2012年9月6日木曜日

声をかくす人(ネタバレ大あり)

このところ、映画をあまり見ていないので、見た映画についてはできる限り、覚書でも書いておきたいと思います。
先日見たのは、ロバート・レッドフォード監督の新作「声をかくす人」。
「愛を読むひと」以来、この手の「なんとかをする人」の邦題がミニシアター系に多いのですが、受けるのでしょうか。私にはワンパターンに見えるのだが。
それはともかく、映画はリンカーン暗殺事件で犯人グループの1人とみなされ、死刑判決を受けた女性メアリー・サラットの実話をもとにしています。
南部出身の彼女は夫を失い、下宿屋を営みながら娘と息子を育てたのですが、息子が犯人グループの一味となり、グループのメンバーがこの下宿屋にいた、ということで、母親も共犯と見られてしまう。しかも、事情を知る息子は逃亡して行方知れず。
無罪を主張する彼女の弁護士をいやいやながら引き受けたのは北軍の元大佐。事件にかかわるうちに、民間人である彼女を軍事法廷で裁くことや、最初から死刑ありきですべてが進んでいくことに疑問を持ち、正義と法を守るために戦うことになります。
南北戦争は終わったとはいえ、まだ南軍の残党がテロを起こしたりしていたので、事実上、戦争状態。そんな中で起こったリンカーン暗殺事件なので、容疑者は全員死刑にして決着をつけることでこの事件を過去のものにし、平和をもたらそうというのが上層部の考え。周囲の人々もメアリーを有罪と信じ、弁護を引き受けた元大佐は孤立。しかも、メアリーは逃亡中の息子を守るために無罪を立証するような証言を何もしない。裁判の過程でメアリーに同情し、死刑は避けるべきと考える人たちも出てくるが、全員死刑を最初から決めているのでだめ。
というふうに、戦争なんだから空気読め、みたいな雰囲気ですべてが決まっていってしまうのです。
脚本を書いたジェームズ・ソロモンは90年代から脚本にとりかかっていたのですが、最初は、そんな昔の話、と言われたけれど、9・11以後はそういう声はなくなった、とのこと。
まさに戦争だから空気読め、平時じゃないんだから法も正義も無視していい、という状況がアメリカの古い時代にもあったということが描かれているわけですが、正直、この状況は、大震災で原発事故が起こったんだから空気読め、放射能に関する決まりも勝手に変えてしまっていい、みたいな今の日本にも重なると思います。震災後の日本は戦時中のようだ、という声がありますが、何かあると空気読めとなるのは、実は日本だけじゃなかった。
映画はイデオロギーが前に出すぎていて、映画としてはふくらみが足りない気がしますが、元大佐がどんな場合でも法と正義を守るべきだと主張し、合衆国の憲法や法律ができるためにどれだけの血が流されたかを考えろと言うのは、ジム・キャリーの「マジェスティック」にも描かれたことで、アメリカ人はこういう主張が好きなのが救い。
実話なので結末はわかっているわけですが、母を助けるために自首しなかった息子がのちに逮捕され、裁判にかけられるが、このときは軍事法廷ではなく普通の裁判で、陪審員が北部人と南部人の半々であったことから結論が出ず、息子は釈放されてしまったということが最後に字幕で出ると、裁判に正義を求めること自体のむずかしさを感じてしまいます。
メアリー・サラットは、アメリカ合衆国によって初めて死刑判決を受け、処刑された女性だそうですが、彼女は完全に無罪ではないにしても、死刑になるほどの関与はしていなかった、普通の法廷なら死刑にはならなかったと言われています。