2018年5月25日金曜日

「ゲティ家の身代金」&「犬ヶ島」軽い感想

見たい映画は始まったらさっさとシネコンで見る、という習慣がついてしまったので、本日は「ゲティ家の身代金」と「犬ヶ島」のハシゴ。

主演したケヴィン・スペイシーがセクハラ問題で映画の公開が危ぶまれ、急遽、クリストファー・プラマーで撮り直して公開された「ゲティ家の身代金」。リドリー・スコットの演出はかつてのようなキレがなく、冒頭にえんえんと続く回想シーンもなんで本題に入らないのかとイライラがつのる。後半の伏線になる部分もあるのだが、それにしてもこんなに長々とやる必要あるのか?
それと、前半は犯人側も交渉側もあまりにもアホというか間抜けというか、こんなアホな連中の話をえんえんと見せられるのか、とまたしてもイライラ。
特にマーク・ウォールバーグ演じる元CIAの男、ほとんど役に立ってないんですけど。
ミシェル・ウィリアムズとプラマーの演技が救い、という映画。
プラマーの演じたドケチな大富豪ゲティは、スペイシーの方がきっと卑劣で憎々しいやつになっていたのではないかと思うのだが、プラマーだと「クリスマス・キャロル」のスクルージのように、きっと、人生のどこかで人間不信に陥り、金と物しか信じなくなったのではないか、と思わせてしまう。心底悪いやつとは思えないのである。
人質の母を演じるウィリアムズはいつもどおりうまい。彼女のリアルな演技が映画を支えている。
ウォールバーグの元CIAは本当に役に立たないやつで、「犯人は共産主義者だ、(極左過激派の)赤い旅団だ、ゲティ家は資本主義の象徴だから」と判で押したような考えで、マフィアとか他の可能性をまったく考えずにことを進めるというアホさかげん。結局、誘拐されたゲティの孫は過激派のメンバーと友人で、偽装誘拐の話があった、ということを聞き、別のグループと偽装誘拐をやっているのだろうと決めつけてしまう。犯人の方も、こんなやり方で金とれるのかよ、と思う間抜けかげん。で、最初の犯人グループがもっと頭のいい組織に人質を売って、そこでようやくアホな元CIAも偽装誘拐でないとわかって、ここでやっと話が動くというか、動いてもこの元CIAは全然役に立ってません。
人質救出よりも、ドケチな富豪と孫の母親との闘いがメインなのだろうけど、こっちもあまり対決の面白さがないし。リドリー・スコットは昔は対決の映画が得意だったのになあ。

ウェス・アンダーソンの「犬ヶ島」はストップモーション・アニメということで、セル・アニメやCGアニメとは違う面白さがあるし、いかにも欧米人の見た日本の伝統文化がそれほどいやみなく取り入れられていたり、クレジットが英語と日本語の両方で出たり、犬は英語だけど人間は自分の母語を話す(日本人は日本語、アメリカ人は英語)など、今までにないユニークさがある。ただ、日本人が日本語でせりふを言っていると、途中から英語の通訳にかわってしまうあたり、日本語のせりふはそれほど重要視されていない感じはする。日本語吹替え版も公開されているのだが、この辺はどうなっているのだろう。
物語は日本のメガ崎市の市長が、犬の伝染病を理由に犬をゴミの島に移してしまう、という話で、伝染病を治す薬を発明した科学者を暗殺してしまったりと、徹底して犬を排除しようとしている。一方、市長の養子である少年は仲のよい犬を探して島に渡り、犬たちとともに市長らと戦う。
ストーリー自体はそんなにユニークではないが、アニメの表現がいろいろ面白く、映像に盛り込まれた情報が非常に多いので、一度では全部見きれない。
それにしても、アメリカのアニメでは猫はたいてい悪役なのだが、この映画でも悪の市長側には猫がたくさん描かれていたり、猫がいたりして、やっぱり猫は悪役側のようだ。
この映画についてはRottentomatoesでは非常に評価が高いのだけれど、低い評価をしているシアトル・タイムズのモイラ・マクドナルドが「たぶん、私が猫派だから」と書いているのがわが意を得たりな感じであった。猫が悪役側って、やっぱりいやだよね。ホワイトウォッシュだという批判をしている批評家もいたが、黒い犬が洗うと白い犬に変わるとか、確かに気になる。
日本の描写も、今の日本への批判では全然なくて、紋切型の日本のようなところも多い(表現としては面白いけれど)。あと、富士山のつもりの山がディズニーランドの山にしか見えない。

「ゲティ家の身代金」にも犬が出てきたので、今日は犬映画2本でした。