがなかった頃は、清書はしてました。でも、それは、とりあえず下書きを書いて、それを推敲して清書するのではありませんでした。
ああだこうだ考えながら、レポートなり論文なり映画評なりを仕上げるのですが(ワープロがなかった頃にもすでにプロで映画評や文庫解説書いてましたので)、最後まで書けたら、それはもうほとんど推敲の必要がないのが常でした。なので、あとはほとんど変えずに清書。提出。終わり。
そのかわり、最後まで書くのが大変で、ワープロがなかった頃は、最初の5行書いては原稿用紙を破って捨て、それを5回も10回もやって、って感じでした。出だしがOKなら、あとは自動的に最後まで行きます。
つまり、原稿はすでに頭の中に出来上がっていて、あとはそれを文字に打ち出すだけなんです。
ワープロになってからは、ほとんど白紙の原稿用紙を何枚もむだにすることがなくなり、大変助かりました。
まあ、確かに、大学生の中には文章を書くのが苦手な人は多いです。昔から文章を書くのが苦手な学生はいましたが、最近は昔に比べて義務教育のときに作文をあまりしてないみたいですね。それで苦手だったり、昔だったら考えられない非常識な作文行為やレポート作成行為がある。また、先生もパソコンから打ち出したレポートを許可したりする(あるいは、テキストデータをメールで送らせる)。それだと誰かが書いたレポートを何人もがパソコンで打ち出して提出するわな。手書きだと、もとが同じでも多少は個性が出るものです。つか、そこで個性出さないと不可、と私なら言うわ。ついでに筆跡鑑定やって、明らかに同じ筆跡のが複数あったらそれは全部落とします。
なんか、先生の方が、あるいは、先生の助言してるブログの人の方が、文章書くの苦手なんじゃないのかなあ、いや、一応大学の先生だから論文くらい書いてるだろうし、好きでブログやってるんだから書くのは好きなんだろうけど、下書きして推敲して清書って、私できない……(小さな変更とかはしてますよ、もちろん、でも、長さが大幅に変わるような変更はできない)。
私が好きなのはミケランジェロの逸話で、石の中にダビデがいるから彫りだすのだ、といって彫刻を作ったという話です。私の頭の中にある文章を打ち出すのだ(←だから書けよ!)。