2021年3月12日金曜日

宇部市の国民宿舎

「シン・エヴァンゲリオン」のラストに宇部新川駅が出てきて、宇部線に乗ったことがあるのですぐにどこだかわかり、いろいろなつかしくなって思い出したり調べたりしていた。

山口県を旅したのはたぶん、1974年の夏だったと思う。

あこがれの尾道(広島県)に行きたいと思い、まずそこを訪れたあと、翌日は山口線で津和野(島根県)へ行く予定だったので、宇部市(山口県)の国民宿舎に泊まった。国民宿舎は民間のホテルや旅館に比べて非常に安かったのだ。ただし、食事はとても粗食。それでもたいていは夏休みは予約はとれないのだが、この宇部市の国民宿舎はすいていて、予約ができた。

なんという名前か忘れていたのだが、ウィキペディアで国民宿舎を調べたら、常盤荘だとわかる。宇部線の常盤駅から1㎞ほどのところにあったが、その後、取り壊され、現在は駐車場になっているらしい。

山陽本線の小郡駅(現・新山口駅)で宇部線に乗り換えて、常盤駅で降りて、そこから歩いたのを覚えている。わりと近くまで来たところで道がわからなくなり、農家の家と思われる家の門から、広い庭の先の方で散水していたおじさんにたずねると、わざわざ仕事をやめて、門のところまできて、道を教えてくれたのだ。

首都圏で生まれ育った私には、なんだかものすごく親切にしてもらえた感じがして、すごく感激した。

家とかまばらにしか建っていないような場所だったので、教えてもらえてほっとした。

常盤荘もとても親しみやすい感じで、気に入ったのだけど、窓に鍵がないのには驚いた。

常盤荘のすぐそばには湖がある、ということは地図で見て知っていたが、宿舎からは湖は見えなかった。翌朝、宿を出発したとき、木々の間から湖が見えた。今度また来たら、湖を見たい、と思ってから半世紀近くがたってしまったのだなあ。

当時は湖があるだけだったと思うが、今はときわ公園として整備され、遊園地や動物園もあるようだ。

ときわ公園のサイトにあった地図です。

右側の駐車場のあたりに常盤荘があったらしい。

常盤荘について調べても、ほとんど何も出てこない。1960年代にできたことと、その後取り壊されて駐車場になったことくらい。写真も見つからないし、利用した人の話も出てこない。

常盤荘で一泊したあと、再び宇部線で小郡駅に戻り、そこから山口線で津和野へ行った。宇部新川駅は小郡方面とは逆方向なので、通っていない。でも、あのあたりでは一番大きな駅のようなので、地図には大きく出ていたから、名前を憶えていたのだ。

小郡という地名を見たのも本当に久しぶりだったが、すぐに「おごおり」と読めたのは、やはり若い頃に知った名前だからだろう。

20世紀末に小郡駅が新山口駅に改名するという話が持ち上がったとき、駅は小郡町にあるので小郡町が改名に反対、しかし、21世紀になると山口市と合併することになり、駅名も新山口駅になったと、ウィキペディアで読んだ。

山口線で津和野へ行ったあと、山陰本線で再び山口県に入り、萩へ行き、長門市の国民宿舎に泊まった。山口線はSLだったかもしれない。観光用じゃなくてSLが平常運転だったような(記憶あいまい)。

長門市の国民宿舎はウィキペディアで調べると2軒あったようだ(どちらも廃業)。たぶん、長門荘という名前の方だったと思う。ここは萩が近いので観光客が多く、あまり落ち着けず、よい印象がないというか、ほとんど何も覚えていない。ここに比べて宇部市の常盤荘がますます好印象になって記憶に残ったのだろう。

翌日は日本海の島の遊覧船に乗ったりしたあと、山陰本線で下関へ行った。子供の頃からあこがれていた秋吉台と秋芳洞へは、下関からバスで行った。津和野や萩もよかったけれど、ここの鍾乳洞や、石灰岩が墓石のように並ぶ丘の風景はすばらしかった。

下関では奮発してシティホテルに泊まったが、窓から見える関門海峡の夜景がみごとで、ずっと眺めていたのを思い出す。

当時は飛行機や新幹線は高くて、夜行の寝台車をよく利用していた。寝台車の方が安かったのだ。このときも、行きと帰りは夜行列車だったと思う。東京・大阪間を結ぶ銀河という寝台急行がとても安くて、夏休みでもわりと予約がとれたので、よく利用していた。寝台特急のブルートレインは夏休みは予約は無理だったが、それ以外の時期はわりと大丈夫だったので、3月上旬にそれで九州旅行に行ったりしていた。

映画のおかげで思いがけず、なつかしい思い出がよみがえった。