2023年5月21日日曜日

過去記事発掘作業

 1984年からプロとしてあちこちに執筆するようになって39年。その記録を細々と某所で自分だけの記念みたいにして残そうとしてるわけですが、2000年代初頭までは原稿をメールで送っていなかったのですね。

フロッピーディスクに入れて渡すか、印刷してファックスで送るかでした(インターネット老人会)。

そんなわけで、パソコンに原稿が残っていないわけです。(フロッピーディスクはあるけど、書院だよ。書院っていっても老人会以外にはわかんないだろうけど。)

なので2000年代初頭くらいから前のは現物にあたらないといけない。その現物は、だいたい目次と執筆したページだけ切り取って保存してありますが、39年分ともなると膨大な分量なわけです。段ボールに入れて押し入れにしまってあるに違いないが、押し入れの段ボールをいちいち開けないといけないのか、面倒、と思っていました。

が、押し入れの手前の箱を開けてみたら、一発で見つかった。ただし、全部ではないので、いずれは奥の箱を開けねばなりません。

しかしまあ、開けてみたら、いろんなものがあるのですよ。え、こんな雑誌や本に書いてたのか、知らんかった、の連続。ドミンゴとかレヴァインとかスペイシーとか、のちにMeeTooで告発される連中について書いてる。そういや、ドミンゴとレヴァインはファンで、メトの公演を見たのだよね。2階席に当時の皇太子夫妻(現上皇夫妻)がいたのです。

スペイシーは前からうさん臭い奴と思っていたので、驚かなかったが。

でもって、ヴェルサーチのインタビューを訳したのは覚えていたが(殺害される前のインタビューで、殺害後に翻訳した)、プラダの翻訳もしてたとは。記事にトム・フォードが出てたわ。

定価がついて売られてはいるけどほとんど同人誌みたいなのも数種類あって、それはさすがに載せられないと思ったけれど、そのうちの1種類の執筆者がいまや有名人ばかりだったりして、これだけは載せるかと思ったり。

しかし、昔の雑誌は字が小さくて、老眼にはこたえる。

1981年の「ぴあ」に「エレファント・マン」についての投書(映画評と言っていい長い文章)が載った号も表紙と記事が出てきました。写真は古本屋のサイトから。


そして、1995年のキネ旬臨時増刊号の「世界映画オールタイム・ベストテン」。写真はアマゾンから。


こんなのもあったのか。そういえば、90年春になじみの編集者がみんなやめてしまい、キネ旬に書けなくなったあと、95年に編集部を訪ね、当時の編集長がこの企画に参加させてくれたのがきっかけで、キネ旬復帰を果たすことができたのでした。

そのキネ旬も2010年代前半くらいからだんだん縁遠くなってしまっています。書いたものを整理していると、39年間のさまざまなことが思い出されて、丸1日つぶれてしまったのでした。ああ、疲れた。