2012年8月21日火曜日

希望の国(覚書・少しネタバレ)

園子温監督の新作「希望の国」。
前作「ヒミズ」は見ていないのだけれど、企画段階で東日本大震災が起こり、震災を取り入れたとのこと。
そして、新作「希望の国」では本格的に原発問題を描いている。
「冷たい熱帯魚」にしろ、「恋の罪」にしろ、過去に起こった事件をもとにフィクションとして作られた映画だが、「希望の国」も福島原発事故をもとにしたフィクションである。
しかし、違うのは、「希望の国」では福島原発事故が起きてから数年後、今度は長島県という架空の県で、やはり地震による原発事故が起きたという設定になっていること。
福島原発事故のときはこうだった、という話が再三、登場する。マスコミは本当のことを伝えていなかった、などなど。
そして、福島原発事故のときと同じことがこの長島県とその周辺でも起きている。住民の避難の問題、放射能を心配する人を笑いものにする人々、放射能を心配していたのにすぐに忘れる人々、真実を伝えないテレビ、専門家。
福島原発の事故の後、今度は長島原発で事故があり、この2つの原発事故のために、もう日本には住める場所がない、という前提が、暗にこの映画にはある。
原発からちょうど20キロのところにある酪農家では、老いた両親は最後までそこにとどまる決意をするが、息子夫婦は遠くへ逃げさせる。一家の主である老人は、原発ができたときから事故を心配し、ガイガーカウンターを買い(そのすぐわきに猟銃があるのが示唆的だ)、放射能についての本を何冊も買い揃えていた。息子夫婦はガイガーカウンターと本を持って逃げるが、逃げた先にも放射能はやってくる。妻は、放射能は南の方から来ると言って、南側の窓を密閉する。

映画は避難地域に指定されても避難しない老夫婦と、どこまでも遠くへ逃げる息子夫婦と、そして、立ち入り禁止区域に家族を探しに行く若い女性とその恋人の3組の男女の物語を並行して描いている。この中ではやはり、避難しようとしない老夫婦の物語が胸を打つ。老いた妻は認知症らしく、「うちに帰ろう」という言葉を繰り返し、結婚する直前の若い時代に戻ったつもりでいる。老夫婦はもともと原発に反対だったが、何もすることができず、ただ、事故が起こることを不安に思って暮らしてきたのだろう。そして事故が起こり、避難してくれと言われても、彼らはそこを動けない。
チェルノブイリの事故でも、その後、立ち入り禁止区域に老人が戻ってしまっているというが、老人は土地を離れられないというのは日本だけでなく、世界的に普遍的な真実なのだろう。老人なので放射能の影響が少ない、あっても、その前に寿命が来る、という考えもあるだろう。しかし、行政は個々の人間のことを何も考えてくれない。国も県も市も村も頼りにならない、と老人は切って捨てる。それはあの震災と原発事故で、多くの日本人が感じたことでもある。
老人は自分たちを木にたとえる。木は大地から抜いて移動させることができない。老人の家の庭には花壇があり、その中心に夫婦の木が立っている。クライマックス、この花壇と木が俯瞰で眺められるとき、それは世界の縮図であることがわかる。木は世界樹であり、生命の木(ツリー・オブ・ライフ)であり、そして花壇は楽園なのだ。その木に火がついて燃え上がるクライマックスは、その直前の悲劇とあいまって、悲痛なまでの美しさとなる。

園監督の映画としては、これまでとは違う映像の美しさがある映画だ。それは人工的ではなく、自然のかもし出す美だ。雪の中の被災地を映し出す映像も美しい。
箱庭のような花園と木の庭を持つ老夫婦の物語と、雪の被災地をさまよう若いカップルの物語はまるで神話のように描かれる。それに対し、放射能から逃げる若い夫婦の物語は現実を映し出す。
神話のような2つの物語に比べ、現実の物語がいくぶん、弱いと感じられるのは、描写の仕方がわりと単純だからだろう。現実の人間はもっと複雑で、たとえば、放射能を心配する人をばかにする人も心の奥では不安に思っているといった複雑さがあるはずなのだが、現実の物語では人間はわりと単純化され、紋切り型になっている。そこが弱点といえば弱点だが、今の段階ではまだここまでかとも思う。

最後に、試写室で配られたプレスシートにあった監督のインタビューから

原発事故を題材にした映画を作るうえで、どんな困難がありましたか。
「製作的には、資金調達がこれまで以上に大変でした。やはり、いまの日本ではこういった映画を作ることが困難なんだな、と。みんなでがんばって前へ進もうという作品なら違ったのかもしれませんが、暗部を見せるものにはみんな尻込みする。ただ、そうでなければやる意味がないですからね。最終的に、海外資本の協力を得ることになりました」

「希望の国」は日本・イギリス・台湾の合作となっている。
映画の中に登場するテレビ番組では、放射能なんか気にせずにどーんと生きましょう、みたいなことが言われている。昨年暮れあたりから、放射能無害論が増えてきている。
この映画は、福島原発事故から日本は何も変わらず、また原発事故が起こる、という設定なのだ。