2023年5月27日土曜日

「アフターサン」(ネタバレ大有り)

 金曜日は柏の葉へ予約済みの「アフターサン」を見に行こうとしたら、なんと、つくばエクスプレスが線路にひび割れとかで止まっている。補修は済んで、今テスト走行中というアナウンスがあるが、近くの人が「テスト走行中と言ってもう30分たつ」と携帯で話している。とりあえず止まっている電車で待つこと20分、ようやく動き出したが、問題の区間は徐行運転のため、いつもより時間がかかる。それでもなんとか本編開始には間に合った。

そんなわけでシアター入口の掲示はボケボケ写真。それでも撮れただけ余裕があったってこと。なかなか運転再開にならないので、今日は無理かな、帰ろうかな、と思っていたけど、映画の神様はついていてくれたようです。


「アフターサン」(タイトルは日焼けどめクリームの日焼けのこと)は11歳の少女ソフィーが31歳になったばかりの父親とトルコですごすバカンスの物語。年齢差が20歳未満ということは、父親は19歳で娘をもうけたことになるが、母親とは別れ、でも定期的に娘と会っていたよう。

離婚したのか、そもそも結婚しなかったのかはわからないが(私はソフィーのせりふから、結婚しなかったのではないかと思っている)、父親は故郷のスコットランドを離れ、母子は今もそこに住んでいる。父親は故郷を離れて一旗揚げて成功しようと思ったのだろうが、貧乏ではないものの、裕福とは言えず、仕事もうまくいかなかった様子。でも、故郷を離れると居場所がなくなると言っていて、それで帰ることもなかったのだろう。

時折、ディスコで点滅する光を浴びながら踊る大人の女性のシーンがあり、これが現在のソフィーだということは容易に想像できる。後半になるとわかるが、彼女は今は同性のパートナーと赤ん坊と暮らしているよう。そして、自分自身があのときの父親の年齢になり、あのときにビデオに撮った映像を見て、当時のことを思い出している、という構成。

映画のはじめの方で、ベッドに横たわる父親の向こう側から起き上がる女性の姿が、ポラロイド写真のように浮かび上がってくるが、後半、今度は本物のポラロイド写真が出てきて、この2つのシーンが対になっていることがわかる。ほかにも対になるシーンが何組もあり、非常に考え抜かれた構成だ。

最初の方の、起き上がる女性の姿が浮かび上がるシーンは、この物語が大人になったソフィーの回想で、父親視点のシーンも彼女の想像だということを表しているのだろう。父親視点のシーンは、おそらく父はこうだったのだろう、と想像しているのだ。

大好きな父親とすごせるバカンスを無邪気に楽しむ娘と、何か悩みがあるような父親。悩みがあるらしいことがわかるシーンはおそらく大人のソフィーの想像。夜の海に父親が向かうシーンは「スタア誕生」のジェームズ・メイソンの自殺シーンを思い起こさせる、という指摘があったが、映画を見た人たちは父親は自殺を考えていて、実際に自殺したと解釈しているようだ。

ただ、自殺をほのめかすシーンはソフィーの想像のシーンが多いような気がする。11歳のソフィー視点では、それは想像できなかったわけだから。

私自身は映画を見ている間は、父親は不治の病にかかっているのではないか、と思っていたのだが、あとでネットのネタバレ評を読むと、やはり自殺説が有力のようだ。ただ、実際の死については何も描かれていないので、表向きは事故死になっていて、それを大人になったソフィーが自殺ではないかと思っている可能性はある。

私が不治の病ではないかと思ったのは、「愛しているよ、ソフィー。忘れないで」と書いた紙があったからで、自殺する父親が娘にこう書くとは思えない、というのがあった。ただ、家族に恵まれず(自分の家族は自分の誕生日を覚えていなかった、と彼は言う)、仕事もうまくいかず、もはや故郷にも戻れない父親がうつに陥り、自殺を考えた、という説は確かにそうかもしれないと思う。

大人のソフィーを演じる俳優が娘時代の子役と全然似ていない。特に大人の方は表情が暗い。まるで、彼女自身がうつ状態で自殺を考えていて、それで父を思い出し、赤ん坊の泣き声を聞いて我に返る、みたいな解釈もできる。(ちなみに、監督は娘時代の子役が大人になったような感じの外見。)

ツインの部屋を予約したのにベッドが1つしかない部屋になり(父親がお金がないので、最初からそう予約したのだ、という説あり)、簡易ベッドを入れてもらって父親はそこで寝ていたのだが、娘のはからいでみんなが父親の誕生日を祝う歌を歌ってくれて、そのあと、父親は一人、ベッドで慟哭し、そして父親が海に向かうシーンがあり(慟哭と海岸は大人のソフィーの想像)、そのあとは父親が部屋で寝てしまって鍵が開かず、ソフィーはホテルのロビーですごす、というあたりが後半の重要なシークエンスなのだが、朝、父親は、お前のベッドで寝てしまってごめん、と言う。この最後の部分も何かとても意味深な感じだ。

ソフィーは父親と一緒に撮ったバカンスのビデオをこのとき初めて見た、あるいは長らく見ていなかった、という説もあって、なるほどと思った。

空港でのソフィーと父の別れは最後の別れであり、このあと父親は死んだのだ、ということはわかる(この最後のシーンも大人のソフィーの想像)。死因がなんであれ、これが最後の別れになるとは知らず、あとになってわかる、ということは人生で何度も経験することで、そこで泣ける、ということはとてもよくわかる。構成が非常にうまいけれど、理詰めできっちり解釈してしまう、ということはしたくない。